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金剛堂山、白木峰

人形山、三ヶ辻山

1995年6月10日〜6月11日 前夜発1泊2日 単独行 晴のちガス/快晴

金剛堂山 こんごうどうざん
 前金剛 まえこんごう(1637.9m) 一等三角点本点
 中金剛 なかこんごう
 奥金剛 おくこんごう(1650m) 標高点   飛越国境山地(富山) 5万 白木峰 2.5万 白木峰

白木峰 しらきみね(1596m) 測定点 1586.9m 二等三角点 飛越国境山地(富山、岐阜) 5万 白木峰 2.5万 白木峰

人形山 にんぎょうやま(1726m) 標高点 飛越国境山地(富山、岐阜) 5万 下梨 2.5万 上梨

三ヶ辻山 みつがつじやま(1764m) 二等三角点 飛越国境山地(岐阜) 5万 下梨 2.5万 上梨

ガイド:とやま山歩き(シーエービ)、日本300名山ガイド西日本篇、

6月9日(金) 19:10 新潟発=(北陸道 経由)=23:10 有磯海SA  (車中泊) 6月10日(土) 5:00 有磯海SA発=(北陸道、富山IC、R.41、八尾、R.472、利賀、上百瀬、林道和賀河合線 経由)=7:00 東俣峠〜7:18 発―7:54 登山道口―8:43 奥金剛―8:47 中金剛―8:54 前金剛〜9:08 発―9:15 中金剛―9:19 奥金剛―10:05 登山道口―10:38 東俣峠=(林道和賀河合線、楢峠、R.471、杉ヶ平、白木峰林道 経由)=12:24 1300m登山口〜12:27 発―12:52 アンテナ―12:57 白木峰〜13:05 発―13:18 三角点ピーク―13:31 白木峰―13:34 アンテナ―14:12 1300m登山口=(白木峰林道、杉ヶ平、R.471、八尾、婦中、R.359、庄川、R.156、上梨、田向、中根平 経由)=23:00 人形山登山口着  (テント泊)
6月11日(日) 4:53 人形山登山口発―5:38 第一休憩所―6:03 第二休憩所―6:25 宮屋敷―7:09 三ヶ辻山分岐―7:27 人形山〜8:02 発―8:19 三ヶ辻山分岐―8:44 三ヶ辻山〜9:00 発―9:24 三ヶ辻山分岐―9:53 宮屋敷―10:11 第二休憩所―10:26 第一休憩所―10:54 人形山登山口=(中根平、田向、上梨、R.156、礪波IC、北陸道経由)=17:05 新潟着

