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大台ヶ原山(日出ヶ岳)

釈迦ヶ岳

稲村ヶ岳、山上ヶ岳

弥山、八経ヶ岳、伊吹山

医王山

1994年4月29日〜5月3日 前夜発4泊5日 単独行 晴/晴/晴/晴/晴

大台ヶ原山(日出ヶ岳) おおだいがはらざん(ひのでがたけ) (1695m)  一等三角点本点 台高山脈(奈良、三重) 5万 大台ヶ原山 2.5万 大台ヶ原山
ガイド:大阪周辺の山(山と渓谷社)、アルペンガイド「大峰・台高」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド(新ハイキング社)、日本百名山登山ガイド(下)(山と渓谷社)

釈迦ヶ岳 しゃかがだけ (1800m) 一等三角点本点 大峰山脈(奈良) 5万 釈迦ヶ岳 2.5万 池原、釈迦ヶ岳
稲村ヶ岳 いなむらがだけ (1725m) 三等三角点 大峰山脈(奈良) 5万 山上ヶ岳 2.5万 洞川、弥山
山上ヶ岳 さんじょうがたけ (1719m) 一等三角点補点 大峰山脈(奈良)5万 山上ヶ岳 2.5万 洞川、弥山
弥山 みせん (1895m) 標高点 大峰山脈(奈良) 5万 山上ヶ岳 2.5万 南日裏、弥山
八経ヶ岳 はっきょうがたけ (1915m) 二等三角点 大峰山脈(奈良) 5万 山上ヶ岳 2.5万 南日裏、弥山
ガイド:大阪周辺の山(山と渓谷社)、アルペンガイド「大峰・台高」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド(新ハイキング社)、日本百名山登山ガイド(下)(山と渓谷社)

伊吹山 いぶきやま (1377m)  一等三角点本点 伊吹山地(滋賀) 5万 長浜 2.5万 関ケ原
ガイド:アルペンガイド「鈴鹿・美濃」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド(新ハイキング社)、日本百名山登山ガイド(下)(山と渓谷社)

医王山 いおうぜん (939m)  一等三角点補点 白山山地(石川、富山) 5万 城端 2.5万 福光
ガイド:とやま山歩き(シー・エー・ピー)、日本300名山ガイド(新ハイキング社)

4月28日(木) 21:43 新潟発=(北陸自動車道 4月29日(金) 米原IC、名神自動車道、瀬田東IC、京滋バイパス、R.24、京奈和自動車道、木津町、R.24、橿原、R.169、吉野町、R.169、川上村、大台ヶ原ドライブウェイ 経由)=9:48 大台ヶ原駐車場〜10:00 発―10:30 日出ヶ岳〜10:50 発―11:20 正木原―11:42 牛石ヶ原―11:50 大蛇ぐら〜12:00 発―12:29 しおから谷―12:55 駐車場=(大台ヶ原ドライブウェイ、R.169、上北山村、前鬼口、前鬼林道経由)=15:25 前鬼林道終点 (テント泊)
4月30日(土) 4:40 発―5:14 前鬼宿坊―6:08  二ツ岩―6:44  太古ノ辻―6:52 大日分岐―6:59 大日岳山頂―7:15 大日分岐―7:27 深仙ノ宿―8:04  釈迦ヶ岳山頂〜9:00 発―9:28 深仙ノ宿―9:37 太古ノ辻―10:24  二ツ岩―11:15 前鬼宿坊―11:50 前鬼林道終点=(前鬼林道、R.169、上北山村、吉野町、下市町、R.309、川合、洞川経由)=17:30 洞川キャンプ場 (テント泊)
5月1日(日) 4:00 発―4:37 稲村登山口―4:51 五代松鍾乳洞―5:34  法力峠―6:30 山上辻―6:50 大日山分岐―6:55 大日山山頂―7:06 大日山分岐―7:13 稲村ヶ岳山頂〜7:25 発―7:47 山上辻―8:22 レンゲ辻―8:57 山上ヶ岳山頂〜9:30 発―10:07  陀羅助茶屋―10:17 洞辻茶屋―10:32 オタスケ水―10:52  一本松茶屋―11:12  一ノ瀬茶屋―11:20 清浄大橋―11:40 母公堂―11:55 稲村登山口―12:19 洞川キャンプ場=(R.309、川合経由)=14:30 行者還トンネル西口 (テント泊)
5月2日(月) 4:40 発―5:27 奥駈道分岐―5:45 石休ノ宿跡(三等三角点)―6:12 聖宝ノ宿跡―6:50 弥山小屋―6:54  弥山山頂〜7:03 発―7:25 八経ヶ岳山頂〜7:54 発―8:12 弥山小屋―8:44 聖宝ノ宿跡―9:06 石休ノ宿跡―9:24 奥駈道分岐―9:55 行者還トンネル西口=(R.309、川合、下市町、R.169、橿原、R.24、木津町、京奈和自動車道、R.24、京滋バイパス、瀬田東IC、名神自動車道、関ケ原IC、伊吹山ドライブウェイ 経由)=16:44 伊吹山山頂駐車場―16:55 伊吹山山頂―17:30 伊吹山山頂駐車場=(R.365、長浜IC、北陸自動車道、
5月3日(火) 小矢部IC、医王林道、百万石林道 経由)=5:20 国見平駐車場〜6:00 発―6:06 堂辻―6:34 サンショウ河原―6:47 三蛇ヶ滝分岐―6:54 三蛇ヶ滝―7:03 大沼〜7:11 発―7:15 三蛇ヶ滝分岐―7:35 鳶岩―8:28 白兀山―9:06 菱広峠―9:25 奥医王山〜9:36 発―9:47  菱広峠―10:24  三千坊展望台(三等三角点)―10:30 堂辻―10:36 国見平駐車場=(百万石林道、医王林道、小矢部IC、北陸自動車道 経由)=17:00 新潟
新潟から大台ヶ原   694 km
総走行距離     1700 km

