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戸隠山

1994年6月 4日 日帰り 単独行 晴れ

戸隠山 とがくしやま(1904m) 標高点
九頭竜山 くずりゅうやま(1883m) 三等三角点

ガイド:関東の山(山と渓谷社)、諸国名山案内 上信越(山と渓谷社)、日本300名山ガイド 西日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「妙高・戸隠」(昭文社)

6月4日(土) 4:45 新潟発=(北陸道、上越IC、R.18、柏原 経由)=7:50 奥社駐車場〜8:00 発―8:27 奥社〜8:35 発―9:06 五十間長屋―9:48 八方睨〜9:55 発―10:07 戸隠山―11:40 九頭龍山―11:26  一不動避難小屋―12:45 戸隠牧場―13:25 奥社駐車場―17:40 新潟

 鋸の刃を横にしたような戸隠山は、神話と信仰の山である。戸隠山は、天ノ岩戸が飛んできて山になったことに由来し、奥社には天手力雄命(あめのたじからおのみこと)が祭られている。八方睨から西岳を巡るコースは、鎖場の連続する難路となっているため、今回の表山縦走と呼ばれるコースが一般的となっている。
 金曜の夜に酒を飲んでしまったために、戸隠山の日帰り登山になった。観光や散策で奥社までは何度か歩いたことのある道である。杉並木の連なる参道は長く、登山靴で足下を固めても、汗が早くもわいてきた。奥社で手を合せると、頭上には戸隠山の峰が連なっていた。奥社の脇から、急な登りが始まった。オーバーハングした岩壁の下にある五十間長屋と百間長屋を越すと、いよいよ鎖場の連続となった。鎖場自体は、足がかりもあってそう難しいものではないのかもしれないが、急な登りの連続で、足下が覚束なくなってしまった。胸突き岩を鎖を頼りに攀じ登ると、有名な蟻ノ戸渡りになった。右下にトラバースの為の鎖が掛けてあり、敢えて肝試しをする気もないので、この迂回路をとることにした。この迂回路も、一旦5m程下るのに足場が定まらず、またトラバースの部分も鎖があっても難しい道であった。迂回路から再び縦走路に戻ると剣ヶ峰となり、ここは3m程の間がナイフリッジになっており、上を歩いて渡ることはできず、迂回路もなかった。左側の少し下がった所に足がかりがあり、ナイフリッジを抱き抱えるようにしながら慎重に渡った。最後の登りを頑張ると八方睨に到着した。八方睨は狭いピークであるが、難所を通過してひと安心し、他の登山者が危険地帯を通過するのを眺めながら素晴らしい風景を楽しんだ。高度感のある眺めが広がり、大胆に蟻ノ戸渡りを小走りに突破したり、剣ヶ峰を馬乗りになって通過する様子を眼下に眺めることができた。目の前の飯縄山はスキー場の跡が痛々しく、西岳は荒々しく聳え、その後には残雪に輝く白馬の山々が連なっていた。特に素晴らしいのは高妻山の眺めであった。鋭角的に眼下の谷から一気に高まった山容は、他からは見られないものであった。深田久弥は、日本百名山の高妻山の項でもここからの眺めに触れており、心残りの山では、「霧の動いて行く隙から、眼の前にスックと高妻山が現われたときには雀踊りして喜んだ。スックという言葉が一番よくあてはまる、高潔な山である。今までいつも遠くからばかり眺めていたその山の膝元に来て、いま土台から絶頂までその全容を見ることができた。」と述べている。周囲の山から眺めた時に、高妻山はそれほど目立つ山ではない。日本百名山に高妻山を選んだのは、ここからの眺めによるところが大きかったものと思われる。ここからは、潅木と笹の茂るなかにつけられた道の、左右の眺めを楽しみながらの稜線歩きとなった。戸隠山は、パットしないピークであり、一番の展望台は結局のところ八方睨であった。一不動避難小屋からは、去年の高妻山登山の際のコースと同じになった。沢道は、冬の間に流されてきたと思われる木の枝が目立ち、去年の秋以上に荒れた感じがした。戸隠牧場は、明るい感じで、幼稚園児の遠足で賑わっていた。登山道上には残雪は無く、かなりの登山者が入山していた。鎖場の関係で、このコースの逆コースは採らないほうが良いと思われる。


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