 加越・濃飛地方の山々には、19もの三百名山が含まれているが、東京から遠いこともあってか、白山を除いて、ガイドの空白地帯になっている。山と渓谷社のアルペンガイド「鈴鹿・美濃」がこの地域に一部かかっているが、鷲ヶ岳、大日ヶ岳、能郷白山の三山が記載されているにすぎない。一部の山にのみ人が集る百名山病が批判されているが、毎年夏になると日本アルプスの特集を繰り返して、このような山の記事を載せない雑誌社の罪も大きいように思う。三百名山、あるいは1000山を、もっと積極的に流行させてみたらどうであろうか。登山客も全国に分散すると思うのだが。その意味からいっても、山と渓谷社の分県登山ガイドが、全国をもうらする日を、待ち望んでいる。
 金剛堂山は、堂々とした根張りの大きな山であり、西白木峰とも呼ばれていた。古くからの修験道の山として栄えたといわれているが、江戸末期の第十代富山藩主前田利保公の登山が名高い。山頂は三つに分れ、前金剛に一等三角点、中金剛に前田利保公の歌碑、奥金剛が最高点と、それぞれの役割を分担している。なお、歌碑には、前田利保公の登山の際の以下の歌が刻まれている。
  飛騨信濃木曽の峰々みな見えて
  西はのこさぬ白木峰かな
 白木峰は、金剛堂山近くにある山である。山頂部にアンテナが立ち、車道が頂上付近にまで上がってしまって、容易に山頂に達することのできる山である。山頂部には、池塘が点在する草原になっている。
 人形山と三ヶ辻山は、合掌作りの民家の観光で賑わう五箇山の上にそびえる山である。二つの山は、稜線を連ね、登山道も両者の鞍部に登ってくるため、セットとして考えるべき山である。人形山の名前は、雪形に由来しているが、他に、左甚五郎が木の人形をつくり、これに魂を吹き込んで、山地を開墾させた後に、これを埋葬したという説がある。
 いよいよ、梅雨入り宣言が出されたが、この週末には、北陸、東北地方には晴れ間が広がりそうであった。今週は、北陸地方の山に出かけることにした。富山・岐阜県境には、金剛堂山、白木峰、人形山といった二百、三百名山がまとまっているので、効率的なピークハントをもくろんだ。
 高速道路のSAで仮眠後、夜明けを待って山に向かった。八尾を越すと、国道のくせに、細くて車のすれ違いが困難な道になった。利賀村付近は、観光施設やスキー場が設けられて、道路はここだけ広くなっていた。上百瀬から、未舗装の林道に入ると、すぐの所に栃谷の登山口があった。広い駐車場と、登山の案内板が立てられ、ここがメインの登山口のようであった。さらに林道を20分程登っていくと、東俣峠に到着した。この峠は、道路地図には載っていないが、左右に林道が延びた十字路になっていた。林道の入口には、金剛堂山登山口の標識と、村民1000円、村外者の入山料は5000円という看板が立てられており、広場のかたわらには番人の監視小屋も建っていた。登山者からも金を取るのかと一瞬思ったが、この入山とは山菜採りのことだとようやく気づいた。広場に車をおいて、いつもはゲートに鎖が掛けられているらしい林道を歩き出すと、地元の車に追い抜かれた。林道沿いには、山菜採りの車が、数多くとまり、どうやら、姫タケノコを採っているようであった。ガイドブックには、登山道は林道と交差するように書かれていたが、完全な林道歩きがしばらく続いた。金剛堂山登山口という標識から、ブナ林の下生えの笹原の中の道に入った。一旦僅かに下った後に、笹原の緩やかな登りになった。小さなピークの向こうに、奥金剛が、三角形の山頂をのぞかせていた。山頂部の窪地に残る雪田を眺めながら歩き、短い急斜面を越すと奥金剛に到着した。この山頂は、付近で一番高いことから、奥金剛だろうと見当を付けたが、標識はなにも無かった。ここからは、緩やかに笹原が起伏する山頂漫遊となり、中金剛に到着した。白い岩に刻まれた歌碑が置かれていたが、字は全く読みとれなかった。それほど古い歌碑ではなさそうであったが、山頂に置くには、彫りが始めから浅かったのかもしれない。次のピークが前金剛で、祠、一等三角点、大きな円テーブル状の展望盤が、賑やかに置かれていた。ガイドブックの印象からは、三つの大きなピークを縦走するような印象を抱いていたが、たとえば栃谷の登山口から登ってきたならば、前金剛に荷物をデポして、カメラ片手に奥金剛までを散策するといった風の山頂であった。せっかくの展望盤にもかかわらず、ガスがあがってきて、山頂を隠し始め、次にもう一山を予定していたため、下山に移ることにした。林道にもどると、さらに多くの山菜採りの車が路肩に停っていた。東俣峠からのコースは、山頂までの標高差が僅かで、距離のわりには林道歩きが多くを占めるため、時間もそれ程かからない楽なコースであった。気楽に山を楽しめるコースであるにもかかわらず、東俣峠からの登山客は、他に1名のみであった。
 続いて、白木峰に向かって車を走らせた。白木峰は、金剛堂山の東隣りにあるため、金剛堂山の南端を回りこんで、楢峠を経由すれば到着できるはずであった。悪路の林道和賀河合線を越しても道は細く、しかも、山菜採りのためか車が多く、神経の休まる暇のない運転が続いた。R.471の途中では、日中は工事で通行止めの所があったようであるが、幸い昼休みのために、無事通過することができた。白木峰林道を登っていくと、再び悪路が始まった。標高1300m地点の登山口には、駐車場が設けられていたが、車が路上まで溢れていた。ここも、登山客よりは山菜採りの方が多いようであった。林道から分かれて、左手の登山道に入ると、急坂の一直線の登りになった。途中、林道と2度程交差すると、アンテナの建つ広場の一角に出た。林道はここまで上がってきており、広場は円形の図形が書かれて、ヘリポートになっているようであった。ガスで視界は閉ざされており、山頂がどこかわからなかった。アンテナ施設の金網を回り込んでいくと、湿原の中に敷かれた木道が現れ、じきに白木峰と書かれた立派な看板の立つ山頂に到着した。ガスで何も見えないのが残念であった。ガイドブックを読み返してみると、三角点ピークが別にあるようであった。浮島方面という標識に従って木道を先に進んだ。小さな池塘が点在し、この風景がこの山の人気の大きな要素になっているようであった。途中から、雨が降り始め、傘をさしながらの歩きになった。三角点は、笹に囲まれた特徴の無いピークに置かれていた。視界も利かないことから、ここから引き返すことにした。先ほどまでは、山頂に4名の登山客が休憩していたが、誰もいなくなっていた。下りは、林道を歩いてみることにした。山頂部の林道は、中腹の悪路とは異なって、立派な舗装道路に整備されていた。
