9529

甲斐駒ヶ岳、入笠山

武石峰、冠着山、聖山

1995年7月29日〜7月30日 前夜発1泊2日  単独行 晴/晴

甲斐駒ヶ岳 かいこまがたけ(2967m) 測定点 一等三角点本点(2965.6m)
 駒津峰 こまつみね(2752m) 測定点
 双児山 ふたごやま(2849m) 測定点
南アルプス北部(長野・山梨) 5万 市野瀬 2.5万 甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳 ガイド:アルペンガイド「北岳・甲斐駒・仙丈」(山と渓谷社)、アルペンガイド「南アルプス」(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、日本百名山・登山ガイド 上(山と渓谷社)、日本300名山ガイド 東日本篇(新ハイキング社)、ヤマケイ登山地図帳「北岳・甲斐駒・仙丈」(山と渓谷社)、山と高原地図「甲斐駒・北岳」(昭文社)

入笠山 にゅうがさやま(1955m) 二等三角点 南アルプス前衛(長野)5万 高遠 2.5万 茅野、信濃富士見
ガイド:アルペンガイド「北岳・甲斐駒・仙丈」(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド 西日本篇(新ハイキング社)

武石峰 たけいしみね(1973m) 一等三角点補点 美ヶ原(長野) 5万 和田 2.5万 山辺
アルペンガイド「美ヶ原・霧ヶ峰」(山と渓谷社)

冠着山(姨捨山) かむりきやま(おばすてやま)(1252m) 三等三角点
聖山 ひじりやま(1447m) 一等三角点本点 筑摩山地(長野)5万 坂城
 2.5万 麻積
ガイド:無し

7月28日(金) 17:20 新潟発=(北陸道、上越IC、R.18、須坂長野東IC、長野自動車道 経由)=23:00 梓川SA着
7月29日(土) 0:30 梓川SA発=(長野自動車道、中央道、伊那IC、R.361、高遠町、R.152、市野瀬、小瀬戸峡、市野瀬、R.152、戸台口 経由)=4:00 仙流荘着=5:00 仙流荘発=(長谷村営バス)=5:50 北沢峠―6:26 仙水小屋〜6:30 発―6:55 仙水峠〜7:04 発―8:05 駒津峰〜8:09 発―8:29 六方石―8:47 摩利支天分岐―9:18 甲斐駒ヶ岳〜9:55 発―10:20 摩利支天分岐―10:34 六方石―11:00 駒津峰〜11:11 発―11:46 双児山〜11:50 発―12:56 北沢峠―13:06 北沢峠発=(長谷村営バス)仙流荘着=(戸台口、R.152、芝平、芝平峠 経由)―4:30 御所平峠―4:45 入笠山〜5:00 発―5:16 御所平峠=(富士見町、諏訪南IC、中央道、長野自動車道、松本IC、松本、R.143、浅間温泉、美ヶ原林道 経由)=23:00 美ヶ原高原駐車場  (車中泊)
7月30日(日) 7:16 武石峰バス停―7:24 武石峰〜7:36 発―7:45 武石峰バス停=(美ヶ原林道、武石村、R.152、R.18、戸倉上山田温泉、四十八曲峠 経由)=9:50 冠着山登山口〜9:54 発―10:00 林道終点―10:04 いこいの森・久露滝分岐―10:13 冠着山山頂―11:24 分岐―10:29 林道終点―10:33 冠着山登山口=(一本松峠、聖湖、三和峠 経由)=11:34 聖山登山口〜11:36 発―11:49 あずまや―11:57 聖山〜12:02 発―12:05 あずまや―12:17 聖山登山口=(三和峠、聖湖、R.403、更埴市、R.18、長野、上越IC、北陸道 経由)=17:00 新潟

