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薬師岳

鍬崎山

1994年10月 8日〜10月9日 前夜発1泊2日 単独行 晴/晴

薬師岳 やくしだけ(2926m) 二等三角点 北アルプス中部(富山) 5万 有峰湖、槍ヶ岳 2.5万 有峰湖、薬師岳
ガイド:北アルプス(山と渓谷社)、上高地・槍・穂高(山と渓谷社)、とやま山歩き(シーエービー)、日本百名山登山ガイド 下(山と渓谷社)、日本300名山ガイド 西日本編(新ハイキング社)、ヤマケイ登山地図帳「剣・立山・針ノ木」(山と渓谷社)

鍬崎山 くわさきやま(2090m) 二等三角点  北アルプス中部(富山) 5万 五百石 2.5万 小見
ガイド:とやま山歩き(シーエービー)、日本300名山ガイド 西日本編(新ハイキング社)

10月7日(金) 20:00 新潟発=(北陸道経由)=23:50 有磯海SA  (車中泊)
10月8日(土) 4:00 有磯海SA発=(立山IC、有峰口経由)=4:45 有峰林道亀谷ゲート=6:00 発=6:45 折立〜7:07 発―8:12 三角点―9:40 太郎平小屋―10:28 薬師平ケルン―11:03 薬師岳山荘―11:44 薬師岳〜12:18 発―12:51 薬師岳山荘―13:15 薬師平ケルン―14:00 太郎平小屋―15:15 三角点―16:08 折立=(富山東まで往復)=19:30 極楽坂スキー場  (車中泊)
10月8日(日) =6;45 雷鳥バレーゴンドラリフト山麓駅=8:30 発=8:41 山頂駅―9:05 瀬戸蔵山―9:29 大品山―9:33 栗巣野分岐―10:28 独標―11:18 鍬崎山〜12:00 発―12:40 独標―13:31 栗巣野分岐―13:35 大品山―14:01 瀬戸蔵山―14:28 山頂駅=(往路を戻る)=19:45 新潟着