 奈良の南部には、台高山脈と大峰山脈が並んで南北に走っている。このうち、奈良県と三重県の県境をなすのが台高山脈であり、その名は大台ヶ原山の台と高見山の高からとったものである。大台ヶ原山の山頂はなだらかな高原状を呈し、日出ヶ岳がその最高点である。年間の降水量が多いことでも知られ、大杉谷を代表とする渓谷を麓に抱いている。現在は、頂上付近までドライブウェイが通じているため、観光客も含めた人々で賑わっている。
 大峰山脈は、吉野から熊野まで、紀州半島の中央を南北に全長100キロ以上にわたって走っている。この山脈全体が、役ノ小角を開祖とする修験道の道場となっており、現在でも宗教的施設が多く残り、特に縦走路は奥駈路と呼ばれている。大峰山は、昔は金を産出するということで金岳(かねのみたけ)と呼ばれ、それが金峰山に代り、全国にある金峰山は、この本山から蔵王権現を分祠して名づけられたものだという。大峰山として有名なのは、山上ヶ岳であるが、現在でも女人禁制となっているため、最高峰の八経ヶ岳をその代表とする例が多い。八経ヶ岳という名は、役ノ行者が法華経八巻を埋めたことに由来するといわれているが、この山は、その他に八剣山や仏経ヶ岳の別称をもっている。
 伊吹山は、伊吹山地の主峰で、長浜や関ケ原付近の高速道や鉄道上から、一際目立つ山である。古くから歌に読まれ、薬草の山地としても有名である。日本武尊が東征から戻る途中、この山に妖神がいると聞いて退治に出かけたところ、その化神の大蛇の毒に当てられ、ついに伊勢で亡くなったという伝説があり、山頂に像が建てられている。山腹にはスキー場やセメント工場、また山頂までドライブウェイが通じて自然破壊が進んでいる。
 医王山は石川・富山県境に連なり、その山名は、山中に薬草が多いことに由来するといわれている。山中には、奇岩・絶壁・渓谷・滝・池などがあり、それらを巡る登山コースは変化に富んでいる。しかしながら、県立自然公園に指定され、スキー場や自動車道の開通など、観光開発が進みすぎたきらいがある。
 大型連休ということで、関西の日本百名山への旅に出かけた。道路の混雑状況に不安があったが、高速道や奈良付近の一般道はスムーズに走ることができた。R.169や大台ヶ原ドライブウェイは、狭くて大型車とのすれ違いが困難なものであったが、朝のためか空いており、空きの目立つ広い駐車場に到着した。谷合いの残雪で遊ぶ子供連れのハイカーを見ながら、広い登山道の登りわずかで日出ヶ岳に到着した。山頂には展望台が建てられ興醒めであったが、春の霞の中にかすれていく山々の重なりが墨絵のようであった。特に大峰山脈が目の前に横たわっていたが、初めての山でどれがどのピークなのか良く判らないのが残念であった。三角点は展望台の後にひっそりとあった。東大台の周遊コースに入り、正木原の倒木を見ながら歩くが、雨が降っていないのか、苔が乾燥して、しっとりした風情が失われているようであった。大蛇ぐらからの眺めを楽しんだ後は、かなり急な坂の下りとなったが、運動靴の観光客が、急な登りや石のころがった歩きにくい道に苦しんでいた。しおから谷の沢水で一服した後、先程下った分だけ登り返して駐車場に戻った。長時間のドライブで疲れていたせいか、観光客用の遊歩道として油断していたせいか、この一周コースは予想外に疲れた。駐車場は何台もの大型観光バスや路線バス、自家用車でいっぱいになり、団体が山頂に向かって歩き出していた。