 甲斐駒ヶ岳は、全国に数多くある駒ヶ岳の筆頭とも言うべき山である。伊那谷では、西の木曽駒ヶ岳に対し、東駒ヶ岳と呼ばれているというが、現在では甲斐駒ヶ岳という名前が定着している。深田久弥の日本百名山をたどっての山旅である。甲斐駒ヶ岳を説明するには、数多くの紀行・ガイド文の中から、日本百名山を引用することにしよう。「日本アルプスで一番代表的なピラミッドと問われたら、私は真っ先にこの駒ヶ岳をあげよう。(略)南アルプスの巨峰群が重畳している中に、この端正な三角形はその仲間から少し離れて、はなはだ個性的な姿で立っている。まさに毅然という形容に値する威と品をそなえた山容である。日本アルプスで一番奇麗な頂上は、と訊かれても、やはり私は甲斐駒をあげよう。眺望の豊かなことは言うまでもないとして、花崗岩の白砂を敷きつめた頂上の美しさを推したいのである。」という説明は、他の山の章と比べても、特に熱がこもっているように思う。「駒ヶ岳は名峰である。もし日本の十名山を選べと言われたとしても、私はこの山を落とさないだろう。」とまで書かれている。
 入笠山は、スズランの咲く牧歌的な南アルプス前衛の山として、古くから、もしかすると今よりもはるかに、親しまれてきた山である。昔は夜行の中央線を利用し、早朝から登山を開始して日帰りで登る山とされてきた。しかし、現在では、林道が頂上付近まで延びて、登山の趣が薄らいでしまい、逆に人気が無くなっているようである。
 武石峰は、美ヶ原の一画にあって、一等三角点が置かれている。美ヶ原では、王ヶ鼻や最高点の王ヶ頭が知られて観光地的な賑わいを見せているが、この武石峰は、美ヶ原林道脇にあるにもかかわらず、ガイドブックにも紹介されておらず、一等三角点マニアにのみ注目される存在となっている。
 冠着山の山名は、天の岩戸を背負ってきた天手力男命がこの山で休み、冠をただしたという伝説に由来する。また、姨捨伝説によって、姨捨山という名前も与えられている。この山に連なる聖山の一帯は、聖山高原として開発が進められている。聖山という名前は、越後の高僧が道場を作って開山したことによると言われている。
 今週は、北海道の百名山を回っているはずであった。北海道の最終的計画を考えていたところ、火曜日に、サンフランシスコへの短期海外研修の受理の連絡が届いた。さっそく北海道へのフェリーの切符をキャンセルし、海外旅行の準備を始めたが、この週末には、やはり山に行くことにした。塩見岳に登ることにして、金曜日の夕刻、新潟を出発した。集中豪雨の影響で、上越市と長野を結ぶR.18は不通になっていたが、道路センターへの電話によって、金曜日の朝7時に開通することをあらかじめ確認しておいた。梓川SAで短時間の仮眠後、再び車を走らせた。高遠町からR.152を南下していくと、甲斐駒ヶ岳や仙丈岳の登山口になる北沢峠行きのバス乗り場になる戸台口に出た。今回の目的地は、塩見岳であったので、さらにR.152を進み、市野瀬から少し先から三峰川本流沿いの林道を遡った。未舗装ではあるものの走り易いが、山に深く分け入る道であった。いいかげんに不安に思うようになった頃、道の中央に落石があり、通行不能になっていた。夜中で回りの風景が見えないため、塩見新道の登山口の大曲にどれほど近づいているかも判らなかったため、引き返す事にした。2日続いて激しい雷雨があったとのことで、そのための落石であったようである。山から下りてきてからの通行不能でなかったことを感謝することにした。夜中の2時に、もうろうとした頭で登山計画を練り直し、先に登山口を通り過ぎてきた甲斐駒ヶ岳か仙丈岳に登ることにした。当初の計画では、この週末は、人気のある山は大混雑になりそうであったため、これらの山は敬遠する気持ちが強かったのだが。ようやくの思いで戸台口に戻り、駐車場のある仙流荘に向かった。駐車場はかなり広かったものの、九分程はすでに埋まっていた。4時になって、山の稜線が白み始めていた。