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桧尾岳

空木岳、南駒ヶ岳

1995年8月19日〜8月20日 前夜発1泊2日 単独行 晴/晴

桧尾岳 ひのきおだけ(2728m) 三等三角点
熊沢岳 くまざわだけ(2778m) 標高点
東川岳 ひがしかわだけ(2671m) 標高点
空木岳 うつぎだけ(2864m) 二等三角点
赤梛岳 あかなぎだけ(2798m) 標高点
南駒ヶ岳 みなみこまがたけ(2841m) 標高点
  中央アルプス(長野) 5万 赤穂 2.5万 木曽駒ヶ岳、空木岳

ガイド:アルペンガイド「中央アルプス・御岳山・白山」(山と渓谷社)、中央アルプスを歩く(山と渓谷社)、日本百名山登山ガイド 下巻(山と渓谷社)、日本300名山ファイド 西日本篇(新ハイキング社)、山と高原地図「木曽駒・空木岳」(昭文社)

8月18日(金) 17:35 新潟発=(北陸道、上越IC、R.18、須坂長野東IC、長野自動車道、中央道、駒ヶ根IC経由)=23:25 菅ノ台駐車場着  (車中泊)
8月19日(土) 6:15 菅ノ台発=(中央アルプス観光バス)=7:00 しらび平=7:04 発=(中央アルプスロープウェイ)=7:12 千畳敷〜7:20 発―7:44 極楽平―8:43 濁沢大峰―9:38 桧尾岳〜9:50 発―10:51 熊沢岳〜11:07 発―12:15 東川岳〜12:45 発―13:00 木曽殿山荘  (木曽殿山荘泊)
8月20日(日) 4:00 木曽殿山荘発―4:36 偽りのピーク―5:03 空木岳〜5:32 発―6:17 赤梛岳―6:29 摺鉢窪分岐―6:50 南駒ヶ岳〜7:08 発―7:26 摺鉢窪分岐―7:39 赤梛岳〜7:47 発―8:40 空木岳〜8:45 発―8:50 空木岳駒峰ヒュッテ―9:25 空木平分岐―10:10 迷い尾根―11:14 五合目池山御池(水飲場)〜11:25 発―11:37 池山小屋分岐―11:51 四合目高打場―12:12 三合目林道終点―12:52 スキー場ロッジ―13:03 菅ノ台駐車場=(往路を戻る)=19:30 新潟着

