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北岳

間ノ岳、農鳥岳

1994年7月29日〜30日 前夜発1泊2日 単独行 晴/曇り時々雨

北岳 きただけ(3192m) 三等三角点
間ノ岳 あいのだけ(3189m) 三等三角点
中白峰 なかしらね(3055m)
西農鳥岳 にしのうとりだけ(3051m) 測定点
農鳥岳 のうとりだけ(3026m)  二等三角点
 南アルプス北部(北岳:山梨、間ノ岳、農鳥岳:山梨、静岡) 5万 韮崎、市野瀬、大河原、鰍沢 2.5万 仙丈ヶ岳、鳳凰山、間ノ岳、夜叉神峠、奈良田

ガイド:北岳・甲斐駒・仙丈(山と渓谷社)、南アルプス(山と渓谷社)、北岳を歩く(山と渓谷社)、日本百名山登山ガイド 下(山と渓谷社)、日本300名山登山ガイド(新ハイキング社)、ヤマケイ登山地図帳「南アルプス北部」(山と渓谷社)

7月28日(木) 19:08 新潟発=(上越新幹線あさひ4号) 20:51 東京 21:44 発=(中央本線かいじ119号)=23:45 甲府着
7月29日(金) 3:00 発=(山梨交通バス)=5:00 広河原〜5:20 発―6:48 大樺沢二俣―8:25 八本歯のコル―8:52 北岳山荘分岐〜9:05 発―9:19 池山吊尾根分岐―9:37 北岳〜10:25 発―10:41 池山吊尾根分岐―11:20 北岳山荘  (北岳山荘泊)
7月29日(土) 4:30 北岳山荘発―4:49 中白峰―5:52 間ノ岳〜6:04 発―7:02 農鳥小屋〜7:19 発―7:40 西農鳥岳―8:10 農鳥岳〜8:16 発―8:40 大門沢下降点―9:35 大門沢―9:52 南沢〜10:00 発―10:18 大門沢小屋〜10:30 発―11:48 上のつり橋―12:19 車道―12:31早川第一発電所前―12:53 奈良田〜14:00 奈良田発=(山梨交通バス)=15:39 身延=15:42 発=(身延線)=16:55 甲府=17:01 発=(中央本線あずさ26号)=18:36 新宿=19:04 東京発=(上越新幹線あさひ333)=21:16 新潟着


