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浅間山、東篭ノ塔山、水ノ塔山

1995年7月21日 日帰り 単独行 雨

浅間山 あさまやま(2568m) 標高点 浅間山周辺(群馬、長野)
 小浅間山 こあさまやま(1655m) 三等三角点   5万 軽井沢 2.5万 浅間山
ガイド;登山・ハイキング地図「浅間・菅平」(日地出版)、ひとりぼっちの日本百名山(山と渓谷社)、女ひとりの日本百名山(山と渓谷社)

東篭ノ塔山 ひがしかごのとやま(2227m) 一等三角点補点
水ノ塔山 みずのとやま(2202m) 浅間山周辺(群馬、長野) 5万 上田 2.5万 嬬恋田代、車坂峠
ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、一等三角点百名山(山と渓谷社)、一等三角点の名山100(新ハイキング社)、登山・ハイキング地図「浅間・菅平」(日地出版)、山と高原地図「軽井沢・浅間」(昭文社)

7月21日(金) 4:20 北軽井沢発=(R.146 経由)=4:46 峰ノ茶屋〜5:30 発―5:49 小浅間山鞍部―7:30 東前掛山鞍部―7:47 浅間山山頂〜8:09 発―8:22 東前掛山鞍部―9:17 小浅間山鞍部―9:36 小浅間山―9:50 小浅間山鞍部―10:05 峰ノ茶屋=(R.146、軽井沢、R.18、追分原、浅間山麓広域農道、高峰林道、車坂峠、湯ノ丸林道 経由)=11:57 兎平〜12:02 発―12:24 東篭ノ塔山―12:51 水ノ塔山―13:21 東篭ノ塔山―13:45 兎平=(湯ノ丸林道、車坂峠、浅間広域農道 経由)=15:37 北軽井沢