 おでん定食を食堂で食べた後に、次の目的地の前鬼登山口に向かった。R.169の前鬼口から入った林道は、途中まで舗装され、狭いながら走るのは難しくなかった。不動七重の滝の展望を楽しんだ後、僅かな走りで林道終点に到着した。10数台の車がとめてあったが、人気は無かった。ビールを飲みながら、車の脇にテントを張り、夜の準備をする。夕刻下山してきた登山客の話を聞くと、前鬼宿坊にテントを張っているものが多いとのことであった。夜も更けてから到着したものが2組おり、朝にはテントが増えていた。
 未明より出発の準備を始め、懐中電燈を頼りに前鬼宿坊に向かって歩きだした。良く踏まれた山道は、歴史の重さ感じさせるものであった。前鬼宿坊の前には、芝地のテント場が設けられ、絶好の幕営地となっていた。宿坊の営業は5月3日とガイドブックに書いてあったが、泊った者もいたようであった。建物の裏手には、五鬼の坊跡の石垣が、うっそうとした杉林の中に、歴史を感じさせながら佇んでいた。道はしだいに急になり、木の梯子や階段も現われ、登り続けるのに気合いを入れる必要が出てきた。二ツ岩に出て、登りもひと段落かと思ったが、大日岳が頭上に聳えており、まだまだ登りが続くことを知った。途中、カレ沢の降り口に崩壊部があり、やぶを高まく必要のある場所があった。太古ノ辻で奥駈道に出て、登りもひと区切りとなった。奥駈道の途中から分れて大日岳の山頂を目指すが、踏み跡が途中で不明になり、木の根を頼りに登っていくと狭い山頂に飛びだした。長い鎖場があるとガイドブックに書いてあったが、迂回路を登ってしまったのか不明であった。東面の絶壁の向うには、釈迦ヶ岳とそこに至る登山道が一望のもとであった。再び縦走路に戻り、僅かに下ると、深仙ノ宿に出た。明るい鞍部で一夜を過ごすにはよさそうな所であった。避難小屋があったが、床は無く、物置になっていた。最後の登りということで頑張るが、山頂と思って登るとその先があり、これを何回か繰り返した。山頂近くでは、笹原の中に道が隠れ、コースが不明になる所もあった。ようやくたどり着いた山頂は、大きな釈迦像と一等三角点が置かれ、北と南に大峰の山が連なり、ほぼ360度の展望であった。八経ヶ岳への縦走路は、さらに北に続き、先に進みたい誘惑にかられるが、車の制約で諦めるしかなかった。山頂で展望を楽しむ間にも、到着してさらにその先の縦走路に進んでいく者もいた。地元の登山客の話を聞くと、この山も十津川から入る林道終点から容易に登ることのできるコースがあるとのことであった。登るのに汗を充分にかかせるが、歴史を感じさせるこの登山道がすたれることのないことを祈った。下山の途中、先に追い抜いたが会わないグループもいたことから、何組かは奥駈道を南下したようであった。前鬼宿坊にもどると、看板の付け替などの営業準備に追われていた。
 上北山温泉「薬師の湯」に入浴してさっぱりし、夕食の柿の葉寿司やいさざ寿司を買い込み、次の目的地の行者還トンネルに向かった。R.309に入るなり、12月10日より4月30日まで冬季閉鎖ということで鎖がかけられていた。冬季閉鎖はまったく予期していなかったが、行者還トンネルの西方面なら登山客も多いので開放されているかと思い、下市町に戻ってから再び南下する大迂回を決心した。いささか運転にうんざりしながら川合を通過し、擦れ違いの困難な御手洗渓谷を遡ったが、行者還岳の登山口のある大川口の橋のたもとで道が閉鎖されていた。30日も残り数時間しか残っておらず、関東であったなら閉鎖中でもゲートが開放されていることが多いのに、と恨みながら計画を立て直した。翌朝ゲートの開放を待つにしても、何時になるかは判らず、歩くとかなりありそうなので、明日の目的地を山上ヶ岳に変えた。再び道を引返し、洞川に到着するが、路肩には駐車禁止、さらに河原の幕営禁止の立て札が多く立てられ、野宿に適した場所が見当たらなかった。夕暮れも近付き、結局、やや遠い所にある洞川キャンプ場に泊ることにした。キャンプ場は、ファミリーキャンパーで賑わっていたが、広い駐車場に車はまばらであった。大迷走を振り返りながら夕食を食べ、早々に眠りについたが、キャンプ場が静かになったのはかなり遅くなってからであった。
