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高鈴山、御岩山、神峰山、堅破山、土岳

1995年2月25日 前夜発日帰り 単独行 晴

高鈴山 たかすずやま(623m) 一等三角点本点 阿武隈山地(茨城)
御岩山 おいわさん(492m)
神峰山 かみねやま(598m) 5万 日立 2.5万 町屋、日立
ガイド:アルペンガイド「奥日光・足尾・那須」(山と渓谷社)、茨城県の山(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)

堅破山 たつわれさん(658m)二等三角点 5万 高萩 2.5万 堅破山
ガイド:アルペンガイド「奥日光・足尾・那須」(山と渓谷社)、茨城県の山(山と渓谷社)、関東百名山(山と渓谷社)

土岳 つちだけ(600m) 三等三角点 5万 高萩 2.5万 堅破山、高萩
ガイド:茨城県の山(山と渓谷社)

2月24日(金) 19:50 新潟発=(R.49、会津坂下、磐越自動車道、東北自動車道、郡山IC、R.49、いわき中央IC、常磐自動車道 経由)
2月25日(土) =0:20 中郷SA着  (車中泊)
6:10 発=(日立中央IC 経由)=6:35 もとやま自然の村林道口着―6:43 発―6:55 もとやま自然の村―7:06 大角矢林道入口―7:27 十文字―7:42 高鈴山着〜7:45 発―8:05 御岩山―8:24 旧トンネル神峰山入口―8:50 神峰山〜8:55 発―9:13 車道―9:30 もとやま自然の村林道口=(本山トンネル、下深萩、R.349、上深萩、新田、鬼越 経由)=10:10 堅破山登山口〜10:15 発―10:40 弁天池―10:43 太刀割石―10:55 堅破山山頂―11:06 弁天池―11:27 堅破山登山口=(黒坂林道、米平、鳥曽根 経由)=12:05 津智岳橋土岳登山口〜12:08 発―12:32 土岳神社入口―12:48 土岳山頂〜13:00 発―13:11 土岳神社入口―13:28 津智岳橋土岳登山口=(高萩IC、往路を戻る)=21:00 新潟着