 中央アルプスの北部の代表的ピークは木曽駒ヶ岳であるが、南部の代表としては空木岳が挙げられる。空木岳という優美な名前は、雪形がウツキの花に似ていることに由来している。木曽駒ヶ岳付近から空木岳を眺めると、その右手に登頂意欲をかきたてられる堂々としたかっぷくの山が見えるが、これが南駒ヶ岳である。深田久弥の日本百名山においても、木曽山脈南半分から一つだけ選ぼうとして、空木岳にしようか、南駒にしようか、迷ったと書かれている。結局、百名山には、わずかに背が高いことと、その名前の美しさから、空木岳が選ばれたようである。桧尾岳、熊沢岳、東川岳、赤梛岳は、中央アルプス縦走の際に越さなければならない通過地点といった印象が強いが、それ自身かなりの標高を持ち、日本の山岳標高一覧1003山にも取り上げられている。
 昨年の7月に木曽駒ヶ岳から眺めて、空木岳には縦走路から登ってみたいと思い、さらに南駒ヶ岳まで足を延ばそうと心に決めていた。ところが、中央アルプスロープウェイ駅のしらび平に通じる道路が土砂崩れのために不通になり、8月10日からようやくバスの運行が再会されたことを知って、この週末に空木岳に出かけることにした。バス会社に問い合わせしたところ、バスからおりて200メートル程歩く所があるものの、登山計画に支障は無いとの事であった。
 ここのところ通いなれた道を辿って、順調に菅ノ台駐車場に走り込んだ。広い駐車場ではあるが、夜間駐車の車は少なかった。始発のバスロープウェイを乗り継ぐため、翌朝起きるのと同時に、ザックをバス停前に置いて順番を確保した。案内板によると、始発は7時過ぎとのことであったが、朝食を済ませて出発の準備を整えていると、予想外に早く、切符売り場が開いて、6時15分に臨時便が出発するとのことであった。早朝にもかかわらず、臨時便の一台目には乗り切れない程の多くのハイカーや観光客が集まった。15分程走った所でバスから一旦おり、仮設階段を下って川沿いにしばらく歩き、登り返すと、そこに乗り継ぎのバスが待っていた。しらび平に到着すると、すぐに臨時のロープウェイが出発し、早起きのおかげで、千畳敷までスムーズに登ることができた。前回と異なり、快晴のもとに、絵はがきのような千畳敷カールや宝剣の眺めが広がっていた。人もまだ混み合っていない展望テラスで眺めを楽しんだ後に、山に向かった。前回の霧の中の下りと違って、晴れていると極楽平はすぐ上に見え、登りもはかどった。極楽平は、宝剣を越えてきた登山者で賑わっていた。縦走路に向かうと、ひと登りで島田娘ノ頭に到着し、展望がひらけた。時間的な余裕もあり、ゆっくりと展望を楽しんだ。振り返ると宝剣、西面には三ノ沢岳が大きく、熊沢岳と続く縦走路のかなたに空木岳と 南駒ヶ岳がそびえていた。縦走路は大きな下りで始まり、楽な道のりでは無いことを思い知らされた。縦走路を歩き始めてしばらくは、右手に三ノ沢岳を見続けることになった。前回三ノ沢岳に登っておいてよかったと思った。岩稜を登って濁沢大峰に到着すると、その先は気の抜けないやせ尾根の道になった。鎖場も現れたが、それ程難しい所はなかった。しかし、東側の潅木帯に回り込むと、風が遮られて日差しが熱く、小さなアップダウンに体力を消耗した。桧尾は平な山頂部を持ち、一段下がった台地に避難小屋が建っていた。空木岳はまだ遠く、山頂部に鶏冠のように岩を載せた熊沢岳が次の目標になった。ガイドブックにもあったトッテのついた岩も無事に通過すると、大岩が立ち並ぶ熊沢岳に到着した。登り口の左手の岩かげに山頂標識があった。強烈な日差しを避けるために、岩ででできたわずかな日陰で休むことにした。ここまでやってくると宝剣岳も小さくなり、空木岳もかなり近づいてきた。単独行が登ってくると、長いポールを伸ばし、横のアンテナを取り付け、眺めていると、無線交信を始めた。その夜、山小屋で話を聞くと、山頂からの無線交信を行い、そのピーク数を増やしているということであった。山に登るのには、色々な楽しみ型があるものだと感心した。東川岳から道は大きく下り、その最低部に木曽殿越えがあるようであったが、頂上からは、小屋を見下ろすことはできなかった。東川岳は、空木岳の絶好の展望台であった。登山道の刻まれた痩せ尾根が鞍部から山頂目指して一気に立ち上がり、鋭角的な山容は、まさに日本百名山に相応しい姿であった。この日の歩きは、木曽殿越に下るだけなので、腰を据えてこの風景を楽しんだ。滑りやすい急斜面を下ると、木曽殿山荘に到着し、宿泊手続きをすると、どうやら3番目の到着のようであった。まずはビールを飲んで、雑談をしていると、宿泊客が続けて到着するようになった。木曽殿越えの水場は、義仲の力水として有名であるが、たれるようにしか水がしみ出ていないとのことであった。小屋では水を分けてくれないので、この義仲の力水か、沢に下った水場に自分で水くみに行く必要があった。倉本への緩い登山道を10分程歩くと義仲の力水があったが、すでに5人程が待っており、何分待たねばならないか判らなかったため、沢に下ることにした。少し戻った所に水場という標識があり、急斜面を木の枝や根につかまりながら一気に下った。涸れ沢に出てしばらく下ると、水が岩の表面を流れているところがあり、水を汲むことができた。再び急斜面を這いあがったが、水場入口から、登り下りとも、片道8分程の道のりであった。夕方に近づくにつれて、大勢が到着し、あまり広くない小屋は満員になった。夕食は、2回に分けて行われ、ひとつ布団に二名が寝る状態になった。