始発は6時30分ということで、2時間は眠ることができると思っていたが、念のためにバス停を確認すると、混雑が予想されるために5時に臨時便を出発させると掲示してあった。いささか辛いが、歓迎すべき誤算に、山の出発準備を進めた。時間の余裕ができたため、どちらかというと登るのが難しそうな甲斐駒ヶ岳を目的地に決定した。バス停前にザックを並べて順番待ちをしていると、4時30分にマイク放送で、5時に4台約100名分の臨時便を出すとのアナウンスがあった。このアナウンスに眠っていたのを起こされ、出発の準備をあわてて急ぐ登山者が多く見られた。戸台口は、単にJRバスとの乗り換え場所に過ぎないようであり、長谷村営バスのバスターミナルはこの仙流荘で、臨時便は全てここからの出発になるようであった。混雑時の土・日曜日には、5時発の臨時便が期待できそうであった。それならば、甲斐駒ヶ岳や仙丈岳の日帰り登山に充分な時間的余裕も生まれるのだが、この臨時便については、どのガイドにも書かれていなかった。一方、広河原からの芦安村営バスは、出発地が山奥であるためか、このような臨時バスが出ている様子は見られなかった。ザックによる順番取りとは別に、切符を買うために待合い室の入口にへばりついていて、窓口が開くのと同時に切符を買ってバスに乗り込んだ。マイクロバスのために、ザックを膝の上にのせると、座席は窮屈になった。快晴の林道を登っていく間、ワンマンの運転手は、無線連絡の傍らに、回りの風景の説明を始めた。左手の車窓からは、鋸岳が次第に迫ってきて、刻々とその姿を変えていった。深い原生林の中に入っていくと、そこが北沢峠であった。峠というイメージとは異なって、展望はまったく無かった。観光客が南アルプス林道という名前に引かれてこの北沢峠に登ってきてがっかりした、という話を聞くが、ありそうな話と思った。展望は無いものの、周囲を取りまく深い森林は、南アルプスという名前に相応しいように思った。バスから一緒におりた登山客の大部分は、峠付近でキャンプをする者のようであった。北沢長衛荘前のキャンプ場には、多くのテントが並び、人で混雑していた。仙水峠への登りにかかると、泊まり組とは出発時間が異なっているためか、人はまばらになり静かな山歩きになった。それ程のアルバイトも無く、仙水小屋を通過し、仙水峠に辿りついた。振り返れば小仙丈岳が高くそびえ、前方には、甲斐駒ヶ岳が魔利支天の岩壁の上にさらに高くそびえていた。勢いにまかせて駒津峰の登りに取りかかったが、急斜面の登りが始まった。早朝出発組に追いつき始めたが、青い顔をして潅木の中に倒れ込んでいる者も見られた。次第に広がる展望を楽しみに、急坂の登りに汗を流したが、寝不足のためか足が重く感じられた。頭上に見えた駒津峰に登り着いて驚いた。それほど狭い山頂ではなかったが、足の置き場が無いほどザックが置かれ、いくつもの団体が休んでいた。どうやら、荷物をここにデポしてから甲斐駒ヶ岳に向かう者が多いようであった。駒津峰からの痩せ尾根の下りは、蟻の群のように登山者が連なり、渋滞していた。団体によっては、山のわけ知り顔に先に通してくれるものもあったが、二十、三十人でのグループであること自体が、おしゃべり声とともに迷惑な存在になっていた。日差しは厳しく、体力の消耗をいつもより多かった。甲斐駒ヶ岳との鞍部である六方石から道は二つに分かれたが、直登コースは、渋滞状態になっていたため、魔利支天コースに向かうことにした。トラバース道から、花崗岩の砂礫地の登りになると、足下は滑りやすくなった。白砂の中で太陽の照り返しが厳しく、一歩づつ足を前に出し続けることが辛くなった。山頂に集まる人の群はすぐそこに見えたが、そこまでの高さをなかなか縮めることができなかった。魔利支天を見下ろすようになると、ようやく黒戸尾根の一角に登り着き、そこからは山頂までひと登りであった。山頂は多くの登山者で賑わっていた。周囲には大展望が広がっていた。