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大石山、杁差岳

1995年6月18日 前夜発日帰り 3名グループ 快晴

大石山 おおいしやま(1567m)
杁差岳 えぶりさしだけ(1636m) 三等三角点 飯豊連峰(新潟) 5万 飯豊山 2.5万 杁差岳

ガイド:新潟の山旅(新潟日報社)、アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、飯豊連峰・朝日連峰(東京新聞出版局)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「飯豊山」(昭文社)

6月17日(土) 20:30 新潟発=(R.7、道の駅「豊栄」、新発田、R.290、胎内 経由)=22:00 胎内小屋  (テント泊)
6月18日(日) 3:50 胎内小屋発―4:28 足の松沢登山口―5:06 姫子ノ峰〜5:14 発―5:44 滝見場〜5:50 発―6:21 水場―7:39 大石山〜8:04 発―8:45 鉾立ノ峰〜8:51 発―9:22 杁差岳〜10:00 発―10:33 鉾立ノ峰―11:10 大石山〜11:41 発―12:23 水場〜12:41 発―13:05 滝見場―13:33 姫子ノ峰〜13:44 発―14:15 足の松沢登山口―15:08 胎内小屋=(胎内パークホテルで入浴後、往路を戻る)=18:05 新潟着

 新潟市から近い日本300名山は、粟ヶ岳、二王子岳に続いて杁差岳という順番になる。杁差岳は、飯豊連峰最北端の山であり、「杁差しの爺や」と呼ばれる残雪形が名前の由来といわれている。縦走路の終点から北に僅かに外れているため、飯豊本山と比べて登山者数は少なく、山頂付近には美しいお花畑が広がっている。また、大石山は、足ノ松尾根経由で稜線上に最短で到達できることから、新潟の登山者にとって飯豊登山の入門コースとして知られ、「近くて良き山」として愛されている。奥胎内から大石山を経由して杁差岳に登るコースは、飯豊連峰の全コースの内で唯一の日帰りコースであり、雑誌等にもっと紹介されて良いようにも思うが、とっておきの山ということで、このままの方が良いのかもしれない。  1992年6月13日、通算30回目の山行以来、杁差岳には2回目の登山になった。今回は、栃木県の生形夫妻を案内しての登山になった。道の液「豊栄」でおち合い、奥胎内の登山口に向かった。2年の間に、奥胎内ダムからの先は、良く整備された道に変わっていた。しかし、タヌキやノウサギが路上に飛び出してくるのは、あいかわらずであった。胎内ヒュッテの路上駐車場には、八分程の車がすでにとまっており、キャンプ場にもテントが張られていた。予定より早い到着時間であったので、テントを張って寝ることにした。ひとを誘ったために、今回は特に天気が気にかかっていた。谷間から眺める空には星が輝き、月明かりだけでも歩ける、快晴の夜になった。
 6月の山の良い所は、太陽が早く登ることである。4時前に、懐中電灯無しに出発することができた。一般車進入禁止のゲートから先は、大型車が楽にすれ違うことのできる、砂利を敷きつめた立派な道に変わっていた。谷を巻く所には途中3ヶ所橋がかけられ、対岸に渡る橋も新たに工事中であった。奥胎内地区ではさらにダムの工事が進められているようであるが、自然が損なわれないことを祈っている。朝の内の元気なこともあって、意外に早く、頼母木橋を渡った先の足の松沢登山口に到着した。ブナ林に分け入り、尾根に取り付くと、木の根を頼りの急斜面がいきなり始まった。ひとしきり登ると傾斜は幾分緩くなるものの、急であることにかわりはなかった。以前よりも急斜面に張られたロープの数も増しているようであった。姫子ノ峰に出て、谷合いに残雪の目立つ胎内尾根方面の展望が広がった。一息入れて、再び登りにとりかかった。帰りの登り返しが気になる小ピークや、岩場になった痩せ尾根を乗り越し、高度をひたすら上げるのに汗を流した。次第に広がっていく展望が、辛い登りの慰めになった。水場の先の沢は、残雪で埋まっていた。以前の時にはあった、ホースで水を引いた水場は、今回はまだ設けられていなかった。水場の先からは、再び急な登りに変わった。大石山の三角形の頂上は、まだまだ高い所にあった。最後は、各人マイペースで登り続けて、ようやく大石山の頂上に到着した。前回は霧の中であったが、今回は晴天のもとで、これ以上は無い眺めが広がっていた。頼母木山から門内岳へ次第に高さを増していく飯豊の主稜線が目の前に広がり、谷筋は残雪に埋まっていた。杁差岳はまだ遠くにあったが、その右手には朝日連峰が連なっていた。日本海も近くに見え、新潟東港の火力発電所の煙突群がはっきりと見えた。佐渡ヶ島さらに粟島といった日本海に浮かぶ島々も眺めることができた。しばらく休んだ後に、杁差岳に向かった。ハクサンイチゲ、コイワカガミ、シラネアオイのお花畑に喜んだのもつかの間、鉾立ノ峰に向かっての、足がとまりそうになる急坂が始まった。ようやく鉾立ノ峰に到着すると、その先は、再び大きな下りになっていた。この鉾立ノ峰は、杁差岳への大きな関門になっている。気を奮い立たせて急坂を下りきり、杁差岳への最後の坂に取り付いた。新築の立派な避難小屋からひと登りで、杁差岳の頂上に到着した。杁差岳の頂上には、小さな祠と三角点が置かれているだけで、山頂表示板や登山記念標識は全く無かった。ここで、ようやく精神的にも、大休止になった。記念写真をとり、山頂からの360度の展望を楽しんだ。大石山より標高が上がったため、胎内尾根に隠されていた越後方面の山が良く見えるようになった。山なみが幾重にも重なっていたが、いつもと見る方向が違っているため、山岳同定は難しかった。快晴の山頂は、それだけでも、山の印象を素晴らしいものにしてくれるが、この日の飯豊連峰は、残雪で最も美しい時を迎えていた。展望を楽しみ元気を取り戻した後に、下山にとりかかったが、鉾立ノ峰を越して大石山に戻るまでには、辛い登り坂が残されていた。他の日帰り登山客にも出会うようになったが、少人数グループの地元の人が多いようであった。大石山で再び休んだ後に、尾根の長い下りに取りかかった。気温も上がり始め、太陽の日差しが肌に突き刺さってきた。水場手前の残雪の上で、涼を求めて休憩した。休むごとに水を飲まずにはいられなくなったが、今回は晴天を予想して、3リットルもの水を持ってきたのが幸いした。木の根を足掛かりにしての下りは、気がぬけず、道もなかなかはかどらなかった。いつもながら、飯豊の山は、下るのも、登り以上に辛いものがあった。姫子ノ峰の先で、頼母木橋が眼下に見下ろすことができ、最後の力を振り絞った。林道に飛び出した時は、ほっとしたが、その先の林道歩きは、行きと違って辛いものがあった。胎内小屋付近は、車でいっぱいになっていた。胎内パークホテル(500円)で、山の汗を流して、山の締めくくりとした。

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