日本第2位の高峰の北岳と第4位の間ノ岳、農鳥岳を合せて白峰三山と呼ぶ。北岳は三山のうちで最も北にあるためにつけられた名前であり、同様に間ノ岳は、三山の内で間にあることからつけられたという。その方式でいうならば南岳となるはずの農鳥岳の名前は、雪形に由来している。
 先月の鳳凰山から見た白峰三山のパノラマから、登るならば、北岳と間ノ岳だけではなく、農鳥岳を加えた白峰三山の縦走を行いたいと思った。交通機関の混雑等も考え、木曜日の夜出発の2泊3日で計画をたてた。仕事を終えて新幹線に乗り込むと、教授と出合ってしまい、隣り合せの席で、山行前なのに窮屈な思いをした。東京駅で甲府行きの特急に乗り込んだ。前日、急行アルプスの指定券を手にいれようとしたが、すでに満席で自由席もかなり込みそうであった。甲府行きの最終特急は、当日でも指定席が手に入り、ゆっくりと甲府まで行くことができた。広河原行きのバス停前には、すでに一団の登山客が集っていた。ザックを置いて順番の確保をしてから、空いたバンチで寝転んで、3時間のバス待ちをした。駅前広場のベンチは、登山客と浮浪者によって占領されていた。次回に行くときには、マットを持っていった方がようさそうであった。タクシーの客引きがよってきたが、この集団はバスに確実に座れそうなため、だれも乗ろうとしなかった。急行アルプスが到着すると、長い列ができ、5名ずつの客を詰込んだタクシーが次々に出発していった。3時発のバスは、3台で出発した。乗客の数に合せて増発するようであったが、一部に立っている者もいた。夜叉神トンネルを過ぎると、朝日にそまる間ノ岳が見えはじめた。広河原の駐車場は一杯のようで、路肩終車の車が多かった。アルペンプラザで朝食をとり、登山届けをだして歩き始めた。北岳が目の前にそびえ、大樺沢はその頂きに向かって一気に登りつめていた。登山者は多く、追い抜くのが大変であった。大樺沢二俣付近になるとようやく登山者の列もとぎれとぎれになってきた。二俣からどのコースをとるべきか迷ったが、急勾配の雪渓沿いに登っていく登山者の列が小さく見えることから、左俣コースを登ることにした。雪渓の縁を登る登山道の傾斜は急で、重力が増したような感じがした。登るにつれて、北岳バットレスの岩場が頭上にせまってきた。雪渓を横切って尾根に取りつく付近は、水場になっており、広河原から今登ってきた大樺沢の眺めや、正面に向かい合っている鳳凰山の眺めを楽しみむ多くの登山者が休憩していた。八本歯のコルへ続く尾根に入ると、木のはしごが連続し、次第に足が上がらなくなった。歩幅が制限され、バランスをとるために足に余計な負担がかかるためらしい。最近の山では、山頂まで一気に登ってしまうことが多かったが、この登りでは、何度か立ち止まっては元気を取り戻す必要があった。八本歯のコルに登ると、北岳山荘から間ノ岳に続く稜線が始めて目に飛び込んできた。高山植物が美しく咲いていたが、花を眺める余裕は無く、苦しい登りが頂上まで続いた。コースタイムは短いが、きびしい登りであった。山頂は、人が溢れんばかりであり、山頂標識は、記念写真の順番待ちであった。360°の眺めが広がり、遠くには北アルプスも見え、富士山には半分雲が掛かっていた。写真を撮っているいるうちにガスが上がってきて、間ノ岳に続く主稜線は見えなくなってしまった。休んでいる内に、ガスで展望が閉ざされてしまったので、北岳山荘に下り、時間は早いものの、泊ることにした。北岳山荘の入口には、本日の泊りは1畳に3人と掲示してあった。ウソだろうという気持ちがしたが、農鳥小屋まで頑張る気もおきなかったので、これも話の種ということで宿泊手続きをした。着替えをして、ビール片手に昼食をとり、眠れるうちにということで昼寝をしていると、夕立が始った。外に出ていた宿泊客もしだいに戻ってきたが、話の中心は、どのようにしたら1畳に3人寝れるのかということであった。第1回目の夕食は4時半からであった。60人づつ300人で夕食は打ち切りとのことであった。夕食後、空いている部屋があるので、移動しようとねらっていると、7時近くになってようやく登山客の到着も終わると、小屋の指示で1部のグループが空いた部屋に移動し、1畳に2人の割り合いになった。他の登山客から以前の話を聞くと、甲府発3時のバスが8台であった時は、1畳に3人で廊下にもあふれたということであった。バス3台であったこの日は、小屋の予想に反して、登山客は少なかったということであった。シーズン中の北岳山荘は、廊下で寝るために寝袋かシェラフカバーが必携であるということであった。
 良く眠ることはできたが、夜半から雨になり、明け方になって雨まじりの霧に変わった。缶コーヒーとパンで朝食をとり、雨具で身をかためて薄暗い中を出発した。中白峰を越して間ノ岳へ登る道は、結構歩きでがあった。間ノ岳の山頂は、あいにくとガスの中であった。その先の農鳥小屋へは、長い下りになった。太陽が登るにつれガスもとぎれるようになり、稜線が見えるようになってきた。間ノ岳へ登り返す登山者と立ち話をしたところ、昨晩の農鳥小屋は、団体が入ったため、これまでになかった混雑状態となり、廊下に寝ることになったとのことであった。間ノ岳を下ると、今度は西農鳥岳への急登が始った。北岳山荘から農鳥岳への往復も考えてはいたが、上り下りが激しいため、農鳥岳から奈良田にそのまま下山する方が楽のように思えた。農鳥岳の直前で40人程の旅行会社募集の団体に追い付いたが、西農鳥岳手前に落伍者を出し、かなりのスローペースであった。農鳥岳に到着後僅かで、この団体も山頂に到着して大混雑となった。ここまで歩いてくる間は、人にはたまに出合うだけで静かであっただけに、うるささにうんざりし、証拠写真をとって下山することにした。この団体は、奈良田まで下山するようであり、麓には観光バスが迎えに到着していたが、かなりの標高差を歩きとおすことができたのか、不安が残った。時間を計算すると、午後のバスに間に合いそうであるため、歩くペースを早めることにした。下降点からしばらくすると、樹林帯の中の急な下りが始った。途中で、遅いグループを追い越そうとして、転倒し、ひじをすりむいた。泥と汗にまみれながら下山の足を早めた。のどが乾き、沢の水をいくら飲んでも乾きがとまらなかった。大門沢小屋に到着しても、長い下りはさらに続いた。この道を逆に登ってくる者もいたが、普通の登山を楽しもうとする人は避けた方が無難のようであった。つり橋に出て、ようやく人里も近いかとホットした。何ヶ所かのつり橋があったが、一人しか渡れないため、団体に遭遇すると通過に無駄な時間を費やす危険性があった。最後の車道歩きは、奈良田の温泉に入るために急ぎ、1時間の余裕を持って、奈良田のバス停に到着した。高台にある公衆浴場に300円で入浴し、着替えもして人心地を取り戻した。バスは、満席で立つ者もでる状態であったが、短い乗り継ぎ時間で、その日の内に新潟まで戻ることができた。


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