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斑尾山、黒倉山、鍋倉山

1994年10月23日 日帰り 単独行 晴

斑尾山 まだらおやま(1382m) 一等三角点補点 北信越(長野) 5万 中野、飯山 2.5万 飯山、替佐
ガイド:東京周辺の山(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド 西日本編(新ハイキング社)、越後の山旅下巻(富士波出版)、山と高原地図「妙高・戸隠」(昭文社)

黒倉山 くろぐらやま(1247m)
鍋倉山 なべくらやま(1289m) 二等三角点 東頚城丘陵(新潟、長野)  5万 高田東部、飯山  2.5万 野沢温泉、柳島、新井、猿橋
ガイド:新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟の山旅(新潟日報事業社)

10月23日 5:35 新潟発=(北陸自動車道、上越IC、R18、妙高高原、野尻湖東岸、荒瀬原、林道斑尾線経由)=8:45 古海コース林道登山口〜8:52 発―9:25 大明神岳―9:35 斑尾山山頂〜9:43 発―9;49 大明神岳―10:15 古海コース林道登山=(林道斑尾線、荒瀬原、飯山、戸狩経由)=12:00 関田峠〜12:15 発―12:27 筒方峠―12:48 黒倉山―13:07 温井分岐―13:16 鍋倉山〜13:20 発―13:29 温井分岐―13:34 黒倉山―13:53 筒方峠―14:06 関田峠=(光ヶ原高原、板倉、柿崎、北陸自動車道経由)=17:10 新潟着

 斑尾山は、妙高山、戸隠山、飯縄山、黒姫山とともに、北信五岳の一つに数えられる山である。これらの内では最も標高は低いものの、野尻湖から見る斑尾山は、独立峰としての美しい姿を見せている。その名前は、残雪が斑模様をつくることや、摩陀羅神(まだら)に由来するという説がある。
 鍋倉山は、高田平野の南に広がる関田山塊の最高峰である。北峰の鍋倉山とは、見る方向によって双耳峰になったり、重なってしまうため、この両山は混同されて山名の混乱が長く続いてきた。現在でも、鍋倉山山頂の二等三角点の標柱には、黒倉山と記載されている。
 今年の秋は、荒れ模様の天候が続いている。昨日は終日雨であったが、ようやく天気が回復したので、北信五岳のうちで残っていた斑尾山に出かけることにした。地図によれば、斑尾山の中腹に林道が通って登山道が分断されており、林道から登れば楽をすることができそうであった。林道は、狭いが走り易い道で、キノコ採りの車がとまっていた。荒瀬原からの登山道を捜しながら車を走らせたが見つからなかった。通り過ぎても菅川からの登山道に出るだろう思いながら走らせていくうちに、ようやく登山道の標識を見つけた。登山道は、白樺林の中を真っ直ぐに登っていき、しだいに夏草がかぶさるようになり、人はあまり通っていないようであった。一旦尾根に出るはずなのにおかしいと思いながら薮をかきわけながら急坂を登っていくと、無線アンテナの立つピークに登りついた。右手から良く踏まれた登山道が登ってきており、地図を見るとここが大明神岳で、古海コースを登ってきたようであった。大明神岳からは、眼下に野尻湖を見晴すことができたが、ガスが出始めて妙高山や黒姫山を眺めることはできなかった。斑尾山は、紅葉した林の中を緩く登っていくと到着した。山頂は、木立におおわれ、ガスも出て、展望は得られず、一名の先客がいたのみであった。山頂には、他からも登山道が登ってきていたが、どのコースも、良く歩かれているようであった。大明神岳に戻り、この道を登ってきたのではなかったら、夏草におおわれているため下る気にはなれないような登山道を下った。道を見失わないように注意が必要であったが、短時間で林道に戻ることができた。林道を下りながら、登山道の入り口を捜したが、見つけることができなかった。ガイドブックに従って、麓から登ってくるのが安全であるようであった。
 時間も早いので、黒倉・鍋倉山に向かうことにした。関田峠付近は、紅葉の盛りで、観光の車も多かった。森林浴のための遊歩道が整備されており、黒倉山までは、歩きやすい道が続いた。黒倉山からの道は、普通の登山道といった状態になった。鞍部から先は、木に結んであるビニールテープを追って歩いて行くと、道は次第に下り坂になってしまった。引き返して鍋倉山への登り口を捜すと、迷い込んだのは温井への道であることを示す小さなプレートが見つかり、そこから上に向かって延びていく道も見つかった。10分近くの時間のロスであった。濡れた泥で滑り易い急斜面を登っていくと、直に山頂に到着した。山頂は木立で覆われ、狭い山頂には測量時に出た材木がちらかっていた。草に覆われた道を少し進んだ先は、木立が刈り払われて千曲川と高社山の展望台になっていた。黒倉山まで戻ると、後は紅葉を楽しみながらの森林浴であった。午後になって日が陰ると肌寒く、冬も近いことを感じた。

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