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鳥屋山、明神ヶ岳

1994年11月19日 日帰り 単独行 曇時々雨

鳥屋山 とやさん(581m) 一等三角点補点 北会津(福島) 5万 野沢 2.5万 野沢、柳津
明神ヶ岳 みょうじんがだけ(1074m) 二等三角点 北会津(福島) 5万 若松 2.5万 一ノ宮下、東尾岐
ガイド:福島県の山(山と渓谷社)、ふくしまの山50(歴史春秋社)、東京周辺の山(山と渓谷社)

11月19日(土) 7:15 新潟発=(R.49経由)=9:10 別茶屋〜9:15 発―9:18 軽沢登山口―9:44 鳥屋清水―9:53 鳥屋山山頂〜10:02 発―10:08 鳥屋清水―10:25 軽沢登山口―10:28 別茶屋=(R.49、会津坂下、会津高田、冑 経由)=11:40 大岩T字路〜11:46 発―12:24 狭間峠―12:40 伊佐須美神社奥ノ院―12:52 明神ヶ岳〜13:02 発―13:14 伊佐須美神社奥ノ院―13:25 狭間峠―14:02 大岩T字路=(往路を戻る)=18:05 新潟着

 鳥屋山は、かすみ網で鳥を採る番屋が設けられたことや、あるいは山の鞍部のことをトヤと呼ぶことから名前が付けられている。低山ながら、一等三角点が置かれていることからもわかるように、飯豊連峰と向い合う展望の良い山として親しまれている。
 明神ヶ岳は、会津盆地の南西に三角形の頂上をもたげている。この山は信仰の山として知られ、奥州二の宮である伊佐須美神社は、初め御神楽山に祭られたのが、博士山、明神ヶ岳を経て、現在の会津高田町に移ったという。また、雨乞いの山としても信仰されている。
 西から進んできた低気圧が金曜の夜に新潟付近を通過した。博士山を予定して早起きをしたが、激しい雨のためもうひと眠りすることにした。雨もあがってきたので、出発が遅れたが、R.49を通るたびに登山口の標識を見ながら、そのまま見過ごしてきた鳥屋山に登ることにした。別茶屋のバス停の脇の路肩に車を置いて歩き出した。車道を少し歩くと、軽沢登山口という標識があり、車の轍の残る荒れた農道を登っていくと、農地が広がっていた。草紅葉の湿原のような刈り入れ後の田の向こうに、鳥屋山を眺めることができた。尾根沿いの登山道が始まったが、歩きやすい道であった。山頂の手前に水場の標識があったが、涸れていた。山頂には一等三角点と立派な案内板があった。飯豊連峰方面の木立が刈り払われていたが、雲に覆われていた。鳥屋山は、この山だけを目的とするならば歩き足りないかもしれないが、国道から短時間で往復できることから、もう一つおまけの山としての利用価値が高い山である。
 鳥屋山を登り終えたが時間も早いので、車に戻って次の山を検討し、比較的近い明神ヶ岳に登ることにした。最も新しい分県別登山ガイドに従って、大岩集落跡のT字路まで車で入った。冑の集落から少し登った所で荒れた林道になったが、その先で舗装道路になり、林道工事で大岩付近の状況は、古いガイドブックの内容と大きく変っていた。T字路から登山道に入り、少し登ると左手に大岩観音が現われた。以前はこの付近まで車で入ることができたようであるが、現在では、歩き専用の道になっていた。暗い杉林を登って行くと、葉のすっかり落ちた雑木に変わって、つづら折りの登りになった。背後に会津盆地の眺めが広がるようになると、登りも一段落して、狭間峠に到着した。古い峠道であったらしいが、峠を越して下っていく道は無くなっていた。右手に明神ヶ岳の山頂を見ながら少し下り気味に進んだ後に、方向を変えて山頂に向かうと、伊佐須美神社奥ノ院の祠に登り着いた。山頂はすぐそこであったが、最後は急坂になった。明神ヶ岳の山頂は、木立に囲まれ、中央に三角点があり、一枚の山頂プレートが地面に転がっているだけであった。この山は、山頂からの大展望を期待するのではなく、古い峠道を歩くこと自体を楽しむ山のようである。登山道を濡れた落葉が厚く覆っているため滑りやすく、山頂直下の急坂を下るには、木の枝とストックを頼る必要があった。車で移動中には雨に出合ったが、幸い歩いている間は晴れて、なんとか晩秋の山を楽しむことができた。

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