 未明にテントを車に放り込んで、歩きだした。キャンプ場から稲村登山口まで、洞川の町並みを通り抜ける道は、結構遠かった。登山道は、良く整備され、杉林の中を緩やかに登っていった。法力峠を越しても、さらに緩やかな登りが続いた。女人禁制の山上ヶ岳と違って、稲村岳は女性の登山者の人気が高いというのも、登りの傾斜が緩いことと関係しているのかもしれない。彼方に見えていた大日山の鋭峰がしだいに近付いてくると、山荘の立つ山上辻に出た。僅かに登って大日山の基部を通り越した所に、大日山への分岐があった。木が生い茂るやせ尾根に梯子や橋や鎖が掛けられ、足下は急激に切れ落ちているが、登り易くしてあった。狭い山頂は木に囲まれていた。分岐に戻って稲村ヶ岳に向かうと、沢筋に残った残雪のトラバースが現われた。踏み跡は付いているが、沢は足下に急激に落ち込んでおり、落ちたら助かりそうになかった。トラバースの入り口には、これまでの登山者が使った木の枝が落ちており、これを杖にして慎重に渡った。山頂まで、このようなトラバースが2ヶ所あった。ようやくたどり着いた稲村ヶ岳の山頂は、展望台に占領されていた。展望台からは山上ヶ岳方面の展望が広がっていたが、逆光になってはっきりしなかった。このような展望台は観光地じみて、登るのに流した汗を裏切っているような気がした。山上辻から山上ヶ岳に向かう道は、ピークは巻くようにして緩やかに付けられていた。れんげ辻で、初めて女人結界というものにお目にかかった。岩場の急な登りとなるが、直に山頂の一角の笹原の広がるお花畑に到着した。目の前に広がる稲村ヶ岳が印象的であった。大峰山寺は戸が閉ざされ、開山の準備に働く人が目についた。三角点を、寺の前の広場に探すが、皇太子登山記念碑が目につくものの、見つからなかった。広場の上のピークに、お花畑から続く踏み跡を辿ると一等三角点がひっそりと埋っていた。踏み跡の様子からすると、この三角点に立ち寄る者はまれの様であった。山頂の宿坊の立派には驚かされたが、開山前で人影はまばらであった。登山道は良く整備され、登山者数の多いことを物語っていた。下っていくと、陀羅助茶屋に出て、登山道が小屋の中を通っているのが面白かった。シーズン中は、富士山の休憩場のように賑わうのであろうか。下りは結構長く、一般の信者がこの道を登るのは大変だろうと感じた。清浄大橋の女人結界では、女性の観光客の記念写真で賑わっていた。キャンプ場までの車道歩きは長かった。
 今度は洞川温泉で入浴し、食堂で昼食をとった後に、行者還トンネル西口に向かった。今日は、ゲイトは開放されていた。標高をかなりかせぐと、多くの車でうまったトンネル西口に到着した。10以上のテントが張られ、テント村が出現していた。トンネルからの湧き水による水場もあり、幕営地としては適していたが、人出が多すぎるため、トイレの場所を探すのが難しかった。荒れ模様になり、風が強く、夜間雨もパラついたが、翌朝は晴れになった。