有峰林道通行時間 6:00ー20:00
雷鳥バレーゴンドラリフト運転時間 8:30ー16:30

 薬師岳は、黒部源流に位置し、東面には3つのカールを持つ重量感のあるボリュームの大きな山である。今はダムの底になってしまった有峰の里の人々の信仰の山で、その名前もそこから付けられている。1963年1月の愛知大学山岳部の13人の遭難事件は有名であるが、現在では立山、雲ノ平、あるいは黒部五郎方面を結ぶ要の山として、あるいは日本百名山の山として、人気が高い。
 鍬崎山は、立山連峰の前衛の独立峰で、富山市内や弥陀ヶ原からはっきりと眺めることのできる山である。また、この山は、佐々成政の埋蔵金の伝説でも有名である。人気の立山や薬師岳の登山口にあるため、その標高にもかかわらず、登山者の人気はそれほどでもない。この山は、地形図を見れば明らかなように、大日岳から立山、薬師岳へと続く稜線の展望台としての絶好の位置を占めている。日本300名山に選ばれていることから、今後人気が出てくると思われる。
 この連休は、移動性高気圧が日本列島を覆うという天気予報が出た。当初は東北の山々を予定していたが、晴にさそわれて薬師岳に予定を変更した。3000m級の山の秋は、今回が初めてである。昭和元年の立山の遭難事件も記憶に新しく、念のため雪を想定して、ストックと軽アイゼンを持ち、太郎平小屋1泊の予定で出かけた。
 有峰林道は夜間通行止めとのことで、有磯海SAで仮眠を取り、朝方に亀谷ゲートに到着した。ガートが開くのを待ち、舗装はされているが車のすれ違いが困難な有峰林道を走り、折立に到着したのは、いつもであったならば登りに汗を流している時間になっていた。独標までは、木で見通しの効かない急な登りが続いた。独標からは、左手に薬師岳を眺めながらの幅広い尾根の緩やかな登りになり、遊歩道のように石が組まれた道が、茶色に色づいた草原の中を、高みに向かってうねうねと続いていた。秋の日で太陽の日差しは気にならなかったが、夏にこの日陰の無い尾根を登るのは、苦労しそうであった。道が良いためか、快調にとばすことができ、コースタイムを大幅に短縮して太郎平小屋に到着した。朝の太郎兵衛平は人気が無くひっそりとしていた。薬師峠に下ると、再び急な登りが始まった。沢沿いの道を抜け、ガレ場地帯に上がると薬師岳山荘の前に出た。薬師岳山荘はすでに閉鎖されていた。最後のガレ場を息を切らしながら登り切ると、壊れた避難小屋とケルンの立つ山頂の一角に出た。薬師岳の山頂は、緩やかに登ってもう少し先であった。薬師岳の山頂からは、期待していたとおりの大展望が広がっていた。カールが切れ込んだ痩せ稜線が北峰に続き、その向こうには、立山と剣岳が姿を見せていた。黒部川上ノ廊下を挟んだ正面には赤牛岳が横たわり、その右手に続く稜線上には水晶岳が頭を持ち上げていた。さらにその後方の左右には、針ノ木岳から後立山連峰、槍・穂高連峰を眺めることができた。眺めを楽しみながら、コースタイムを再検討し、道が良く整備されているので、小屋に泊まらなくても今日中に下山できると判断した。山頂には、2名の先着組がいたのみであったが、下山途中には、20名ほどが登ってくるのに出合い、薬師沢のテント場にも10張りほどが並び、山は賑わいを見せ始めていた。太郎平小屋の前の広場には、多くの人々が休憩し、小屋の中も込み合っている様子であった。2時を回っていたが、登ってくる者は多く、学校が3連休であるためか、家族連れが目立った。今夜の小屋は、大混雑になりそうであった。3時近くにすれ違った、最後に登ってきた軽装の夫婦連れが、小屋は開いているでしょうかと聞いてきたのには驚いた。閉っているとの返事だったらどうするつもりであったのだろうか。小屋までは、この夫婦の足では、登りに2時間、下りにも2時間程度はかかる地点でのことであった。Tシャツで歩ける天気ではあったが、軽装の者が多く、一旦天候が悪化したなら事故が起っても不思議はなかった。さすがに最後は草臥れたが、薬師岳の日帰り登山を行うことができた。日帰り組はもう一人いて、下山の途中で追い抜かれた。この山のコースタイムはかなり短縮することが可能で、軽装ならこの山を日帰り登山することは、それほど難しいものでは無いと思われる。
 折立登山口周辺は、工事のダンプカーが走り回り、未舗装の道路から砂ぼこりが舞い上がっていたが、その中のキャンプ場では、テントを張ってバーベキューを行う家族連れが何組もいた。次の山をどこにするかを考えながら一休みした。薬師岳を一日で済ませて時間の余裕ができたので、コースタイム的に厳しいものがある鍬崎山に登ることにした。有峰林道を下り、夕食と翌日の食料の買い出しのために車を走らせたが、なかなか見当たらなく、富山東の市街地まで行くはめになった。再び戻って、ガイドブックにある極楽坂スキー場に到着した時にはすっかり暗くなっていた。ゲレンデ周辺を車を走らせたり歩いたりして、ゴンドラ乗り場を捜したが、どうしても見つからないため、大駐車場に車をとめて車の中で野宿することにした。夜が明けてから山を眺めてゴンドラを捜すと、道をかなり進んだ先の山腹に見つけることができた。ゴンドラリフトの山麓駅周辺は、雷鳥バレーと名前が変っており、昨晩は、ペンション群の建物に遮られて、道路から見つからなかったものである。ゴンドラの始発の時間が近付くと、パラグライダーの集団が集ってきた。3日間の全国大会の最終日とのことであった。
 標高1188mまでゴンドラリフトで標高をかせいで、後は909mの登りにもかかわらず、この山はそう簡単なものではない。コースタイムの合計は7時間近くかかるにもかかわらず、ゴンドラの営業時間は8時間にしかすぎない。コースタイム通りに歩くだけの体力が必要とされる山である。山頂駅の外の広場にはドームテントがひとつ張られており、昨晩を山頂で過ごし、早朝出発した者がいるようであった。すぐに横丸太の階段登りがあり、いきなり息が苦しくなった。瀬戸蔵山を越して大品山までは、緩い登り下りがあるものの、家族ハイキング向きに良く整備された道であった。一旦鞍部に下ってから、頭上に高い鍬崎山目指しての急な登りが始まった。小さな肩を乗り越えていく登りで、山頂はなかなか近付いてこなかった。独標に出てようやく展望がひらけ、毛勝山や大日岳が姿を現し、この付近から紅葉も始まった。この先の登山道には笹が被さって、所々頭を越す薮漕ぎになった。道ははっきりしているのに勇気付けられて、笹をかきわけながら最後の級斜面を登りきった。山頂には、山頂駅テント泊まりの6名のグループがいたが、すれ違いにこのグループも山を下りてしまい、山頂は一人のものになった。山頂からは、大展望が広がっていた。奥大日岳の脇には、剣岳の鋭い山頂も姿をみせ、眼下には台地状の弥陀ヶ原のが広がっていた。鍬崎山から東に延びる尾根は紅葉に彩られ、その先には大きな薬師岳が横たわっていた。あまり長居もできないため山頂を後にした。独標までは、何度も足を滑らせながらの、転げ落ちるような薮漕ぎになった。この日、日帰りで鍬崎山に登った者はあと2名で、2名程が途中時間切れで断念したようであった。大品山からは、ハイカーに混じって歩き、パラグライダーを見物する観光客で賑わうゴンドラ山頂駅に戻った。

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