 翌日の人形山登山のために、登山口まで到着しておくという仕事が残っていた。利賀村から庄川沿いに出れば距離的には近いが、山道の走りにはうんざりであった。道路工事の迂回路のために、八尾に迷い出てしまったことを幸いにして、平野部を大きく迂回することにした。途中でビールと食料を買い込み、日帰り温泉を捜しながら車を走らせた。R.156が庄川の右岸に渡った所に、新しくできた平村ふれあい温泉センター「ゆー楽」があった。入浴料500円で、庄川のダムを見下ろす露天風呂も設けられていた。すっかり、温泉気分になり、湯船からあがった後で、生ビールの誘惑に負けてしまった。酔いをさますため、しばらく座敷で休憩し、もう一度温泉に入りなおしてからの出発になった。観光施設の並んだ上梨の町中から橋を渡った所に、人形山への林道が分岐していた。林道入口には、大きな落石があり、乗用車がようやくすり抜けるだけのスペースしかなかった。躊躇していた所、奥から車が下りてきたので、先に進むことにした。湯谷では、渓流釣り大会が日曜日に開催されるとのことで、河原にテントが張られていた。沢に沿って登っていくと、道は狭い悪路になって、結局行き止まりになってしまった。人形山への林道の入口を見落としたためで、後戻りすることになった。広くなった河原の片隅から、林道が分岐していた。この林道は、比較的広く、坂を上っていって、2車線の舗装道路に変わったと思ったら、大きなカーブの先でこの道も行き止まりになった。ビールのために思考力が低下しているためかと思って、夜明けを待つ覚悟を決めたところ、カーブの手前から細い道が分岐しており、これが本当の道であった。林道をたどった先の、中根平には、一般の観光客を対象としていると思われるレストハウスと山荘が並んでいた。車を置いて登山口を捜しに歩くと、15分程先であった。登山口には、上下5ヶ所程に分かれた整備された駐車場が設けられていた。日本アルプスの登山口でもなければ、これだけの大駐車場は必要になりそうになかったので、不思議に思った。五箇山の観光客を目当てに、森林休養施設でも作ろうと計画しているのであろうか。先客として、一張りのテントが立てられていた。車を乗り入れて、テントを張ってビールを飲んで、目が覚めたら朝になっていた。
 霧の朝であった。出発の準備をする間にも、青空が見え始めた。登山口には、水飲み場が設けられ、登山標識に頂上まで6キロと書かれていた。そうたやすくはない距離で、覚悟を決めて歩きだした。登山道は、杉林の中を一直線に登っていった。傾斜は、それ程急ではないが、傾斜が緩むことも無いので、登り始めてすぐに汗がにじみでてきた。コースタイムを大幅に超過して、第一休憩所に到着した。歩く速さはそれ程遅かったわけではないので、ガイドブックの時間が間違っているようである。右手の谷越しには、残雪と新緑に彩られた人形山が、始めて姿を現した。あいかわらず一直線の道が続き、第二休憩所を越すと、傾斜も次第にきつくなってきた。木の鳥居の立つ宮屋敷に到着すると、周囲の展望が一気に開けた。今年一番の晴天になっていた。右手には、人形山が大きく稜線を広げ、その左手には、三ヶ辻山の三角形の山頂が頭を覗かせていた。東には、逆光ではあるが、立山連峰が望まれた。宮屋敷からは、近づいてくる人形山と三ヶ辻山を眺めながらの稜線歩きになった。谷から立ち上がる三ヶ辻山は特に立派で、人形山よりも登頂意欲をそそられるピークであった。一旦下った後に、稜線までの急坂になった。急坂にはトラロープも張られて、多くの踏み跡も見られ、6月第1日曜日の山開きでは多くの登山客が登ったようであった。稜線上の三ヶ辻山分岐に出て、まずは人形山に向かうことにした。やせた尾根に出ると、白山方面には思わず目を見張る展望が広がっていた。風景を楽しむのは、山頂に着いてからということにして、山頂に向かう足を速めた。人形山の山頂は狭く、金属製円筒の上に展望盤が置かれていたが、周囲の潅木が展望の邪魔をしていた。まずは、潅木の上に立って、西の展望を楽しむことにした。手前には金剛堂山が広がり、その左手には、アンテナでそれと判る白木峰が顔を覗かせていた。その背後には、剣岳、立山、薬師岳、槍ヶ岳、穂高岳といった北アルプスの連なりが雲海の上に横たわり、その右手には、乗鞍岳、御岳山が孤高を誇っていた。西方の眺めのためには、山頂への登り口の左手の踏み跡をたどった先の笹原に展望台があった。谷の向こうに、残雪の残る大門山、大笠山、笈ヶ岳、白山の連なりが広がっていた。山の頂きから見える山を、次の山に選ぶという話を聞いたことがある。大門山や大笠山はまだしも、笈ヶ岳は、登ることはかなわぬ、あこがれの山に終わりそうである。左右の展望を楽しみながら、三ヶ辻山分岐まで引き返した。三ヶ辻山への登山道は、あまり踏まれておらず、木の根や倒木で歩きづらい所もあり、残雪の歩きも所々現れた。足場の悪い急坂を登りつめると、三ヶ辻山であった。太陽が上がって、立山方面の山肌が見分けられやすくなったが、乗鞍岳や御岳山は雲に隠れてしまった。下りにかかると、多くの登山客に出会うようになった。気温も上がり、遅い時間での登りは辛いものになりそうであった。一直線の下りの登山道は、とめようとしても速足になった。最後に出会った登山グループは、10時過ぎの第一休憩所の家族連れであったが、山頂まで往復できるはずが無いことを、口に出すべきか迷った。人形山は、歩きでも十分にあり、予想以上に素晴らしい展望を楽しむことのできる山で、全国レベルでもっと紹介されても良い山であった。昨日に引き続き温泉センター「ゆー楽」に入り、山の汗を流して、新潟への帰路についた。

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