 浅間山は、日本を代表する火山である。関東地方の山に登って浅間山を眺める時、その山頂から噴煙が立ち上るのを見ることができる。浅間山の天明三年の大爆発は有名であり、噴煙が太陽を遮って世界的な日勝不足を生じ、天明の大飢饉を引き起こしたという。現在でも、その噴火の爪跡は、鬼押出しとして残されている。浅間山は三重式の成層火山で、第一外輪山は黒班山、牙山、剣ヶ峰、第二外輪山は前掛山、東前掛山であり、寄生火山として小浅間山、石尊山、車坂山がある。現在浅間山は、火山活動によって登山禁止となっている。その為に、日本百名山の登山ガイド等においては、登山規制が解除されている外輪山の黒班山をもって、浅間山の代替コースとしている。
 浅間山から西には、水ノ塔山と篭ノ塔山が連なっている。篭ノ塔山は、東西二峰に分れているが、一般には一等三角点が置かれている東篭ノ塔山が登られている。2000mを越す標高ながら、路線バスが登山口の車坂峠まで登ってきており、さらに自家用車で湯ノ丸林道に乗り入れれば、途中の駐車場から短時間で往復することができる。
 日本百名山の浅間山は、登山規制によって登ることの出来ない山になっている。小学校の林間学校で、黒班山に登ったことがあることから、浅間山は、百名山のリストに登山済みの印を付けていた。しかしながら、「ひとりぼっちの日本百名山」や「女ひとりの日本百名山」を読むと、1978年11月4日と1989年6月4日にそれぞれ登っており、群馬県の知人の話を聞くと、現在でも禁を犯して登る者もいるようである。さらによく調べると、浅間山への登山道は、山と高原地図「軽井沢・浅間」(昭文社)では消されているが、登山・ハイキング地図「浅間・菅平」(日地出版)ではコースタイムも書かれていることが判った。今年の夏の職場の旅行は、北軽井沢になったため、浅間山に登ることにした。
 梅雨明けが遅れていたが、木曜日の鬼押出の観光の際には、雨はあがって浅間山の山頂まで眺めることができた。人目をはばかる気持ちがあるため、早朝出発にした。峰ノ茶屋の登山口には、大きな駐車場があった。出発しようとすると雨が降り始めたため、このところ毎回であるが、雨具を着込んでの出発になった。林道を歩き始めると下り坂になってしまい、軽井沢に通じる道であることに気が付き、峰ノ茶屋から再び歩き直した。火山観測所の前庭をかすめる道に、通行止めの杭が打ってあるが、人がすり抜ける幅が開けてあった。そのかたわらには、登山届の記入台も設けてあったが、登山禁止の山に、登山者ノートがあるはずも無かった。木立の中の広い道がたどると、小浅間山を右手に仰ぐようになった。噴火の警告を伝えるスピーカーが取り付けられた鉄塔が現れ、その先が小浅間山との鞍部になった。登山標識は無いが、登山禁止の看板が、案内になった。急坂を登って、樹林帯を越すと、その先は山頂まで続く火山灰のガレ場になった。登山道は、天と地の境を目指して、最大傾斜を真っ直ぐに登っていった。富士山と良く似た風景が広がり、オンタデが砂礫の中に点々と緑の集落を作っていた。踏み跡はしっかりしており、登山者がけっこうあるようで、埴生保護のため立ち入り禁止と書かれ、ロープが掛けられている所もあった。地図には行者返しという地名が書かれていたが、同じ様な登りが続くため、どこら辺をさしているのか判らず、何合目という標識が欲しいところであった。山頂部のガスに突入すると、付近しか見えなくなった。足下が不安定なザレ場になって、右斜上方への登りになると、岩の転がる平坦部に登り着いた。山頂かと思ったが、踏み跡はさらに先に続いており、東前掛山との鞍部であることに気が付いた。踏み跡は、あまり明瞭ではなくなり、硫黄の臭いのたちこめる岩の間をジグザグに登って行くため、見失わないように緊張した。最後に、急坂を登りつめると、そこが山頂であった。山頂直下には、火口の観測機器が納められているらしい、焼場の入口のような、金属の扉が設けられていた。雲が真上に向かって吹上げられている断崖の縁に、おそるおそる近付いてみたが、火口の中はガスで見えなかった。ただ、落ちれば助からない断崖があることは判った。山頂の標識は何も無く、山頂にある平たい岩に腰を掛けて、記念撮影をした。ガスのキレ間から、火口の断崖が姿を現し、軽井沢や浅間隠山、角落山等の展望も広がったが、それも一瞬であった。火口に近寄ると、足下がふらつくような強風が吹き寄せるため、お鉢巡りは諦め、下山することにした。浅間山荘方面から登ってきたとすると、この峰ノ茶屋への下降点は、見つけることが難しそうであった。東前掛山の鞍部まで下ると、再び明瞭な道が始まり、緊張感も和らいだ。下る途中、5人のグループが登って来るのに出合った。4人はビニールガッパを着ており、1人はゴム引きガッパで、急な登りにダウンしかかっている者もいた。この雨の中を、登山禁止の山に登ってくるのは、百名山マニアくらいであろうにと、この初心者グループに不思議な思いをしながらすれ違った。しばらく下って登山道も広がると、キャタピラ車がとまっていた。上部は運転席と荷台だけの簡単なものであったが、あのグループはこのキャタピラ車でここまで登ってきたことが判った。キャタピラの跡は、結局、火山観測所の中まで続いており、どうやら火山観測機器の点検にでも登ってきたようであった。中腹から下では、周囲の展望が広がった。上から眺めると、小浅間山の山頂は、U字形をしており、どこが山頂か判らなかった。小浅間山鞍部に下った後に、ガレ場の中の踏み跡を辿って小浅間山に登りかえした。山頂部を右往左往して、山頂の標識を捜したところ、中央部の木立の中の広場に、三角点と、何が書かれているのかは判らない石碑が置かれていた。峰ノ茶屋に戻ると、一帯は小学生を乗せた観光バスで賑わっていた。火山の爆発の恐怖よりも、立ち入り禁止の山に登る事自体に緊張する登山であった。浅間山の山頂から、記念の為に拳大の石を拾ってきたが、家で取り出すと硫黄の臭いがした。この岩石の採取も、本当はしてはいけないことであった。峰ノ茶屋からの浅間山登山コースは、現在でも、歩くのに支障の無い明瞭な道であった。爆発の危険性を充分に認識したうえで、個人の責任において登山を許可しても良いように思う。
 時間も早く、もうひと頑張りすることにして、一等三角点の東篭ノ塔山をめざすことにした。高校の山荘が小諸の上の高峰高原にあったため、車坂峠までは、スキーで何度も訪れたことがあった。未舗装の湯ノ丸林道を進むと、兎平に大きな駐車場が設けてあった。その入口に、林道は夜間は鍵が掛けられて閉鎖されるとの掲示があった。幸い雨があがったので、雨具無しでの出発になった。樹林の中を登っていくと、ガレ場の登りになり、ひと頑張りしたなと思ったらあっけなく東篭ノ塔山に到着した。ガイドブックには眺めの良いことが書かれていたが、四阿山や湯ノ丸山が見える程度であった。西篭ノ塔山は、東篭ノ塔山よりもかなり低く見えるため、そのまま水ノ塔山に向かうことにした。暗い樹林の中を下ると、右下に林道が走っているのを見おろす、やせ尾根の道になった。ガスで水ノ塔山が何処にあるか確かめることが出来ないため、ピークに登り着くたびに失望することになった。やや急な岩場を登ると水ノ塔山に到着したが、山頂といっても、傾いた山頂標識が木に打ち付けられているだけであった。水ノ塔山からは、高峰温泉に下ることができるが、林道歩きに時間がかかるため、尾根道を戻ることにした。ピークを辿っていると、ガスの切れ間から、東篭ノ塔山が全景を現したが、カメラを取り出す間も無く、再び姿を隠してしまった。兎平には、ハイキングや観光の車が何台も入ってきていたが、三方ヶ峰の方面の散策の方が多いようであった。山の締めくくりに風呂ということで、高峰高原ホテルに800円で入浴したが、近くに高峰温泉があるにもかかわらず、ここはただのわかし湯のようであった。ホテルの前庭は、今登ってきたらしい黒班山を振り返って、声高に話し込む中高年グループで賑わっていた。

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