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高田山、嵩山

1994年12月 3日 日帰り、単独行、晴

高田山 たかだやま(1712m) 一等三角点補点 吾妻(群馬) 5万 中之条 2.5万 中之条
嵩山 たけやま(789m)三等三角点 吾妻(群馬) 5万 中之条 2.5万 中之条

ガイド:群馬県の山(山と渓谷社)、群馬の山歩き130選(上毛新聞社)

12月3日(土) 4:30 新潟発=(関越道、月夜野IC、R.17、沼田、R145、中之条、R.353 経由)=8:55 駒岩駐車スペース〜9:00 発―9:05 登山口―9:27 鳥居―9:44 水場―10:06 石尊山〜10:10 発―10:34 高田山〜10:50 発―11:14 石尊山―11:33 水場―11:44 鳥居―11:58 登山口―12:03 駒岩駐車スペース=(R.353、中之条 経由)=12:40 親都神社―12:55 展望台―13:00 天狗の広場―13:05 小天狗―13:10 天狗の広場―13:14 中天狗―13:19 経塚―13:25 大天狗〜13:32 発―13:38 経塚―13:55 親都神社=(往路を戻る)=18:10 新潟着

 高田山は、上信越国境近くの四万温泉の入口にある山で、特に目立った山容をしているわけではないが、一等三角点が置かれていることから登る者の多い山になっている。
 嵩山は、それほど高い山ではないが、中之条盆地の中央にそびえ、その昔、岩櫃城の支城が築かれていたという。戦国時代、岩櫃城主の斎藤憲広の子、城虎丸が守っていたが、岩櫃城落城2年後、真田幸隆(幸村の祖父)に攻められ、本丸の北にある天狗の峰から城虎丸が飛び降りて死ぬと、他の家臣も自害して果てたという史跡の山である。
 冬型が強まり、日本海側は大荒れ、ということは太平洋側では晴れ間が広がるはずなので、群馬県の高田山に出かけることにした。前夜の忘年会の疲れが残り、途中で休みながらスタッドレスタイヤに交換した車を走らせた。四万温泉に通じる国道が整備され、駒岩のバイパスができていたため、集落を通り過ぎる所であった。旧道に入ると、登山標識はすぐに見つかったが、集落内には、路上駐車する以外に駐車スペースが無かった。バイパスと旧道の四万よりの合流地点に広い駐車スペースがあったので、ここから歩き出すことにした。石材店の軒先に登山者ノートが置かれ、そこの主人から、登山道が先日整備され、途中で林道の作業道が数本分れるとの注意を聞くことができた。歩き出してすぐに民家につき当たるが、右手の車道から民家の軒先を回り込むと、小さな沢を渡る林道になり、小さな登山標識も現われた。荒れた林道を登っていくと、竹林から杉林に変わり、傾斜も増して汗をかくようになった頃、石でできた鳥居に到着した。ここには、休憩のためのベンチも置かれちた。落葉の敷き詰められた雑木林の中の道になり、急斜面の電光型の登りになった。汗が吹き出て太ももの筋肉が音を上げる辛い登りであった。細いながら水が流れ出る水場を過ぎると、山腹を右に回りこむようになって、傾斜は緩くなった。日だまりの中、落葉が足の下で乾いた音を立てた。尾根に出てしばらくで、石尊山に登り着いた。素晴らしい眺めが広がっていた。石尊山には、小さな祠が置かれ、石の転がる小ピークであったが、360度の眺めが広がっていた。 先日訪れた稲包山は白くなり、武尊山、赤城山、小野子山、榛名山、妙義山、白黒まだらで雪の遅れている浅間山が姿を見せていた。上越国境の山々は、雪雲で覆われていた。また、中之条盆地には嵩山が台形に盛り上がっており、時間があったら登ることに決めた。高田山に進むと、踏み跡は細くなり、木の根を頼りの痩せた稜線の急斜面の登り下りが始まった。落葉で足下が良く見えず、気を抜くことができなかった。五つ程のピークを越して、ようやく高田山に到着した。山頂部の木は切り倒され、木の枝がちらかったなかに一等三角点があった。作業現場のようで、落ち着かない山頂であった。木が切り倒されているため眺めは良かったが、木の伐採に気が損われ、石尊山のような感動はわいてこなかった。石尊山までは、足下を確かめながらの登り下りであったが、その先は、落葉をけちらかしながらの小走りの下りになった。この日の山には、あと4組7人程が入山しており、人気があることがわかった。
 車に戻って一休みした後、嵩山に向かった。中之条から嵩山に向かうと、岩山が頭上に迫ってきた。親都神社に車いて歩き出した。登山口には案内板があり、山中の史跡には、覚え切れないほど細かく番号が付けられていた。嵩山は、吾妻八景にも選ばれ、史跡巡りとして良く整備されているようであった。登りは、急坂であった。天狗の広場から左手すぐの所に、露岩の小天狗があった。先程登った高田山もすぐそこに見えたが、平凡な姿をしていた。高田山は、眺める山ではなく、実際に登って楽しむ山のようである。落葉の雑木林の中を稜線沿いに大天狗に向かうと、自害した城兵を弔った石仏がコの字型に並べられた御城平(みじょうだいら)に到着した。ここから大天狗へは、鎖場が現われ、岩場のスリルを楽しむことができた。山頂部には測量のための旗が立てられた三角点が置かれており、鎖を頼りに、その上の岩に登ることができた。360度の眺めではあったが、北面の眼下にはゴルフ場が広がり、興醒めであった。経塚に戻り、山中に祭られた石仏を眺めながら東登山道を下っていくと、直に親都神社に戻ることができた。嵩山は、歩き通すにはそれほど時間のかかる山ではなかったが、山中の見どころや、石仏を眺めながら歩き、岩場のスリルを楽しめば、一日を充分に楽しむことのできる山であると思った。
 日だまりハイクを楽しみ、新潟県に戻るとみぞれ混じりの荒れ模様になっており、関越道を走るのも楽ではなかった。

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