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青海黒姫山

1994年5月28日 日帰り 単独行 晴

青海黒姫山 おうみくろひめやま(1222m) 一等三角点補点 北アルプス前衛(新潟) 5万 小滝、糸魚川 2.5万 小滝、糸魚川

ガイド:新潟ファミリー登山(新潟日報社)、越後の山旅下巻(富士波出版社)、日本300名山ガイド 西日本編(新ハイキング社)

5月28日(土) 5:10 新潟発=(北陸道、糸魚川IC、青海 経由)=8:05 電化セメント青海工場原石課〜8:24 発=(四駆自動車)=8:34 梨ノ木平―10:04 高畑分岐―10:16 黒姫小屋―10:36 黒姫山〜11:05 発―11:15 黒姫小屋―11:32 高畑分岐―12:40 梨ノ木平―13:20 電化セメント青海工場原石課=16:30 新潟着

 黒姫山は、全国に三つしかないが(コンサイス日本山名辞典では三つであるが、守門岳の東部に黒姫1367.8mというピークがある)、比較的近い場所にかたまっている。最も有名なのは長野の妙高・戸隠地区にあるものであるが、今回の山は、青海川の河口部に近い所に聳えているもので、区別するため青海黒姫山と呼んでいる。青海黒姫山の山頂には奴奈川姫を祭る黒姫神社が設けられている。大国主命が、姫の美しさを聞きおよんで、出雲の国からやってきて求婚したという伝説が残されている。近くには曲玉の原石のヒスイの原産地もあり、古くから中央政権との交易があったことが知られており、この伝説にも一片の真実が含まれているのかも知れない。青海黒姫山は、全山が石灰岩からできているため、青海電気化学工業の私有地になり、採掘の傷跡が山に刻み込まれている。昔からの西面からの登山道は閉鎖になり、現在残されている北面からの登山道も砕石運搬用の私道を通る必要があるため、事務所から許可をもらう必要がある。
 新潟県の山であるが、富山県境に近いため、先送りにしてきた青海黒姫山にようやく出かけた。高速上から、まだ白い所の多い妙高連峰が青空に浮ぶのを見て、残雪の状態が心配になってきた。青海川のたもとでデンカの看板に導かれて曲ると、工場の真っ只中に入ってしまった。登山の許可を得るために原石課を探したが、外にある看板が資源課というものであったため、通り過ぎてしまった。火薬の取りだし中のため30分程待つようにと言われ、待つうちに神奈川県から毛勝山登る途中に寄ったという単独行も到着した。待たせたということで、四駆の自動車で登山口まで送ってくれることになった。一気に高度を稼いで、砕石跡と思われる広い台地状の梨ノ木平に到着した。登山道は、昨日の雨と雪融け水とで滑り易くなっており、固定ロープが助けになった。登るにつれて残雪が現われるようになり、コースを探す箇所も出てきた。滑ると止りそうもない残雪の急斜面も現われ、固定ロープは雪の下で使えないため、木の枝を頼りに慎重によじ登った。高畑との分岐の看板を見るとピークに出たが、山頂はまだ先であり、倒れた枝を跨いだり潜ったりの道が続いた。黒姫小屋は半倒壊で使用不可能な状態であった。最後の急斜面を登ると、周囲の展望が一気に開け、岩混じりの稜線を伝って山頂に到着した。山頂は遮るものの無い360度の展望台であった。白馬連峰の朝日岳から白鳥山を経て日本海に至る栂海新道が横たわっていた。明星山の鋭い山頂は、眼下にあり、その向うには、戸隠、高妻山、妙高連峰、海谷山塊の山々が広がっていた。山の残雪の白さと、日本海の濃紺色、木々の緑が印象的であった。残念なことは、山頂近くまで砕石現場が延びてきていることであった。この山も武甲山と同じ運命にあるのかと思った。下りは、登り以上に滑り、泥だらけになった。下山途中、もう一名の登山者に出合ったが、地元の人か、長靴履きであった。最後の自動車道路の歩きは、照り返しの厳しい道でかなりの高度差もあり、登りに送ってもらったことは幸いであった。


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