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伊豆ヶ岳

1995年2月11日 日帰り 単独行 晴

伊豆ヶ岳 いずがたけ(851m) 三等三角点 奥武蔵(埼玉) 5万 秩父 2.5万 正丸峠、原市場

ガイド:東京周辺の山(山と渓谷社)、分県登山ガイド「埼玉県の山」、関東百名山(山と渓谷社)、山と高原地図「奥武蔵・秩父」

2月11日(土) 6:21 新潟発=(上越新幹線)=8:10 大宮着=8:14 発 (川越線)=8:35 川越着=8:38 発=8:55 高麗川着=9:00 発=(八高線代行バス)=9:16 東飯能=9:33 発=(西武線)=10:03 正丸着―10:23 馬頭尊正丸峠分岐―10:31 実谷の二股―10:58 鎖場下―11:16 伊豆ヶ岳山頂〜11:30 発―11:45 古御岳〜11:58 発―12:21 高畑山―12:50 天目峠―13:28 子ノ権現―14:00 小床―14:10 R.299―14:20 東吾野着=14:26 発=(西武線)=14:50 東飯能=15:10 (八高線代行バス)=15:30 高麗川=15:33 発=(川越線)=15:52 川越着=15:54 発=16:13 大宮=16:34 発=(上越新幹線)=18:09 新潟着

 伊豆ヶ岳は、私鉄の西部線沿線におけるハイキングコースの中心ともいえる山で、奥武蔵を代表する山になっている。また、頂上直下の鎖場でも有名である。
 2週続けての夜行列車で疲れたため、朝一番の新幹線で出かけることのできる山を検討した。時刻表を見ると、大宮で電車を乗り継ぐと奥武蔵には10時頃に到着できることが判り、今週の山は伊豆ヶ岳に決定した。連休のため、新幹線は子供連れの行楽客で一杯になった。途中、八高線の電化工事のための運休という予期せぬ出来事もあったが、代行バスを利用して、予定どおりに正丸駅に到着した。奥武蔵は、東京周辺でも、最も人気の高いエリアになっているためか、多くの登山客が駅に降り立った。車道歩きで汗ばむ頃、ようやく登山道が始まった。沢沿いに登っていくと、急斜面になった。泣き坂とも呼ばれるらしい、砂まじりで滑りやすい斜面であった。固定ロープが張られていたので、腕力も使いながら頑張ると、尾根の一角に登り着いた。傾斜は緩くなったが、残雪が現われて滑り易い道になった。伊豆ヶ岳のハイライトというべき鎖場の下に到着して上を見上げると、岩場には雪が付いていた。登っている者が途中に見えるので、女坂はやめて、男坂の鎖場に挑戦することにした。この岩場は、一枚岩が連なったようなもので、手がかりや足場が少なく、どうやら鎖を頼りに足を踏ん張って腕力で登る必要があるようであった。岩場には雪が凍りついていたため、途中から左手の樹林帯との境の土の露出した斜面を登ることにした。かなり登った所で、岩に阻まれてしまい、右手にコースを変える必要がでてきた。頼りの鎖は、岩場の中央に垂れ下がって手が届かず、トラバースができる足場を見つけて、少し怖い思いをして、ようやく右手の斜面に移ることができた。再び樹林帯との境を登っていくと、鎖場も終わった。岩尾根をたどり、小さな岩場を越すと、山頂に到着した。人気の山であるため、山頂一帯には、お弁当を広げる人達が散らばっていた。山頂からは、大きく展望が広がっていた。南面は逆光気味の中に低い山々が連なっていたが、北面には武川岳と大持山が大きくそびえ、その右手に見える御荷鉾山の向こうに草津志賀の白い稜線が顔をのぞかせていた。武川岳の右手にあるはずの武甲山の山頂は、削り採られすぎて、わずかに顔を見せるだけになっていた。その代りに、武川岳の左手の麓の砕石所の傷跡が目立つようになってきている。せっかくの展望が損われるのを防ぐことは出来ないものなのだろうか。
 混雑の頂上を後にして、子ノ権現への縦走路に向かった。樹木のためにあまり見通しは良くなく、小さなコブを越していくために、長く感じる道であった。車道が横断する天目指峠に到着して、子ノ権現へは僅かであると気が緩んだ所で、最後のきつい登りが待ち構えていた。子ノ権現の周囲にも、多くのハイカーが休んでいた。子ノ権現は、足腰の神様として知られ、境内には名物の鉄製の大わらじが吊るされ、訪れたハイカーも熱心にお参りをしていた。子ノ権現からは、吾野駅と西吾野駅のコースが考えられるが、短い時間で下れそうな西吾野駅に向かうことにした。車道をしばらく下った後に、標識に従って杉木立の中に入った。杉が高く育っているためか、光が届かず、陰気に感じられる道であった。小床の集落から国道にでて、さらにもう少しの車道歩きで西吾野駅に到着した。日帰りの山としては、歩きでのあるコースであった。

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