 翌朝は、懐中電灯を頼りに、未明に小屋を出発した。三日月にもかかわらず、月光で影ができるほど明るい夜であった。やせ尾根の登りであるが、ペンキマークが良く付けられているため、登山道をたどるのに困難はなかった。後発組の懐中電灯がはるか下になると、登っている途中からは頂上に見える偽りのピークに到着した。本当の山頂は、岩稜をその先に進み、最後の急斜面を登った所にあった。最後の登りには、三点指示を確実に行う必要があり、岩に足がかりが無く、無理矢理に体を引き上げなければならない箇所もあった。山頂に到着した時には、東の空は赤く染まり、山頂小屋泊まり組がご来光を待ちかまえていた。ご来光は、甲斐駒の左、八ヶ岳との間になった。逆光の中に甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳、間ノ岳、農鳥岳、塩見岳、その先の南アルプス南部の稜線が浮かび上がった。中央アルプスの稜線は、光と影が交錯し、東には御岳山が明るく照らされていた。刻々と変わる風景を楽しみながら、周囲が明るくなるまで待ち、自分の登頂記念写真をとってから、南駒ヶ岳に出発した。空木岳から急斜面を下ると、トラバース気味の下りになり、その先には、赤梛岳が登りが待ちかまえていた。再び下ってようやく南駒ヶ岳への最後の登りになったが、来た道を戻ることを考えると、いささか足も重くなった。ようやく南駒ヶ岳に登ると、岩影にテントを張って寝ている者がいた。木曽駒ヶ岳は遠く、空木岳も、前日と逆方向から見ると、印象も少し異なっていた。縦走路の先にはあまり目立ったピークはなく、越百山がどれなのかよく判らなかった。空木岳に戻る途中、朝食後に小屋を出発したグループにも出会うようになったが、越百山へ南下する者は、5人程のようであった。再び空木岳に戻った時には、下山組はすでに出発しており、数名がいるだけであった。長い下りを考えると、それ以上山頂にいるわけにもいかず、下山に取りかかることにした。駒峰ヒュッテから道は二つに分かれたが、展望のよさそうな尾根上の駒石コースを行くことにした。気温が上がり、下りといっても、歩くのが辛くなった。駒石から振り返る空木岳は、草原の上に頭をもたげた穏やかな姿をしていた。潅木帯に入って見通しが利かなくなり、ひたすら下り道を耐えるしかなくなった。道は充分に整備されており、僅かなステップにも金属製の階段が設けられていた。皇太子殿下が登ったか、これから登る予定でもあるのかと思った。樹林帯の下りは、現在位置が判り難く、長期戦を覚悟して、歩いた時間毎に小休憩を取る必要があった。ようやく現れたのが、迷い尾根の標識であった。小地獄や大地獄は、金属製の桟道や階段が整備され、通過に不安は全く感じなかった。山の傾斜も緩くなったと思う頃、五合目の池山御池に到着し、ここにはホースで水を引いた水飲場が設けてあった。水の量を考えながら歩いてきたため、水を思う存分飲んだ。水を補給してから歩きだしたが、その先も長い下りが続いた。池山避難小屋から下からは、池山ハイキングコースとして整備されているらしい広い道に変わった。本来の登山道ではなく林道跡でもあるのか、つづれ折りの一片がやたらに長く、すぐ下に見える登山道に下りるまで、長い距離を歩かなければならなかった。ようやく林道終点に出て、ショートカットの登山道に入ると、道は細く急になった。35度はあるかと思われる猛烈な暑さの中を、最後の力を振り絞っていると、マイクから流れる猛烈な騒音が麓から舞い昇ってきた。サンバのリズムの得体の知れない音楽で、山道を行くのには全く合わない音であった。ようやく下りきると、スキーゲレンデの会場では、ジャズフェスティバルの最中とのことであった。車に戻って、帰り道についたが、猛暑のため車の中で昼寝することもできず、辛い運転が続いた。これで、日本百名山も、残すところ、北海道、南アルプス、九州の山ということになり、行きづらい所ばかりが残ってしまった。

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