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高原山、小野岳

1995年5月27日 前夜発日帰り 単独行 晴

高原山 たかはらやま
 鶏頂山 けいちょうざん(1765m)
 釈迦ヶ岳 しゃかがたけ(1795m) 一等三角点本点 塩原(栃木) 5万 塩原、川治 2.5万 塩原、高原山、川治
ガイド:アルペンガイド「奥日光・足尾・那須」(山と渓谷社)、300名山登山ガイド上巻(新ハイキング社)、関東百名山(山と渓谷社)

小野岳 おのだけ(1383m) 二等三角点 南会津(福島) 5万 田島 2.5万 湯野上、上三寄
ガイド:分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、ふくしまの山50(歴史春秋社)、東北百名山(山と渓谷社)

5月26日(金) 20:15 新潟発=(R.49、会津坂下IC、磐越自動車道、東北自動車道)
5月27日(土) =0:00 那須高原SA着  (車中泊)
4:20 那須高原SA発=(西那須野塩原IC、R.400、塩原、日塩有料道路 経由)=5:25 鶏頂山荘入口着〜5:45 発―6:04 枯木沼〜6:10 発―6:26 メープル第2高速ペアリフト降場―6:42 弁天沼―7:00 稜線分岐―7:10 鶏頂山〜7:30 発―7:37 稜線分岐―7:43 最低鞍部―8:13 釈迦ヶ岳〜8:43 発―9:13 最低鞍部―9:26 弁天沼―9:41 メープル第2高速ペアリフト降場―9:54 枯木沼―10:10 鶏頂山荘入口=(日塩有料道路、塩原、R.400、R.121、田島、R.121、湯野上温泉、大内宿 経由)=12:17 大内登山口林道〜12:21 発―12:25 小野岳大内登山口―12:47 鉄塔(大望台)―13:27 沼尾登山口分岐―13:36 小野岳〜13:43 発―13:49 沼尾登山口分岐―14:21 鉄塔(大望台)―14:38 小野岳大内登山口―14:41 大内登山口林道=(大内宿、湯野上温泉、R.118、芦ノ牧温泉、会津本郷、会津坂下、R.49 経由)=19:45 新潟着

