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黒岳

1995年2月18日 前夜発日帰り 単独行 晴

黒岳 くろだけ(1793m) 一等三角点補点 御坂山塊(山梨) 5万 都留、甲府  2.5万 河口湖東部、河口湖西部

ガイド:アルペンガイド「富士山周辺・駿遠の山」(山と渓谷社)、東京周辺野山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「富士・富士五湖」(昭文社)

2月17日(金) 23:20 新潟発=(上越線ムーンライナー)
2月18日(土) =5:10 新宿着=5:13 発=(中央線)=6:11 高尾=6:15 発=(中央線)=6:52 大月=6:54 発=(富士急行)=7:45 河口湖=8:28 発=(富士急行バス)=8:48 三ツ峠入口―9:53 御坂峠―10:39 黒岳〜11:07 発―11:23 すずらん峠―11:37 破風山―11:53 新道峠 12:15 中ツ頭山(中藤山)―13:03 大石峠―13:43 林道出合い―14:05 大石ペンション村=(富士急行バス)=14:25 河口湖=14:31 発=15:20 大月=15:32 発=(中央線 あずさ66号)=16:36 新宿=16:42 発=(中央快速)=16:48 東京=17:08 発=(上越新幹線)=19:17 新潟着

 黒岳は、河口湖の北側に三ツ峠山から連なる御坂山塊の最高峰である。黒木に覆われているために、その名前が付けられたという。この山には一等三角点補点が置かれているが、山梨県にはもうひとつ一等三角点の黒岳があるため、区別するために、この山を御坂黒岳、他方を小金沢黒岳と呼んでいる。
 300名山と一等三角点、それに加えて富士山の大展望を目的に黒岳に登ることにした。ちょうど一年前に、その隣の三ツ峠山に登り、快晴に恵まれたものの、深い残雪に悪戦苦闘した経験がある。
 毎度お馴染みの夜行列車にも、春が近付いたためか、他にも登山姿が目立つようになってきた。新宿から、短い乗り換え時間で列車を乗り継いだ。列車が大月から出発してしばらくすると、富士山が大きな姿を現し、乗り合わせたハイカーから歓声が挙った。河口湖駅で冷たい風に震えながらしばらく待った後に、甲府行きのバスに乗り込んだ。バスが河口湖湖畔に沿って走るに連れ、富士山が絵葉書のような姿を見せ、前方からは黒岳がしだいに近付いてきた。三ツ峠入口では、数組の登山客が降り立ったが、黒岳に向かったのは、他には大学生三人組だけであった。林道をクロスするように植林地の中を登っていくと、良く踏まれたつづら折りの山道が始まった。登り始めは、砂防工事か植林のための林道によって、古くからの峠道が分断されて荒れていたようである。落葉の積もった静かな山道を登っていくと、次第に展望が広がるようになり、つづら折りの道を重ねるごとに、富士山は大きくなっていった。御坂峠は、5センチ程の残雪に覆われ、御坂峠茶屋も閉って、静まりかえっていた。雪の上に残されたトレースを頼りに、黒岳に向かった。雪は、乾燥して堅く閉って歩きやすかった。黒岳の頂上は、一等三角点を中心に木立が切り倒された広場になっていたが、周囲の木によって展望は得られなかった。南に踏み跡を辿ると、足下が切り落ちた岩頭に出て展望が開けた。富士山が正面にあり、右手には南アルプス連峰が連なっていた。奥多摩付近から眺めるのとは違い、すぐ脇の山から眺める富士山はさすがに大きく、麓から山頂までの全景を眺めることができた。三ツ峠からの富士山は、評判の高いものではあるが、前景が富士吉田町周辺の町並みになるため、どこか興を削がれるものがあった。雑誌等に載る写真の多くは、この前景を木で隠しているものが多いようである。これに対し、黒岳からは、河口湖が前景となって、風景に変化が付いて、ここからの方が好まし眺めになっていた。南アルプス連峰は、右端の甲斐駒ヶ岳に始まり、一際白く高い北岳、間の岳、農鳥岳の三山が連なり、南には悪沢岳、赤石岳が白く頭をもたげていた。黒岳からの下りは、滑りやすく、ストックがたよりになった。大石峠までは、小さなピークをいくつも乗り越えていく、稜線沿いの道であった。稜線の左右は、木立で覆われていたが、木の葉が落ちた木々の間からは、釈迦ヶ岳や奥秩父連峰、八ヶ岳連峰を眺めることができ、破風山や大石峠からは富士山の大きな展望が広がっていた。大石峠からはつづら折りの下りになった。植林帯に入り、浮き石が目立つような道に変ると、林道に飛び出して、その先に奥河口湖キャンプ場が開かれていた。このキャンプ場はガイドブックにも書かれていないため、最近できたもののようである。いささか長く感じる車道歩きで、大石ペンション村近くのバス路線上に出た。バス停を地図で捜していると、本数の少ないバスがやってきてしまった。手を挙げるととまってくれて、乗ることができた。乗客が誰もいなかったため、バス停以外の所でも乗せてくれたのかもしれない。富士山の眺めを一日中楽しむことのできる山行となり、満足しきって翌日もう一山という気も無くなって、列車を乗り継いで、夕食に間に合う時間に新潟に戻った。

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