 高鈴山は、阿武隈山地の南端に位置し、太平洋に面する山で、一等三角点の置かれた展望の良い山として知られている。高鈴山から、御岩山、神峰山、羽黒山を経て、かみね公園に至る尾根道は、ハイキングコースとして整備されている。
 堅破山は、山中に巨石や奇岩が点在することから、古来、山岳信仰の霊場になってきた。特に、巨岩が二つに割られたような太刀割石は、この山のシンボルとなっており、「たちわりいし」がなまって山名の「たつわれ」になったといわれている。
 土岳は、阿武隈山地に属する多賀山地の中央にあり、典型的な浸食残丘である。花貫渓谷と合せて、ハイキングコースやキャンプ場の整備が進められている。
 路面の凍結の心配も無くなり、久しぶりに自動車を利用して山に出かけた。阿武隈山地には多くの一等三角点があるが、残雪の心配の無い茨城県の高鈴山まで足を延ばすことにした。常磐自動車道の中郷SAで、仮眠をとったが、このSAには、終夜営業のスナックコーナーは無かったので、途中で弁当を買っておいて良かった。日立中央ICで高速を下りると、一般道との接続道路が日立自動車道路となっており、100円の通行料金を採られた。日立中央ICは、地元の要請によって最近開設されたものらしく、セコイ料金徴収も、日立鉱山の閉鎖による斜陽の町の象徴のように思えた。本山から橋を渡って、もとやま自然の村に向かう林道に入った所で、鎖が掛けられていた。冬期は、9時半までの夜間は通行禁止との掲示があった。路肩に車をとめて歩きだした。道の左右には廃屋になった社宅が並んでいた。水の涸れたプール、草に覆われた前庭付きの家、窓ガラスの割られたアパート、異様な感じであった。車道歩きで標高を上げていくと、キャンプ場に出た。道の左右に良く整備されたキャンプ村が延々と続いていた。車道の終点近くから横道に反れるように、林道が始まっており、これが高鈴山への登山コースであったが、ここには標識が欲しい所であった。自然の村を標榜するならば、周辺の山を散策できるようにコースを整えるべきと思う。車の通行は困難な荒れた林道を緩やかに登っていくと、十文字に到着した。舗装道路が登ってきていたが、一般車の通行が許されているのかどうかは不明であった。高鈴山という標識に導かれて山頂に向かうが、ここからは、舗装道路になってしまった。高陽台という案内板のあるあづまやを通り過ぎると、アンテナの立ち並ぶ高鈴山山頂に到着した。舗装道路が登ってきては、登頂の喜びもわいてくるわけではなく、これが目当ての一等三角点を確かめ、春霞にけむる太平洋を眺めた後には、そうそうに神峰山に向かうことにした。高陽台への尾根道に入ると、アセビの木が目立つ雑木林の中の道になり、ようやくハイキングコースらしくなった。小さなピークを鼓していくと御岩山に出た。尾根道の薮の上に少し小高くなった岩のピークで、案内板が無かったならば、そのまま通り過ぎる所であった。尾根道が、神峰山の鞍部に向かって下っていくと、古い林道に飛び出し、旧トンネルの入口に出た。古い標識に従って、神峰山に向かった。神峰山の山頂には、煙害観測用であった気象観測所が設けられ、眼下には大煙突を眺めることができた。かつては155.7mあったという大煙突であるが、倒壊後はその基部が日立鉱山のシンボルとして保存されている。下山コースとしては、アルペンガイドの地図にのみ記入されている神峰山から下る道を選んだ。ガイドブックには説明文は見あたらない道であったが、山頂直下の神峰神社から、落葉に覆われているものの明瞭な道が真っ直ぐ下っていた。この道は、途中鳥居も現れ、神峰神社の参道のようであった。下るに連れて、はでな塗奘の工場が目に飛び込み、右手に砕石場が近付いてくると、薮から飛び出すように道路に出た。ダンプカーに注意しながら、車道を歩いて車まで戻った。もとやま自然の村の入口に車をおいて周遊することができたが、アルペンガイドにも載っている名前の知れた山にしては、登山口の標識が少なくわかりにくく思った。
 続けて、堅破山に向かった。鬼越を過ぎると、未舗装の、車の擦れ違いの難しい林道になった。米平への林道の分岐点に、堅破山登山口があり、一ノ鳥居が設けられていた。ここから歩きだしたが、参道はすぐに林道に合わさり、その先に大きな駐車場があった。うっそうとした杉木立の中を登っていくと、不動岩や畳岩などの堅破山七石と呼ばれる、奇岩が次々に現れた。弁天池から、まず有名な太刀割石に向かった。名前の通りにスパッと太刀割ったような二つの巨岩が転がっていた。石段の設けられた急坂を登ると黒前神社があり、その先にらせん階段の付いた鉄製の展望台が立っていた。高鈴山は目の前ですぐに判ったが、その他は名前の知らない低山が幾重にも連なっていた。山頂をあとにして下っていくと、登山姿の単独行と、てぶらの二人連れの観光客が登ってきた。
 車に戻って、「茨城県の山」を読むと、米平に向かって黒坂林道を走ると、土岳登山道に出ると書いてあった。オフロード四駆が、林道に向かって走り去って行くのを見て、土岳に向かうことにした。林道を進んで、峠への登りにかかると、路面が沢状に抉られた部分も現れた。林道に突入したことを後悔しながら車を走らせ、下りにかかると道も次第に良くなり集落に出て、舗装道路に再びのることができた。土岳登山口の津智岳橋のたもとには、駐車場とトイレがもうけられていた。登山道は良く整備されていた。急斜面を登り終えると、なだらかな山頂の一角に達したが、土岳の山頂はいったん僅かに下って登りかえしたその先であった。気持ちの良い雑木林の尾根道を辿っていくと、伐採地に飛び出し、林道が登ってきていた。土岳山頂は、かつて馬の放牧場だった名残で芝生が広がっていた。展望を楽しみながらの休憩にふさわしい所であったが、背後に広がる伐採地がなんとも興醒めであった。あまり特徴のある山ではなかったが、一日で三つ目の山に登ったことに満足して下山した。

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