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鳳凰山

1994年6月25日 両夜行日帰り 単独行 晴れ

鳳凰山 ほうおうさん 南アルプス北部(山梨) 5万 韮崎、鰍沢 2.5万 鳳凰山、夜叉神峠
  砂払岳 すなばらいだけ
  薬師岳 やくしだけ(2780m) 標高点
  観音岳 かんのんだけ(2840m) 二等三角点
  赤抜沢ノ頭 あかぬけさわのかしら(2750m)
  地蔵岳 じぞうだけ(2764m) 測定点
  高嶺 たかね(2779m)

ガイド:北岳・甲斐駒・仙丈(山と渓谷社)、南アルプス(山と渓谷社)、山梨県の山(山と渓谷社)、北岳を歩く(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、日本百名山登山ガイド下巻(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「甲斐駒・北岳」(昭文社)

6月24日(金) 16:20 新潟発=(関越道、藤岡JC、上信越自動車道、佐久、R.141、韮崎、R.20、R.52、南アルプス街道 経由)=23:45 夜叉神峠登山口  (テント泊)
6月25日(土) 4:35 夜叉神峠登山口発―5:20 夜叉神峠―6:15 杖立峠―6:50 山火事跡―7:20 苺平―7:44 南御室小屋〜7:52 発―8:22 ガマの岩―8:46 薬師小屋―8:55 薬師岳〜9:00 発―9:25 観音岳〜9:53 発―10:19 鳳凰小屋分岐―10:35 赤抜沢ノ頭―10:50 地蔵岳基部―11:00 赤抜沢ノ頭―11:32 高嶺―12:10 白鳳峠〜12:15 発―13:52 白鳳峠入口―14:04 大樺沢出合バス停=15:40 発=(山梨交通バス)=16:25 夜叉神峠登山口=(往路を戻る、芦安温泉山渓園入浴 450円)= 6月26日(日) =6:40 新潟着

 鳳凰山は、北岳、間ノ岳、農鳥岳と連なる白峰三山と野呂川を隔てて対峙する展望の山であり、南アルプス入門の山と言われている。一般に、薬師岳、観音岳、地蔵岳の三つをまとめて鳳凰三山と呼んでいる。地蔵岳の頂上には、オベリスクと呼ばれる合掌した形の岩峰があり、鳳凰山のシンボルとなっている。このオベリスクの初登攀者はウェストンであることはよく知られている。鳳凰山の名前の由来は、女帝孝謙天皇(奈良法王)が転地療養にやってきて、奈良田に滞在してこの山に登ったという伝説によるという説がある。また、オベリスクの岩峰を大日如来に擬して法王山といったことに由来するとも言われている。
 鳳凰山は、オベリスクの写真でこの山を知り、以前から登りたい山であった。いくつかのコースが考えられたが、夜叉神峠から鳳凰三山を縦走する最もオーソドックスなルートを、山中1泊で歩く予定で出発した。梅雨の合間のひと休みで、山梨地方に曇時々晴れの天気予報が出た。早目に出発したが、走り始めるなり激しい夕立となり、1時間程の昼寝となった。1月前にも八ヶ岳の天狗岳に登るために走った道をさらに南下した。南アルプス街道と書かれた県道は、芦安温泉から先は狭い舗装道路に変り、標高を一気に上げると夜叉神峠登山口に到着した。広くなった道の両側は駐車場になり、10台程の車がとまっていた。さっそく車の後にテントを張って寝た。夜遅く、他にスペースはいくらでもあるのに隣にワゴン車が到着し、話声とドアの開閉等の物音が騒さくて閉口した。
 朝は、ガスが軽くかかる天気となった。夜叉神峠へは、急斜面で始まったが、良く踏まれた歩きやすい道であった。汗が額を流れ落ちるようになる頃、夜叉神峠に到着した。素晴らしいと言われる夜叉神峠の展望は、残念ながらガスの中であった。朝露で濡れた笹の中を、ズボンの裾が濡れるのを気にしながら進むと樹林帯の登りになり、ガスの切れ間から青空が見え始めた。祈りが通じたのか、杖立峠では朝日に輝く白峰三山と体面することができた。一定の斜度の登りはさらに続いたが、道が良いためコースタイムを縮めることができた。山火事跡からは、野呂川から一気に立ち上がる白峰三山が正面に広がっていた。それぞれの山が立派であり、特に北岳だけが抜きん出ているわけではなかった。登行意欲がそそらされる眺めであった。仙丈岳は見えたが、富士山等の他の山は雲で隠されていた。南御室小屋は、水場もあるオアシスであった。薬師小屋に宿泊する際には、必ず南御室小屋に予約するようにという看板が立っていた。ここまでコースタイムをかなり短縮しており、今日中に広河原までとばせるかもしれないと思い始めた。急な登りを頑張り、樹林限界を突破すると、白砂の中に岩が転がる、庭園のような砂払岳に到着した。薬師岳から先の稜線には砂礫地が広がり、生け花のように枝が曲りくねったダケカンバの林の中に薬師小屋が佇むのが見降ろせた。薬師小屋の泊りをパスし、滑り易い砂地を登ると薬師岳に到着した。稜線に沿って、置物のように岩が並んでいるのが面白かった。ガスが上がってきて、間ノ岳と農鳥岳は見えなくなった。稜線上の歩きを楽しみながら、最高点の観音岳に到着すると、待望のオベリスクを目にすることができた。帰宅後にガイドブックを眺めなおしてみると、ここからの眺めは定番になっていた。その背後には甲斐駒が聳えているはずであったが雲に隠されていた。山頂にある畳状の岩の上で、雲の切れるのをしばらく待ったが、北岳も隠れたままになった。
 下山を決心して、赤抜沢ノ頭に荷物を置いて地蔵岳を往復した。賽ノ河原には、新しいものもかなり混じっている小さな石の地蔵が数多く置かれいた。オベリスクの基部の岩場には、5名程のグループが登って騒いでいた。高嶺への道は、痩せた所があり、ペンキマークに注意を払って、コースを辿る必要があった。高嶺から、最後に観音岳方面を振り返って、石の転がる歩き難い急斜面を下った。幾つものピークを登り返しているため、疲労が足に来始めていた。広河原からの平日のバスの時刻表がわからず、最悪は野宿の幾つかのシナリオを考えながら先を急いだ。白鳳峠からは、ガレ場の下りとなったが、北岳が正面に聳えていた。樹林帯の中に入っても石が転がり、しかも急で歩きにくい道であった。途中で沢の水音が聞こえるが、結局、水場は現われなかった。崩壊のためか、林の中に踏み跡が付けられルートがはっきりしない所もあった。工事の騒音が早くから聞こえ、工事中の河川敷が眼下に見えるものの、林道におり立つまでは長かった。広河原のアルペンプラザに到着して時刻表を見ると、平日は午後に1便しか無いバスに間に合ったことを知り、ホットした。バスを待つ間にこの先の予定を考えたが、鳳凰山の眺めや1日の歩きの満足感で飽和状態の気分となり、帰宅することにした。夜叉神峠登山口までの林道は、バスでも40分程もかかり、一日で歩いたことを驚くほどの距離があった。山を降りた所にある村営の温泉に入浴して、汗を流した。車で残念なことは、この後にビールを一杯という訳にはいかないことである。疲れのためか新潟までの道は長く、途中で仮眠を取って、帰宅は翌朝になった。南アルプスの中でも人気のある山にもかかわらず、途中4組の登山グループとすれ違った他は、山頂では誰にも出会わない、独り占めの静かな山を楽しむことができた。


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