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蓬峠、七ッ小屋山、武能岳

1995年8月12日 日帰り 単独行 晴

蓬峠 よもぎとうげ(1540m)
七ッ小屋山 ななつこややま(1675m) 三等三角点
武能岳 ぶのうだけ(1760m) 
  谷川連峰(新潟、群馬) 5万 四万、越後湯沢 2.5万 水上、茂倉岳、土樽

ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟の山旅(新潟日報事業社)、越後の山旅(藤波出版)、山と高原地図「谷川岳、苗場山、武尊山」(昭文社)

8月12日(土) 4:45 新潟発=(関越道、湯沢IC 経由)=6:25 土樽駅着=6:42 土樽駅発=(上越線)=6:52 土合―7:22 新道林道終点―7:44 一ノ倉沢分岐―8:00 JR巡視小屋―9:05 鉄塔―9:19 白樺避難小屋―10:10 蓬峠〜10:24 発―11:00 七ツ小屋山〜11:11 発―11:51 蓬峠―12:28 武能岳〜12:57 発―13:28 蓬峠―14:28 東俣沢出合―14:57 林道終点―15:04 黒金沢出合―15:20 茂倉岳分岐〜15:24 発―15:46 土樽駅=(往路を戻る)=19:05 新潟着

 蓬峠は、清水峠とともに、古くから越後と江戸を結ぶ重要な峠であった。上越線が開通し、さらに自動車時代を迎えて三国峠越えの国道17号線が整備され、谷川岳直下を関越トンネルが貫く現代では、蓬峠は登山者が訪れるのみの世界になっている。蓬峠は、谷川連峰中で平標山とここにしかない営業山小屋があることから、縦走中の要所になっている。
 七ッ小屋山は、蓬峠と清水峠を結ぶ国境稜線上にあって、大源太山と尾根で連なっている山である。七ッ小屋山という名前は、参謀本部の測量当時、七つの天幕を張って長期間の測量を行ったことに由来するといわれている。
 武能岳は、蓬峠を挟んで、七ッ小屋山と向かい合う山である。ぶなの生い茂ることから付けられた地名といわれるが、山頂付近は笹と石楠花の潅木で覆われている。かなりの標高を持つにもかかわらず、周囲に同じ様な標高の山が連なっているために、注目されることが少ない山である。
 この週末は、お盆休みで道路や山は混雑が予想されることから、近くの山に向かうことにした。新潟県の山のうち登っていない蓬峠と、時間が許すなら、そこに隣り合う七ッ小屋山と武能岳に登ることにした。早朝に起きたところ、目覚まし時計を合わせ間違え、1時間出発が遅くなっていることに気がついた。車を急がせ、以前の谷川岳登山の際と同じコースでロスタイムを生じなかったため、土樽駅にぎりぎりの時間で走りこむことができた。急いで身支度し、サンドイッチで朝食を取り終えて間もなく、始発の列車がやってきた。土合の駅までは、清水トンネルで10分程の距離ではあるが、歩いて戻るのは1日仕事である。土合駅に降り立った時には、すでに暑い一日が始まっていた。土合橋から入った新道沿いでは、お盆のせいか、河原に広げられたファミリーキャンプが目立った。湯桧曽川沿いの道は、緩やかな登りが長く続いた。枝沢が幾つも合流するため、水の心配はいらない道であった。先週の南アルプスとは違って、人と行き交うのも時たまで、森林浴を楽しむ歩きになった。武能沢出合いから、樹林帯の中で見通しの効かないジグザグの急登が始まった。気温が高い為か、首に巻いたタオルを絞るとしたたり落ちるほど、汗が流れ落ちた。頭上の送電線の鉄塔が近付いてくると、その上で尾根に出て展望も広がった。途中の目標ポイントの白樺避難小屋からは、清水峠の送電線監視小屋や、登山道の登っていく先に武能岳が高くそびえているのを眺めることができた。