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高水三山

1995年3月12日 日帰り 単独行 晴

高水山 たかみずさん(759m)
岩茸石山 いわたけいしやま(793m)
惣岳山 そうがくさん(756m) 奥多摩(東京) 5万 五日市 2.5万 武蔵御岳

ガイド:アルペンガイド「奥多摩・奥秩父・大菩薩」(山と渓谷社)、東京都の山(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、関東百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「奥多摩」(昭文社)

3月12日(日) 6:21 新潟発=(上越新幹線)=8:10 大宮着=8:13 発 (川越線)=8:21 武蔵浦和=8:29 発=(武蔵野線)=8:55 西国分寺=8:58 発=(中央線)=9:03 立川=9:20 発=(青梅線)=10:10 軍畑―10:32 高源寺―11:14 白岩分岐―11:21 常福院〜11:27 発―11:31 高水山―11:58 岩茸石山〜12:06 発―12:40 惣岳山―13:30 慈恩寺―13:35 御嶽駅=13:36 発=14:25 立川=14:30 発=14:35 西国分寺=14:38 発=15:05 武蔵浦和=15:23 発=15:30 大宮=15:58 発=16:36 高崎=16:38 発=18:02 新潟

 高水三山は、奥多摩の入口に、多摩川を挟んで御岳山と向き合う山であり、高水山、岩茸石山、惣岳山の三山を総称して、高水三山と呼んでいる。高水山には常福院、惣岳山には青渭(あおい)神社があり、古くから信仰の山とされてきたが、現在では、奥多摩入門コースとして人気の高い山になっている。皇太子御夫妻が、結婚後初めてのハイキングを楽しまれたのがこの山であったのも記憶に新しい。
 この週末も低気圧が通過して関東地方は雨になり、山岳部は雪で、天候の回復を待っての日曜登山になった。この冬は何回も利用した東日本JR乗り放題のハートランドフリー切符も、3月12日が最終日なので、始発の新幹線で奥多摩に出かけることにした。大宮から川越線、武蔵野線、中央線と細かく乗り継いだが、東京を経由するより30分程は時間の短縮になった。奥多摩行きの電車は、満員の盛況であった。ハイキング客も目立ったが、吉野梅園の梅見物の観光客が特に多かった。車窓から、残雪で山腹が斑に白く染った奥多摩の山々が次第に迫ってくると、登山口となる軍畑の駅に到着した。車道歩きで汗ばむようになる頃、高水山登山口の石碑の建てられた高源寺に到着した。車道歩きは、さらにその先の民家が跡切れる所まで続いた。ようやく登山道が始まると、砂防工事の迂回路のために、植林地の中の急な登りになった。本来の登山道に戻ると、歩きよい道になった。ジグザグに道が切られた急坂を登り終えると、尾根上の道になって傾斜もやや緩やかになった。日影には残雪があらわれ、ぬかるみでズボンの裾が気になりだした。高水山の山頂直下にある常福院は、小さいながら立派なお堂と境内をもっており、山の頂上部にあるのが不思議な感じであった。境内は、休憩をとるハイカーで一杯であった。リュックを下ろしたついでに、泥対策のためにスパッツを付けることにした。最近の山では、汚れを嫌ってか、スパッツを付けたファッションが定着しているように思っていたが、この山ではスパッツを付けている者はいなかった。奥多摩入門コースの山であるためか、ハイカーの多くは、残雪と雪どけの泥道を予想していなかったようである。高水山の山頂手前で、御岳山方面の展望が僅かに開けたが、山頂には金網で囲まれた電波中継施設があって落ち着かない所であった。残雪に覆われた急坂を下り、水平の巻き道から分れて、石の露出した急坂を登ると岩茸石山の山頂に到着した。北の眺めが良く、こちらの方が休憩に適した山頂であった。おそらく棒ノ折山と思われる山からは、四方に山が続いていた。三山の最後になる惣岳山は、登山道の表示がはっきりしておらず、途中で山頂に向かっているらしい踏跡を見送って広い登山道を歩いていくと、御嶽駅の標識が現れて、道は下り始めた。はっきりしない踏み跡をたどって山頂目指して登っていくと、金網で囲まれた青渭神社が達つ惣岳山山頂に到着した。惣岳山は、林で覆われて展望は無く、陰気な山頂であった。登山標識の示す方向を見ると、下っていく整備された登山道が見つかった。下りは、植林帯の中をジグザグに下っていく、結構歩きがいのある道であった。ようやく車道に飛び出して線路を渡ると、名物のソバ屋の前は、順番待ちの観光客の列がならんでいた。青梅線は、途中から通勤列車並みの混雑となり、電車の乗り継いで新潟に戻るのも楽ではなかった。

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