 高原山は、那須連峰の南に位置し、鶏頂山、釈迦ヶ岳、西平岳、剣ヶ峰の諸峰の総称である。釈迦ヶ岳は、その主峰であり、一等三角点が置かれている。鶏頂山は、釈迦ヶ岳の南西に位置するピークであるが、山麓に古くからスキー場が開設されており、東京方面からは、鬼怒川温泉から奥に入った川治温泉の上の山として、この名前のほうが知られている。スキーシーズン以外は、静かな山のはずの鶏頂山に異変が生じたのは、1993年から94年にかけてのことであった。霊水騒ぎが起こり、水汲みの人々が押し掛けて、ポリタンクの行列ができたという。この霊水「鉄鉱水」は、ゲルマニウム鉱泉で、ピレネー山脈の「ルルドの泉」と似た成分を有しているとのことである。1994年11月1日より一般の取水は禁止になり、この霊水騒ぎも終わったようである。(山と渓谷 93年11月 小林泰彦の「百低山探訪」栃木・高原山、94年11月 山ヤ自身 奇跡の水?「鉄鉱水」をさがせ!)
 会津若松から大川と名前を変えた只見川をさかのぼり、湯野上温泉に近付くと、おわんを伏せたように頭上に迫ってくる山が、小野岳である。南会津の山は、東武鉄道の野岩線への乗り入れによって、首都圏と結ばれたために、最近、人気が高まっている。小野岳は、登山口に江戸時代からの宿場である大内宿があり、この観光スポットと結んで、関東地方からのハイカーが訪れるようになっている。
 300名山めぐりとして、昨年の秋に高原山を訪れようと思っていたが、霊水騒ぎが報じられて機会を逸した。94年11月に取水禁止になって、山は静かになっただろうと思い、ようやく出かけることにした。久しぶりに晴の週末になりそうであった。高速のSAで仮眠後、緑がまぶしい早朝の日塩もみじラインに走り込んだ。早朝で料金所は閉っていたが、料金後払いのために、結局はお金を取られることになった。山に関係する有料道路としては、日光の金精道路、鳥海山ブルーラインは、夜間は無料であった。鶏頂山には、子供の頃、東武線の夜行列車を使ってスキーに何度もきたことがあった。久しぶりの鶏頂山周辺は、新しいスキー場がオープンして、昔とかなり雰囲気も変っていた。鶏頂山荘入口からスキー場に入る道路は、鎖の掛けられた門で閉じられていたため、路肩に車をとめて歩きだした。オフシーズンのスキー場は人気も無くひっそりとしていた。登山道の標識はなにもなく、ガイドブックの文章を頼りに、正面左手のペアリフト沿いのゲレンデの中の踏み跡を登った。ペアリフト終点まで登り、その先の鳥居をくぐると枯木沼に出た。昔のゲレンデはここまでであったが、現在では、枯木沼をわたったその先の山の斜面にまでスキー場が延びていた。枯木沼には、木道が敷かれ、小さいながら美しい湿原が広がり、前方に鶏頂山のとがった山頂が姿をのぞかせていた。木道の分岐点に、始めて、鶏頂山を示す登山標識が現れた。木道から降りて、笹原の中の登山道を登っていくと、再びスキーゲレンデに飛び出した。帰り道に、この登山道とゲレンデとの合流点を捜すため、滑降コース中央の木に取り付けられた、鶏頂山を示す古びた木の標識を良く覚えておくことにした。ゲレンデを再び登っていくと、右手から登ってくるメープル第2高速ペアリフトの降り口に出て、ようやくゲレンデの登りも終わりになった。登山道の入口には、鉄鉱水の取水の禁止通告と、「引き返せ、車のナンバーはひかえられている」という警告の標識が掲げられ、善良な登山者にも後ろめたい気分を与えていた。樹林帯の中の登山道を進んでいくと、弁天沼に到着した。ここにも鳥居があり、栄明雲神と刻まれた石碑の脇に鐘が置かれていた。撞木を取り上げて、一回叩いたが、静かな山に鐘の音が吸込まれていった。道は二つに分れ、右手に鶏頂山を目指すことにした。急な登りも僅かで、稜線の分岐点に出た。鶏頂山への登りは急で、工事用トラロープも張られていた。左手は、崩壊の目立つ崖で、谷越えに釈迦ヶ岳がそびえていた。急斜面を登り切って鳥居をくぐると、神社の社殿があり、鶏頂山に到着した。社殿の後からは、釈迦ヶ岳と左右に続く稜線の展望が広がっていた。西の日光連山の展望は、木が邪魔していた。鳥居の脇から西に向かう踏み跡があり、少し下ると植林地に出て、西から北にかけての遮るものの無い眺めが広がっていた。久しぶりの雲一つ無い快晴で、大展望を楽しんだ。一際大きいのは左に男体山、右に太郎山を従えた女峰山で、その右手に顔を覗かせる残雪の残る山は尾瀬の燧ヶ岳であろうか。