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博士山

1994年11月26日 日帰り 単独行 晴

博士山 はかせやま(1435m) 一等三角点本点 北会津(福島) 5万 一ノ宮下 2.5万 博士山

ガイド:東北の山(山と渓谷社)、福島県の山(山と渓谷社)、ふくしまの山50(歴史春秋社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、一等三角点百名山(山と渓谷社)、一等三角点の名山100(新ハイキング社)

11月26日(土) 4:30 新潟発=(R.49、会津坂下、R.252、柳津、西山温泉、大成沢経由)=8:00 道海泣き尾根登山口〜8:12 発―8:57 シャクナゲ洞門―9:14 分岐―9:38 社峰(やしろ峰)―9:56 博士山〜10:10 発―10:23 社峰―10:40 分岐―11:42 大滝根尾根登山口―11:57 道海泣き尾根登山口=(往路を戻る)=16:30 新潟着

 博士山は、会津の奥でアプローチに時間がかかるにもかかわらず、一等三角点の山として知名度の高い山である。博士山という名は、大和朝廷の大昆古命が東北鎮撫の際に、太刀を腰に佩いて峰伝いに越えてきたという伝説から、「佩かせ」が博士に転じたという説や、博士山近洞寺という山号が山名に用いられたという説がある。
 冬の気配がいよいよ濃くなってきたが、寒気の強まりは例年よりは遅れているようである。昨年の11月末には、会津の二岐山でかなりの雪に出合ったが、この週末は、今シーズン最後の会津の山として博士山に登ることにした。早朝は、昨夜からの雨が僅かに残ったが、次第に雲が切れるようになってきた。西山温泉の先で、地熱発電の工事現場に迷い込み、県道に戻るまで枝道を右往左往する破目になった。工事現場に通じる道が工事トラックの通行のために、幅広く整備されていたためである。ようやく県道に戻ることができたが、迷い込んだ所で日帰り温泉センターを見つけたので、帰りに寄ることにした。大成沢から登山口までの林道は、走り易い道であった。道海泣き尾根登山口の周辺は、目を覆うばかりに森林が伐採されて、登山口にはグランドほどの空き地が造られていた。林道からは、博士山の山頂を望むことができたが、山頂付近は白い色に変わっていた。濡れた落葉で覆われた沢沿いの道を登って行き、尾根に取り掛かると、急な登りが始まった。木の根を足掛りにして、枝や固定ロープを頼りに、一気に高さをかせぐ登りであった。コースは、標識や固定ロープなど良く整備されていた。山頂に近付くと雪が現われ、分岐から先は、一面の銀世界に変わった。稜線付近の木の枝には、霧氷も生じていた。笹の枝が雪の重みで登山道に倒れ込み、笹を払う度に、雪がシャワーのように降りそそいできた。雨具を着るべきであったかもしれないが、そのまま雪まみれになりながら、ストックで雪を払いながら登りを続けた。博士山は、社峰から僅かに下って登り返した所にあった。山頂には、一等三角点と木を組んで作った大きな山名板があった。雲によって見晴しはあまり良くなかったが、二岐山とその周囲の山を眺めることができた。山の斜面の木々は霧氷の銀色に染り、流れる雲によって現われたり消えたりして、幻想的な風景であった。下りにかかって、登ってきた道を戻ると、上った太陽に照され霧氷はすでに消え始めていた。雪の積もった道は、濡れ落葉よりはむしろ歩き良かった。分岐からは、下山コースと書かれた近洞寺尾根を下ることにした。道海泣き尾根程ではないが、ストックを支えに半身で足下を確かめながら下る急斜面もあった。尾根から別れて山の斜面をジグザグに下るようになると、あと少しという登山標識も現われた。最後に林道に飛び出すと、そこには小さな案内プレートが一枚吊るされているだけであった。博士山の山頂を眺めながら林道を歩いて行くと、直に道海泣き尾根登山口に戻ることができた。
 帰りに、西山温泉せいざん荘にて300円で温泉につかった。登山中は寒さは感じなかったものの、濡れた体は冷え込んでおり、温泉の中で極楽気分を味わった。帰る途中、R.49の新潟・福島県境近くにある一等三角点の土埋山の登山口を偵察することにした。津川カントリークラブへの道沿いに登山口を捜してみたが、見つからなかった。測量のための道があるはずであるが、登山情報を得るまでは、この山はお預けのようである。

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