 行者還トンネル西口から沢沿い登り、沢を渡るとやせ尾根の急な登りとなった。体が登りに慣れるころ、奥駈路に飛びだした。下降点に指導標は無かったが、赤テープが巻かれ、かたわらにはベンチが置かれていた。緩やかな道を登るに連れ、弥山が次第に近くなってきた。聖宝ノ宿跡から急坂になり、再び気合いを入れて登ると、弥山小屋の前に飛びだした。小屋の前には、幾つものテントが張られていた。八経ヶ岳へは、倒木の目立つ急坂を一旦下ってから、登り返す必要があった。山頂からは、南北に連なる大峰山脈の眺めが特にすばらしかった。この3日間の大峰のピークの内では、八経ヶ岳が一番賑わっていた。日本百名山に登ったことに満足し、風景を楽しんだ後に下りに移った。気温は夏を思わせるように高くなっていた。
 昨晩地元の人から聞いた天の川温泉に入浴し、食堂で昼食をとりながら、次の目的地の伊吹山の計画を練った。連休中の人出を予想すると、今夜半から大渋滞が始まり、伊吹山一帯もこの渋滞の中に巻き込まれそうであった。時間を計算すると、伊吹山に車で登ることができそうなので、さっそく出発することにした。橿原の通過に渋滞した他は、スムーズに走ることができ、伊吹山の山頂駐車場に夕暮れ近くに走り込むことができた。広大な駐車場は、すでに閑散としていた。遊歩道を数組の観光客に混じって登ったが、この登りに結構息がはずんでしまった。山頂は広い台地状で、日本武尊の像のもとに山頂と書いてあったが、一等三角点が見つからなかった。高そうな場所を探し歩いて行くと、観測所のフェンスのわきに見つけることができ、ようやくひと安心した。日が陰り始めた山頂からは、雲海の上に顔を覗かせた鈴鹿や近江の山々の展望が広がっていた。このような形で百名山を片付けるのはいささか問題かなと思ったが、車を使うと歩かずに登れてしまうのもこの山の現在の姿であるということで割り切ることにした。山を下った時には、有料道路の登りのゲートはすでに閉められていた。
 混雑の始まった北陸道のパーキングで、新潟への帰路に寄ることのできそうな山を300名山の中から探し、医王山を最後の目的地とした。このような事もあるかと思って、富山の登山ガイドの本を持ってきたのが役に立った。サービスエリアは混雑しており、立食いコーナーでやっと夕食をとった。途中で仮眠を取り、明け方に舗装された林道を登り、国見平駐車場に到着した。雲海の上に広がる山々の展望を楽しみながら朝食をとり、歩きだした。奥医王山は、林道終点から僅かな登りのようなので、周遊コースを歩くことにした。急坂を下って残雪の残る沢に降り立つと、岩場のトラバースや滝、沼と変化に富んだ光景が現われた。鳶岩へは、三点保持が必要な急な長い岩場の登りとなった。鳶岩の上からは、足下は切れ落ち、眼下に風景が広がっていた。緩やかな尾根道を登っていくと祠と鉄聖の展望台が立てられた白兀山に到着した。先程の大沼や、この白兀山にもハイカーがいたが、金沢方面からの林道からは容易に来ることが出来るようであった。白兀山から菱広峠の間には、残雪で登山コースが隠され、道を探して残雪上をジグザグに歩かなければならない所があった。菱広峠には、三方から林道が通じ、スキー場のリフトが登ってきており、下のゴンドラ駅で流す音楽が耳障りであった。最後の登り僅かで、奥医王山に到着したが、この山頂にも鉄聖の展望台が立てられていた。国見平に戻る林道は、落石で車の通行不能な箇所があった。新潟への道は、綾不知の手前で渋滞があった他は順調に走ることができた。
 天候にも恵まれ、大型連休の前半や、山開きの前ということで比較的静かな山を楽しむことができた。今回の大峰の山は、麓からの日帰りピストンを行ったが、いつか奥駈という形で歩いて見たいと思う。


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