しかし、湿度が高いためか、あまり遠くは見えず、谷川岳や朝日岳の山頂はガスで覆われていた。潅木帯から笹原の中を登るようになると、縦走路もすぐ上に迫ってきた。白樺沢の源頭部付近は、草付きの急斜面で、残雪期には通過に注意が入りそうであった。咲き残ったニッコウキスゲのお花畑を過ぎ、傾斜も緩くなった笹原を行くと、骨組だけになった避難小屋がまず出迎えてくれ、その先に目立つ黄色に塗られた蓬ヒュッテが現れた。蓬峠は、緩やかな笹原が広がり、今登ってきた道を振り返り、これから下っていく道を眺め、峠という名に相応しい所であった。蓬ヒュッテの前のベンチでは、中年のオバサングループが、声高に話こんでいたため、少し登った所で腰を下ろした。天気は回復傾向のようではあったが、ガスがなかなか消えてはくれなかった。まず、七ツ小屋山に向かうことにした。緩やかに上下する笹原の中をいくと、急坂に変って、七ツ小屋山山頂に到着した。狭い山頂には、2組、6人程が休憩中であった。ガスが切れるのを待ったが、尾根で続いているはずの大源太山の山頂部は隠れたままであった。蓬峠に引き返す途中、笹原の向こうに頭を持ち上げる武能岳が顔を見せたため、もうひと頑張りして、武能岳にも寄っていくことにした。武能岳へは、傾斜も結構あり、かなり長く歩いている身にとっては、辛い登りであった。武能岳山頂は、両側が切り落ちた狭い山頂であったが、その分、眺めも優れていた。笹原の中につけられた登山道を目で追っていき、白樺尾根避難小屋を見下ろすこともできた。展望も回復し始め、朝日岳や大源太山も姿を現すようになった。一人じめの展望を楽しんでいると、茂倉岳方面から、初老の単独行がやってきた。話を聞くと、車を土合において、厳剛新道から谷川岳に登って、足任せに武能岳にやってきたとのことであった。疲れて、土合か土樽の5分でも近い方に下山したいとのことであった。土樽の方が近そうであったが、土樽に下山するならば、列車の時刻を蓬ヒュッテで確かめた方が良いとアドバイスした。眺めを堪能してから蓬峠に戻ると、6時まで列車は無いとのことで、先程の単独行は、土合に向かって下山していった。こちらも、峠付近でかなりの時間を費やしてしまったため、土樽への下山に取り掛かった。少し下りた所で、登山道の下の窪地に水場が現れた。流量はあまり多くない湧き水の水場であったが、水を思う存分に飲み、水筒を一杯にした。その先に進むと沢に出合い、ここの方が、豊富な水が流れていた。季節によっては、こちらの沢は涸れてしまうのであろうか。土樽への下りの方が、土合からの登りよりも、道は荒れ気味で歩き難いように感じたが、疲労が溜まってきているせいなのかもしれない。つづら折りの道を下っていき、東俣沢出合いからは傾斜は緩くなったが、夏草がかぶり気味の石の転がる河原様の道は、歩き難かった。林道がいつ現れるかという期待も、道を長いものに感じさせた。杉の植林帯が近付いてきたと思ったら、ようやく林道終点の広場に飛び出した。林道の終点付近はかなり荒れて道幅も狭く、実際に車で入ることの出来るのは、少し歩いた先の黒金沢出合であった。ここの広場にも、明日の登山を控えてか、テントが一張り立っていた。その先の林道歩きは、足取りも重くなったが、自動車の騒音が近付いてきて、ようやく土樽PAの裏手の吾策新道分岐に到着した。舗装道路に腰を下ろし、関越トンネルに吸い込まれて行く車を眺めながら、徒歩による蓬峠越えを振り返った。水に不自由しないコースであったが、いつもより水をがぶ飲みしてしまった。土樽駅から、着替えもしないで車を走らせ、お馴染みの温泉の岩の湯(280円)へ向かった。

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