早川尾根から鳳凰三山、地蔵岳のオベリスクもはっきり見えた。その右には、北岳と間ノ岳、その奥には塩見岳。仙丈岳は、向かい合う位置にあって、カール地形がはっきりと見分けることができた。北方には、鋸岳が赤茶色の崩壊面を見せており、その遥かむこうには、中央アルプスや北アルプスが青空の中に浮かんでいた。東方には、逆光ではあるが、八ヶ岳連峰が、広がっていた。山頂には、石の祠があり、その後ろに一等三角点、さらに向こうに山頂の山名標識があり、記念写真のお立ち台になっていた。山頂には2メートル近くの岩が転がっており、このてっぺんが標高になるはずと思って眺めた。帰ってから日本の山岳標高一覧を確認したところ、確かに、甲斐駒ヶ岳の標高は、2967m(測定点)であり、一等三角点本点の2965.6mとの間に差が認められた。山頂板が開くのを待って、他の登山者とカメラを交換しながら、記念写真を撮った。良い眺めであったが、休憩している間にも、鳳凰三山がガスで隠れはじめ、さらに太陽が昇るに連れて、視界はぼんやりし始めた。塩見岳には登ることはできなかったが、このような展望を楽しむことのできたのも、早朝のバスの臨時便のおかげであった。甲斐駒ヶ岳からの下りは、砂混じりで滑らないように注意する必要があった。駒津峰への登り返しは、かなり堪えるものがあった。あいかわらず混雑の山頂で、ひと休みした後に双児山に向かった。昼近くなって気温が高くなり、日向にいることが苦痛になり、一旦下ってからの双児山への登りは、辛かった。双児山の頂上で、甲斐駒ヶ岳に別れを告げ、最後の下りにとりかかった。樹林帯の下りは、後で確認した時間以上に長く感じられた。北沢峠に到着すると、バス待ちの列が、樹林帯の中に数十メートル程も続いているのに驚いたが、この列は広河原行きのものであった。この列に恐れをなして、日曜の下山はバスが大混雑になるだろうと思って、仙丈岳は次の機会にする決心をした。幸い、広河原行きとは違って、戸台口へのバスは、待つこともなく乗り込むことができた。広河原行きに乗って、さらに甲府行きに乗り換えようとする登山客は、おそらくパニック状態になっていたものと思われる。長谷村営バスの下りは、徐行して沿道の花の説明をするガイドに代わった。予想外に早い下山になったが、下界は猛暑になっており、無料休憩所の畳部屋でしばらく寝ころんで休んだ。
 しばらく休憩して元気を取り戻したが、時間はまだ早く、さらに野宿の場所を決める必要もあった。南アルプスのガイドブックしか持ってこなかったため、道路地図を頼りに、車で登れる山に登ることにした。戸台からは、入笠山に林道が延びているが、先日の雷雨で通行止めになっていると、朝のバスの運転手が説明していた。そこで、R.152に一旦出て芝平を経由して入笠山に登ることにした。狭い林道の運転の末に、入笠湿原に到着することができた。登山ガイドは、持っていなかったため、道路の案内標識を頼りに入笠山に向かった。マナスル山荘の前の駐車場から、入笠山への登山道が延びていた。登山の案内板には、山頂まで30分とあったので、カメラだけを持って山頂に向かった。夏はお花畑になるらしいスキーゲレンデの右縁に沿って登っていくと、山頂から下ってくる、幾組もの家族連れとすれ違った。入笠山の山頂は、緩やかな丘状で、休むのに良い広場になっていた。眺めはすばらしく、先ほどまでその頂上に立っていた甲斐駒ヶ岳をかえりみることができた。遠くの展望はきかなくなっていたが、八ヶ岳連峰が目の前に広がっていた。30分の登りで、このような展望の山頂にたつことができることは、驚きであった。山頂には、2張りのテントがあり、どうやら夜景を楽しみながら夜を過ごすようであった。山頂の展望台に腰を下ろし、ゆっくりと風景を楽しんだ。