鬼怒沼山から帝釈山、田代山の連なりの向こうには、残雪に白く輝く山の連なり、おそらく、会津駒ヶ岳を中心とする山々が見えた。北には、南会津の山々が広がり、以前に登った七ヶ岳や荒梅山も見当は付いたが、確証はなかった。展望を楽しんだ後、釈迦ヶ岳に向かうことにした。急斜面を下り、先の分岐から稜線をさらに進んだ。右手は、崩壊が進んだ崖で、その縁には笹が覆っており、踏み抜かないように注意が必要であった。最低鞍部に出ると、左手から登山道が登ってきており、これが下山路の弁天沼への道のようであった。鞍部の少し上に、問題の鉄鉱水への降り口があり、進入禁止のロープが張られていた。降り口の周囲には、通常の登山者であったならばこれほど汚さないだろうと思う程、ゴミが散乱していた。もう少し、この霊水騒ぎが続いていたら、霊水どころか、大腸菌の汚染水に変っていたかもしれない。再び急な登りになり、小さな石の祠の置かれた御岳山を越すと、笹が登山道を隠すようになった。鞍部付近では、足下の感覚で道を捜す薮こぎになったが、釈迦ヶ岳の登りになると、道は再び明瞭になった。釈迦ヶ岳の頂上は、平な笹原で、一等三角点と釈迦如来の石像が置かれていた。鶏頂山よりも眺めは広く、那須連峰や男鹿山塊も含めて360度の展望であった。山頂で休んでいるうちに、日光連峰方面に雲が現れ、男体山は隠されてしまい、下山することにした。薮をかきわけながら最低鞍部に戻り、弁天沼に向かった。残雪も僅かであるが残る、足場の悪い道で、ここを20リットルのポリタンクを背負って下っていたとは、信心とは無茶なことをさせるものだと思った。弁天沼に近付くと、鐘の連打の音が聞こえ、沼に出てみると、経文を墨書した白衣を着た二人連れがお参りをしていた。釈迦ヶ岳の信仰は、現在でも続いていることを知った。下山途中、他のハイカーも登ってくるようになった。出会ったグループと立ち話をし、二人連れの信者のことを話したら、近頃では信者はヤバイ、勧誘されないだろうか心配だ、と冗談を言っていた。晴天に誘われて、子供連れも含めて幾組もの登山グループも登っていたが、異常なブームは去り、山は再び静けさを取り戻していた。この鉄鉱水は、近くのロッジで販売中とのことであったが、幾らの値段で、どれほど売れているかは確かめなかった。
 山を下りても昼前で、温泉にも誘惑されたが、もう一山登ることにした。南会津は、道路が良く整備されている割には、交通量は少なく、快適なドライブを楽しむことができた。大内宿は、入口に有料駐車場が設けられ、観光地として賑わっていた。小野岳の大内登山口へ通じる林道の入口は、登山客注意という標識で見つけることができた。未舗装の林道を上がっていくと、路肩の広場に車がとめてあったので、ここから歩くことにした。林道を登って行くと、大きな広場が設けられた登山口に出て、車はここまで入ることができる事を知った。登山道は、杉林の中の真っ直ぐな登りで始まり、沢沿いにしばらく登った後に、左手に折れ曲がるように急登すると、稜線上の一角に出た。左手に鉄塔が立ち、木に大望台という名前が書かれていたが、眺めはそれ程良くなかった。木で階段状に整備された急坂はさらに続き、周囲に広がるブナ林だけが慰めとなった。頭上に見えるピークにたどり着いてその先を見ると、道は一旦下り、本当の山頂は、さらに遠く高かった。コースタイムの短さにつられて、この山を選んだことを少し後悔した。急坂と足の我慢比べの後に、ようやく山頂に到着した。立てられた柱に、山開きの記念プレートが何枚も打ち付けられていた。ある年のプレートには、登山者120人と書かれていたが、この山は、ブナ林の森林浴を味わうべきで、大人数で登るような山ではないのにと思った。午後になって雲が出てきたため、山の眺めとしては、川向こうの大戸岳が見えるのみであった。下りは、急斜面に足を痛めないように、登り以上に気を使う必要があった。車に戻った時には、今日のところは、山はもう充分という気持ちになっていた。塩原温泉をパスしてしまった代りに、芦ノ牧温泉のドライブインに併設されている、ドライブ大浴場に入浴した。石鹸、シャンプーは持込む必要はあったが、熱い湯で、なにより290円と安かった。

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