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宇津峰、鎌倉岳(竹貫)、妙見山

1995年3月18日  日帰り 単独行 雪

宇津峰 うつみね(677m) 二等三角点 阿武隈山地(福島) 5万 須賀川 2.5万 須賀川東部
ガイド:福島県の山(山と渓谷社)、ふくしまの低山50(歴史春秋社)

鎌倉岳(竹貫) かまくらだけ(たけぬき)(669m) 四等三角点 阿武隈山地(福島) 5万 竹貫 2.5万 磐城新宿
ガイド:アルペンガイド「奥日光・尾瀬・那須」(山と渓谷社)、福島県の山(山と渓谷社)、ふくしまの山50(歴史春秋社)、新ハイキング93年5月

妙見山 みょうけんやま(675m) 一等三角点補点 阿武隈山地(福島) 5万 竹貫 2.5万 磐城新宿
ガイド:新ハイキング93年5月

3月18日(土) 4:25 新潟発=(R.49、会津坂下、磐越自動車道、東北自動車道、郡山IC、R.49、鈴ノ内)=8:20 林道終点〜8:25 発―8:35 宇津峰山頂〜8:45 発―8:52 林道終点=(R.49、上三坂、R.149、古殿町)=10:20 鎌倉岳登山口〜10:25 発―10:32 遊歩道入口―10:37 鎌倉岳山頂〜10:44 発―10:48 遊歩道入口―10:55 鎌倉岳登山口―11:10 石井草妙見山登山口〜11:12 発―11:29 妙見山〜11:33 発―11:45 石井草妙見山登山口=(新宿、八幡下、石川町、R.118、須賀川、東北自動車道、磐越自動車道、会津坂下、R.49)=17:10 新潟

 宇津峰は、南北朝時代に霊山とともに南朝最後の砦になった山で、山中には城址や祠などが残されている。R.49沿いには、宇津峰の名前のつけられたドライブインやモーテルがあり、地元に親しまれた山のようである。
 鎌倉岳は、阿武隈山地にはもうひとつ常葉町にもあるため、こちらの方を竹貫鎌倉岳と呼んで区別している。鎌は尾根がやせて鋭く、また倉は岩場を持っていることを現して、この山が険しい岩山であることを示している。この山には、竹貫城に鎌倉から嫁いできたお姫さまが、故郷をしのんで泣きくらしていたところ、この山の頂きに登ったならば鎌倉が見えるといって、お姫さまを山に連れていったところ大層喜び、以来鎌倉岳と呼ぶようになったという伝説が残されている。
 妙見山は、一般のガイドブックには載っておらず、一等三角点の山ということで登られている山のようである。比較的名前の知れた鎌倉岳の登山口とは舗装された林道で結ばれており、車なら二山を続けて登ることができる。
 週末毎に荒れ模様の天候になっている。悪天候でも登ることのできる阿武隈山地の山に出かけることにした。まず、R.49を走るたびに気になっていた、宇津峰に登ることにした。大きな看板に導かれて舗装された林道に入ると、大きな鳥居の立った馬場平の登山口に到着した。林道はさらに山頂直下まで続いているようなので、車をさらに走らせた。登るにつれ、雪が吹きだまり状に積もった所も現れ、慎重に車を走らせた。花見台という展望台を過ぎると、林道は終点になり、その先に登山道が続いていた。雪の中、雨具を着て出発した。ゆるやかに登って行き、あづまやを過ぎると、てすりの設けられた急な登りがはじまった。急な登りも僅かで、山頂に到着した。右手の林の中には、いくつもの祠が並んでおり、左手の柴地の山頂には、三角点が土に埋って、頭だけを出していた。新奥の細道という標識もあり、この山は史跡の山として整備されているようであった。
 続けて鎌倉岳に向かった。R349から古殿町の役場の前に曲る道が、そのまま鎌倉岳への林道に続いていた。山に向かって登りはじめると分岐があり、標識に従って左手に進むと、後は迷うことの無い一本道で鎌倉岳の登山口に到着した。登山口には、駐車場と案内板、トイレが整備されており、シーズンには登る人も多いようであった。未舗装の林道を登っていくと、鳥居が現れ、そこから少し登った所に、山頂直下を一周する遊歩道の入口があった。山頂へは、岩場混じりの急坂になった。鎖の付いた手すりが儲けられていいたが、道の真ん中に立っているため、かえって歩きづらかった。山頂は狭く、周囲は切り落ちていた。雪雲の間からは箱庭のように、麓の町並みを見降ろすことができた。 鎌倉岳登山口から、登ってきた舗装された林道をそのまま進んで行くと、石井草の集落に出て、新ハイキングの紀行文にあった通りに、集会場の先に大黒様の石像があり、その脇に妙見山登山口の小さな標識が掛けられていた。新築のお屋敷の軒先を通り抜けると、妙見山の標識があり、右手に登り始めると、再び標識があって、竹林の中の尾根伝いの登りになった。杉の植林地を登っていくと、笹が少しうるさい道になったが、踏み跡はしっかりしていた。山頂には祠があり、その先に一等三角点があったが、木がのびて展望は得られなかった。かたわらにはテレビの共同アンテナが立てられており、その保守のための道が登山道になっているようであった。登り時間の少ない山でも、三山を続けると、結構草臥れた。

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