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清水峠、朝日岳

1995年6月24日 日帰り 単独行 晴のち曇

清水峠 しみずとうげ(1448m) 谷川連峰(新潟、群馬)
朝日岳 あさひだけ(1945m) 二等三角点 谷川連峰(群馬) 5万 越後湯沢 2.5万 巻機山、茂倉岳

ガイド:アルペンガイド「上信越の山」(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド東日本篇(山と渓谷社)、関東100名山(山と渓谷社)、群馬の山歩き130選(上毛新聞社)、新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、山と高原地図「谷川岳、苗場山・武尊山」(昭文社)

6月24日(土) 1:20 新潟発=(関越自動車道、六日町IC、R.291、清水 経由)=3:40 追分〜4:14 発―4:32 十五里尾根分岐―(十五里尾根コース)―5:04 送電線鉄塔出合い―5:36 巡視避難小屋―6:20 清水峠〜6:28 発―7:43 巻機山分岐〜7:53 発―8:05 宝川温泉分岐―8:09 朝日岳〜8:40 発―8:44 宝川温泉分岐―8:57 巻機山分岐―9:57 清水峠―10:03 発―(井坪坂コース)―11:13 ナル水沢―12:09 十五里尾根分岐―12:27 追分=(往路を戻る)=16:00 新潟着