 夕方になっても気温が高いため、涼しい所で野宿をしようと思って、美ヶ原に向かうことにした。富士見町に向かって舗装された広い道を下り、諏訪南ICから中央道にのった。諏訪SAで、サービスエリア内にある温泉に入浴した(565円)。浴槽があまり広くなかったため、10分程待たされた。夕食もセルフ食堂で済ませ、ひと眠りした後に松本に向かった。松本から美ヶ原に向かうのに、勘違いして美ヶ原温泉を経由してビーナスラインに進んでしまい、引き返して時間をロスした。浅間温泉から美ヶ原林道のゲートに到着した時には、夜遅くなって、ゲートは無人になっていた。美ヶ原林道沿いに、駐車場を捜しながら車を走らせたが、結局、林道終点の美ヶ原高原駐車場にたどりついてしまった。広い駐車場には、20台程の車がとまっていた。疲れていたので、そのまま車の中で寝てしまった。翌朝、6時過ぎに涼しくて目を覚ました。快晴のもとに、駐車場からも北アルプスの山を眺めることができた。朝食を手早くすませ、前回の訪問の際に、一等三角点のことをよく知らなかったために、登り損なった武石峰に向かった。車で5分程戻った所にある、武石峰バス停の脇から、登山道が山頂に向かって延びていた。登山道は、両側が牧場のような木の柵で囲まれていたが、歩く人は少ないためか夏草がかぶり気味であった。ひと登りで山頂に到着した。一等三角点のピークに相応しい、360度の展望が得られた。やはり、一番に目がいくのは、槍ヶ岳から大キレットを越えて穂高連峰に連なる北アルプスの眺めであった。美ヶ原のガイドでとり挙げられる王ヶ鼻や王ヶ頭では、展望は方向が限られているため、このピークがあまり取り上げられないのは、もったいない事だと思った。
 美ヶ原林道の通行料金を払いたくなかったため、武石村方面に山を下ることにした。道路地図を見ると、帰り道の途中に、日本の山1000山に取り上げられている冠着山があり、さらにその先の林道を進むと一等三角点の聖山に至ることが判った。戸倉上山田温泉から、舗装されてはいるが、カーブの連続する道を登り、四十八曲峠から、標識に従って冠着山を経由して聖山高原に向かう林道に入った。冠着山の手前で、林道は左右に分岐した。登山道がどこにあるかは全く知らなかったため、とりあえず左手の聖山高原への道を進むと、僅か先に広い駐車場があり、冠着山登山口と書いてあった。山頂を見上げると、30分程の距離のようであったため、カメラだけを持って出発した。車の通行も可能な林道を登っていくと、林道終点の広場になり、そこから登山道が始まった。道は良く整備されていた。どうやら信濃自然歩道として整備されているようであった。山頂はお堂と、多くの登山記念標識が立てられていた。山頂の向こう側には鳥居があり、いこいの森からの登山道が上がってきていた。本来の表参道は、こちらのようであった。展望盤がおかれており、眺めも良いようであったが、気温が上がって近くの山しか見えなかった。駐車場に戻って着替えをしていると、マイクロバスの8人グループが到着した。駐車場での説明を聞いていると、どうやらこのグループは史跡巡りが目的のようであった。
 聖山に向かって林道を先に進んだ。聖山高原一帯は、リゾート地として分譲別荘が多く建てられていた。道路地図を頼りに車を走らせていくと、聖山登山口の標識を見つけ、別荘地の中の道に入った。車道脇に登山道の標識があり、登山道が始まっているのを見て、歩き始めた。ここも信濃自然歩道として、整備されているようであった。ひと登りであずまやの建つ小ピークに到着したが、樹木に被われて山頂標識もなにも無かった。不思議に思って周辺を見渡すと、道は少し下り気味にさらに先に続いていた。小鞍部からわずかに登ると、そこが聖山の山頂であり、一等三角点も置かれていた。山頂の一画には放送アンテナが立ち、車道が反対から登ってきていたが、一般車が通行可能であるかどうか判らなかった。冠着山と聖山は、登山口まで道路マップを頼りにたどり着くことができれば、後はひと登りで山頂に立つことのできる山であった。昼になって気温はますます上がり、帰りの車の運転は、渋滞もあって、容易ではなかった。

山行目次に戻る
ホームページに戻る