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三頭山

1995年1月28日 前夜発日帰り 単独行 晴

三頭山 みとうさん(1534m) 測定点  奥多摩(東京) 5万 五日市 2.5万 猪丸
 三頭山東峰(1528m) 三等三角点
槙寄山 まきよせやま(1188m) 三等三角点

ガイド:奥多摩・奥秩父・大菩薩(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、日本300名山案内東日本編(新ハイキング社)、関東100名山(山と渓谷社)、ヤマケイ登山地図帳「川苔・御岳・高尾」(山と渓谷社)

1月27日(金) 23:20 新潟発=(上越線ムーンライナー)
1月28日(土) =5:10 新宿着〜5:13 発=(中央線)=5:52 立川〜6:30 発=(五日市線)=7:01 武蔵五日市着=7:42 発=(西東京バス)=8:44 数馬着―9:01 奥多摩周遊道ゲート―9:38 都民の森入口〜9:47 発―10:12 鞘口峠―11:00 三頭山東峰〜11:05 発―11:10 三頭山中央峰〜11:30 発―11:38 避難小屋―11:44 大沢山―12:25 槙寄山〜12:30 発―12:32 西原峠―13:22 仲ノ平バス停=13:24 発=(西東京バス)=14:25 武蔵五日市着=14:29 発=16:00 東京着=16:08 東京発=(上越新幹線 あさひ325)=18:09 新潟着

 三頭山は、大岳山、御前山とともに、奥多摩三山と呼ばれ、これらの山の最高峰である。多摩川の支流の秋川の最奥の山であるが、近くを奥多摩周遊道路が開通し、麓に都民の森という観光施設が整備されたため、車を利用した日帰りの山に変ってきている。
 日本300名山巡りの一環として、三頭山に登ることにした。天気が快晴になったため朝は冷え込み、武蔵五日町でバスを待つ間、非常に寒い思いをした。登山に使えるバスの本数が少ないためか、バスの座席は、登山客で一杯になった。秋川を遡っていくと、木の枝に霜がおりて銀世界に変っており、登山客の間から歓声が挙った。戸倉三山、浅間嶺、笹尾根の登り口で、登山客は次々にバスを降りていき、終点の数馬では、三人だけになった。数馬と都民の森の間には、送迎バスが走っており、一時間弱の待ち時間であった。歩いても同じ時間になる勘定であったが、待つのも寒いし、なによりも山を歩きにきたのであるからということで、歩き始めた。観光用の旅館や料理屋の並んだ大平集落を通り抜けると、奥多摩周遊道路のゲートの前に出て、ここからようやく登山道になった。途中で沢の砂防工事が行われており、登山道が沢で消えていた。車道が下ってきているため、登山道は無くなっているのかと思ったが、工事の人に道を聞いたところ、沢に沿って登っていけば良いということであった。沢を飛び石伝いに登っていくと、20メートル程先に、再び登山道が始まっていた。沢沿いの道は、再び奥多摩周遊道路に飛び出した。そこから先の登山道の入口を見落としたのか判らずに、左方向に舗装道路を登っていくと、ようやく都民の森の駐車場に着いた。数馬と都民の森の間の登山道は、荒れた感じであった。これは、奥多摩周遊道路を通すために土砂を沢に落としたために、沢が荒れ、そのために砂防工事が必要になり、登山道が荒れてしまったためのようである。都民の森の入口で朝食を食べていると、数馬からの連絡バスが到着した。三頭山目指して、カラー舗装の道を登っていくと、ビジターセンター付近で遊歩道が交錯して、鞘口峠への登り口が判らなくなった。入口付近にあった鞘口峠への標識まで戻って登り出すと、ビジターセンターの上部で、先に引き返した道と合流していた。木の階段が並んだ遊歩道を登っていくと、鞘口峠に到着した。ようやく登山道らしくなった道を登っていくと、三頭山に向かって、登山道とブナ路という二つのコースが現われた。登山道は、雪がうっすらと積もり、落葉に覆われて歩く人も少ないようであった。登山道を歩いていくと、再びブナ路と合わさってしまった。新しく遊歩道が作られてしまったために、古くからの登山道が、消えかけているようであった。三頭山東峰は、展望台が設けられており、奥多摩湖から登ってきたという単独行が休んでいた。展望台からは、奥多摩湖北部から大岳山方面の山の眺めが広がっていた。御堂峠を越して三頭山本峰までは、僅かな距離であった。山頂に到着して、南面に目をやったとたに、思わず息を呑む眺めが広がっていた。右に三ッ峠山、下方に高川岳、左手に杓子岳と御正体山を従えた、白い衣をまとった富士山がそびえていた。三ッ峠山からの富士山の展望は評判の高いものであるが、去年登っったところ、裾野に町並みが広がっており、少し興醒めをした覚えがある。しかし、ここからの富士山は、山々が縁取りをしており、その日本一の高さがいやがうえにも際立って、崇高な雰囲気さえ漂っていた。富士山を目の前に、食事をしながら、下山コースを検討した。北に向かって奥多摩湖に下りるか、西原峠に南下して数馬に戻るか迷う所であった。どちらも接続のバスの便は少なかった。結局富士山の眺めに引かれて、西原峠に向かうことにした。少し下った所に立派な避難小屋が設けてあり、グループが休憩していた。その先に、ここからは都民の森ではありません、という標識があった。以前に誰かの紀行文で、この看板についての不満が書いてあったが、私もこの標識にひっかかる物があった。整備しすぎた遊歩道は、面白くないし、階段登りで疲れる。昔ながらの登山道を分断して遊歩道を作ったため、都民の森の中で迷子になるところであった。ガイドブックにも、都民の森の遊歩道の詳細図を載せる必要があると思う。ここから先の道は、急な坂では木の根を頼りに足を運ぶ、いつも歩き慣れている山道になった。笹尾根方面から登ってくる者も多かった。笹尾根上の代表的ピークの槙寄山山頂からも、富士山を良く眺めることができたが、太陽が上がって、遠くの眺めは霞んできていた。西原峠からは、仲ノ平に下ることにした。笹尾根を歩き通すにはさらに3時間半程かかるため、今回は断念するしかなかった。西原峠を越す道は、昔は花嫁もこの道を通って嫁いだという、生活道であったというが、現在では登山者専用の道になっていた。雪でぬかるんだ道を下っていくと、山腹に開かれた畑の上にでた。山間の集落から車道を下っていくと、仲ノ平に出た。バス停の標識は壊れていたが、ベンチが設けられて子供達がバスを待っており、バス停であることが判った。汗をふく暇も無く、数少ないバスがやってきて、家路につくことができた。

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