 清水峠は、越後と江戸を結ぶ古くからの交通の要所であり、明治18年には国道が開通したものの、2年後にはh早くも雪害のために通行不能になった。一時再建されたものの、廃道のまま現在に至っている。谷川連峰横断の道は、清水峠から三国峠越え、さらに現在では谷川岳直下を貫く関越トンネルに主役は移り変っている。三国峠周辺がスキー場をはじめとするリゾート施設で賑わっているのに対し、清水峠はハイカーの訪れる場所として名前が残されている。しかし、清水峠のもう一つの隠された顔は、信濃川水系から得た電力を首都圏の国電に送る送電線の大動脈が越えていることで、このため、三国峠周辺の登山道は、旧国鉄の手によって整備されている。
 朝日岳は、湯桧曽川を挟んで谷川岳と向かいあっている山である。白毛門、笠ヶ岳から朝日岳を通って、谷川岳に結ぶ縦走路は、馬蹄形縦走として親しまれている。谷川連峰のうちでは、谷川岳と仙ノ倉山と朝日岳が、日本300名山に選ばれている。
 朝日岳は、以前に谷川岳から湯桧曽川の谷越しに眺めて以来、気になっていた山である。奥まった所にあるため、縦走以外では難しそうに思っていたが、清水峠からの日帰りができそうなので出かけることにした。アルペンガイドのコースタイムによれば、およそ10時間はかかるため、夜明けから歩き出すことにした。巻機山の登山基地で有名になった清水の部落から先は、未舗装の車のすれ違いが心配になる道になった。「国有林につき注意」といった内容の看板が二度目に現れた所で、道は分岐し、ここが地図でいう追分のようであった。その先の道は荒れているようなので、ここに車をとめて歩き出すことにした。川沿いの林道は、川のように水が流れている所もあり、オフロード車でないと乗り入れる気にはなれない状態であった。広い河原を右にみるようになると、十五里尾根の分岐に出た。ここで、コースは二手に分れるが、登りには謙信尾根とも呼ばれる十五里尾根をとることにした。丸木橋で、川を渡り、尾根に取りつくと、電光型の急な登りが始まった。苦しい登りではあるが、送電線の巡視路を兼ねているため、比較的歩きやすい道であった。高度を上げていくと、谷の奥に、大源太山の鋭峰が姿を現した。稜線上まで続く送電線の鉄塔群の下部に出ると、ここからは傾斜も少し緩やかになった。送電線の避難小屋を過ぎ、その上の鉄塔に出ると、素晴らしい眺めが広がっていた。大源太山は、上越のマッターホルンとも呼ばれることもあるが、登山口の石打方面から眺めると、鋭い山頂を持つものの、その背後に広がる谷川連峰の稜線に目がいってしまい、いささか誇大表現かと思っていた。しかし、ここから眺める大源太山は、左手の七ッ小屋山とツリ尾根で結ばれ、谷底まで切り落ちた岸壁をめぐらせ、まさに絵になる姿をしていた。また、前方には、清水峠のシンボルの三角屋根の送電線監視小屋が姿を現した。振り返れば、桧倉山から巻機山へと続く稜線が広がっていた。この先は、谷を迂回するほぼ水平な道になった。七ッ小屋山の山頂を目指して笹原の中を登っていく冬道と分れると、トラバース道になった。雪解け直後のためか、所々道は荒れ気味であった。夏は水場になるらしい沢は、5m程の幅ではあるが残雪で埋り、谷に向かって落ち込んで危険地帯になっていた。ストックを取り出し、一歩一歩足場を確保しながら、慎重に横断した。ここからひと足で、清水峠に到着した。峠という言葉に相応しく、これまでは望むことのできなかった、谷川岳方面の展望が広がった。谷川岳から一ノ倉岳は、急な岩壁をめぐらし、豊富な残雪を残す谷が切れ込んでいた。左手には、これから登る朝日岳へ続く稜線が見えたが、山頂は、まだ高く遠かった。標高差からいっても、あと500mあり、もう一つ山を登るといった感じであった。谷川岳の眺めを楽しみながら、ひとまず休憩を取った。
 清水峠の上の、鉄塔の立つピークからは、笹原の広がる清水峠が美しく眺めることができた。僅かに下って池ノ窪を過ぎると、急な登りが始まった。雲が出はじめて周辺の風景は見えなくなり、足もとを見つめて登りに汗を流すしかなくなった。ピークを登りつめたと思うと、その先に登りが続くといったことを何度も繰り返した。北面のザレ場の斜面を、足もとに注意しながら登っていくと、笹に囲まれた巻機山分岐に出た。巻機山への縦走路は、笹が被さって難路のようであった。この分岐のすぐ上がジャンクションピークであったが、標識はなく、通り過ぎて下り坂になって、それと気付いた。木道が現れると、山頂湿原の広がる朝日ヶ原であった。宝川温泉分岐を過ぎると、すぐ朝日岳の山頂に到着した。山頂標識らしき残骸はあるものの、字の読み取れるものは無く、ガイドブックにある小さな地蔵尊の石像で山頂を確認することができた。三角点は、周囲の土が無くなってしまい、倒れそうな石柱のように立っていた。その先の石の祠の置かれた小ピークの方が数メートルは高いように見えたが、帰宅後調べてみたところ、日本の山岳標高の見直しの対象にはなっていなかった。山頂付近の岩の間は、ホソバヒナウスユキソウのお花畑になっていた。他にもチングルマや、盛りは過ぎたがシャクナゲを見ることができた。ガスの間から見える笠ヶ岳は、痩せ尾根をたどってそれ程遠くはないように見えたが、眺めを期待して、次回の課題ということにした。下りは、坂を転げ落ちるように速かった。途中、雨がぱらついたが、なんとか天気は持ち堪えてくれた。
 清水峠の切り通しは、コイワカガミのお花畑になっていた。下山路の井坪坂コースは、馬道とも呼ばれる水平な道で始まった。昔は人馬が行き交ったことが偲ばれる幅の広い道であった。しかし、道が残雪で覆われ、倒れた木を跨ぎ越す所も現れ、この道が難所を越す道であることが納得できた。道の脇には、シラネアイの集落が多く、今回は予想もしなかった花の山旅になった。道は緩い傾斜で、何度も折り返しながら山を下るようになった。次第に、道の長さに嫌気がさしてきた頃、ナル水沢に出た。雪解けの増水の為か、水量は多く、靴を脱がないで渡ることは難しそうに見えた。沢を上下して、飛び石伝いに渡れる所をようやく見つけて、なんとか沢を飛び越すことができた。その先も緩やかな道が長く続き、桧倉沢の通過が次の要注意箇所になった。桧倉沢の河原は広く、水は伏流になって細い流れになっているため、容易に対岸に渡ることはできた。しかし、河原の幅が広すぎるため、対岸の登山道の取り付きが判らなかった。少し上流から川岸を慎重に観察しながら歩いて、ようやく残雪の向こうに登山道を見つけた。目印らしきものとしては、小さな石積みしかなく、赤テープのような物が欲しい所であった。視界が悪かったり、初心者が軽率に歩くと、谷に向かって河原を下ってしまい、危険な要注意箇所に思えた。最後に沢に向かって急斜面を下ると、林道に飛び出した。林道終点付近では、作業員が草刈りと倒木の処理を行っていた。車に戻り、コーヒーで一服していると、本降りの雨が始まった。朝のうちは山の良い眺めが得られ、雨具を着ないで山行を終えることができたことに感謝した。

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