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鳴神山、栗生山

1995年1月3日 日帰り 単独行 晴

鳴神山 なるかみやま(980m) 安蘇山塊(群馬) 5万 桐生及足利 2.5万 番場、大間々
ガイド:群馬県の山(山と渓谷社)、群馬の山歩き130選(上毛新聞社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、関東百名山(山と渓谷社)

栗生山 くりうやま(968m) 二等三角点 足尾山塊(群馬) 5万 足尾 2.5万 上野花輪
ガイド:群馬県の山(山と渓谷社)、群馬の山歩き130選(上毛新聞社)

1月3日(火) 5:00 新潟発=(関越道、赤城IC、R353、大間々町、川内町五 経由)=9:38 駒形林道分岐〜9:50 発―9:58 登山口―10:48 肩の広場―10:55 鳴神山〜11:10 発―11:13 西峰―11:24 ウラの広場―11:42 登山口―11:54 赤柴つり堀―12:09 駒形林道分岐=(大間々町、R122、水沼、間々下橋)=13:08 栗生神社〜13:11 発―13:49 栗生山―14:03 発―14:34 栗生神社=(往路を戻る)=19:50 新潟着

 鳴神山は、桐生市の北に連なる鳴神山脈の主峰であり、低山ながら豊かな自然が残され、群馬県の鳴神山自然環境保全地域に指定されている。野草の山として知られ、ナルカミスミレやカッコソウは有名である。かつては山岳信仰が盛んであり、雷神上人が住んでいたことから、山の名前が付けられたという。
 栗生山は、赤城山の東に位置する山である。山麓にある栗生神社は、新田義貞の家臣の四天王のひとりである栗生左衛門頼方をまつっている。
 年も明けて、新たな気分で山行を始めることになった。正月の帰省のユーターンとスキー客で道路は大渋滞が予想されていた。駒形の林道分岐に登山案内があったが、現在地がこの地図でははっきりせず、その先は道幅が狭くなっていたため、路肩に車をとめて歩きだした。左右の山肌が伐採され植林地になった中を登っていくと、林道終点の広場に出た。ここまで、荒れた道ではあるが車で入ることが可能であったようである。ここには、鳴神山の登山口の標識もあったが、群馬の山歩き130選で書かれている赤柴経由の登山道は見当たらす、ここがどの登山口なのか判らなくなった。葉が落ちて明るい雑木林の中を登っていくと沢沿いの道になった。足が埋もれるほど落葉が積もっている所もあり、登山道を見定める必要があった。稜線に登り着くと、四方から登山道が集る肩の広場で、鳥居と神社の建物があった。山頂まではあと僅かではあった。山頂には、石の祠が並べられ、360度の展望が広がっていた。日光男体山、袈裟丸山、上州武尊山、赤城山、榛名山、浅間山が高くそびえ、東には安蘇の山々が幾重にも重なっていた。登山者は何人も登ってきたが、交代するかのように下っていく者もいて、静かな山頂であった。下りには赤柴に下ることにした。ウラの広場から赤柴への下りは、道ははっきりしていたが、途中で落葉によって登山道が隠されている所もあった。意外に短い下りで、林道終点の広場に飛び出した。ここまで荒れた林道を車で登ってくることができるようであった。車道歩きを続けていくと、車をとめた分岐に戻ることができた。ガイドの図が間違っていたようである。
 もうひと山ということで、栗生山に登ることにした。間々下橋のバス停の脇の狭い橋を渡り、人家の軒先を通り抜けると栗生の集落に出て、狭い道を山に向かって一気に登っていくと栗生神社の駐車場に到着した。石段を登り、神社の左手から登山道に入った。杉林の中を沢沿いに登っていくと、雑木林に変り、露岩を見るようになると足下が滑りやすい急登になった。稜線まで一気に登ると、わずかな尾根歩きで栗生山に到着した。三角点の一角は雑木林に囲まれて展望はなく、その先に栗生山の山頂標識が掛けられていた。袈裟丸山が目の前であり、前袈裟山、後袈裟山、郡界尾根を良く眺めることができた。さらにやぶの中の踏み跡をたどって先に進むと、岩場に出て、ここからは赤城山を一望することができた。いつもの前橋・沼田方面からの眺めの裏側になり、黒檜山と地蔵岳を良く眺めることができた。山頂付近にうっすらとつもった雪の上に多くの靴跡が残っていたが、この岩場付近は動物の足跡が残されているだけで、せっかくの大展望を見逃して下ってしまったようである。
 日だまりハイクを楽しみ、水沼温泉で入浴後、大渋滞の関越道を横目で見ながら新潟に戻った。

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