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諏訪山

1994年4月9日 前夜発日帰り 単独行 晴

諏訪山 すわやま (1549m) 三等三角点 西上州(群馬) 5万 十石峠 2.5万 浜平

ガイド:東京周辺の山(山と渓谷社)、関東百名山(山と渓谷社)、日本300名山ガイド(新ハイキング社)、山と高原地図「西上州・妙義」(昭文社)

3月8日(金) 20:35 新潟発=(関越道、本庄・児玉IC、鬼石、万場経由)
3月9日(土) =2:17 浜平着 (車中泊)
5:05 浜平発―6:49 湯ノ沢の頭―7:34 避難小屋―8:13 三笠山(下ヤツウチグラ)―8:53 諏訪山〜9:05 発―9:32 三笠山〜9:46 発―10:25 避難小屋―11:01 湯ノ沢の頭―12:23 浜平―18:50 新潟

 諏訪山は、静かな西上州でも、神無川を遡った最奥の山である。日本300名山に選ばれているが、日本の山岳標高一覧(−1003山−)や山渓カラー名鑑「日本の山1000」(山と渓谷社)には載っておらず、あまり登る人の少ない山のようである。
 4月に入り、ひさびさに車で出かけることにする。ここ数日の暖かい陽気とはうって変って寒くなり、走っている内に雪になった。万場までの道は、先日の御荷鉾山の際に経験済みであったが、その先も長かった。途中、楢原トンネルを出たところにあった諏訪山への道しるべにつられて小倉山コースの林道に入ってしまい、引返すことになった。ようやく浜平に到着し、集落手前の橋のたもとの空き地に車をとめた。途中、御巣鷹の尾根への案内板が多数出ていたことから、日航機墜落現場が近いことに思い当り、急に深夜の野宿がうす気味悪く感じた。翌朝目を覚ますと、驚いたことに新雪が積もって銀世界になっていた。登山を中止するか迷ったが、青空と、冬でも積雪は20センチ程の記事に勇気付けられて出発することにした。木製のかけ橋を渡り、指導標に従って、左手に湯ノ沢を遡った。じきに二股に出たが、右の沢を登った。登山道は、しばしば沢の中を通るため、コースを見極めるのが難しく、しかも15センチほどは積もった雪に隠されてしまっていた。沢の合流点には、諏訪山への指導標が立てられていたが、尾根に向かって沢をつめるころには、林の中の切り開きのようすから道を探る山感が必要になった。まれに赤札や鉈目に出合うとほっとした。ようやく湯ノ沢の頭に出ると、谷越しに下ヤツウチグラと諏訪山がひと塊となって目に飛び込んできた。諏訪山は奥に引っ込んでおり、下ヤツウチグラがひときわ鋭いため、これが主峰のように見えた。諏訪山への稜線の道は、円弧を描いて、先はかなり遠そうに見えた。登山道は、稜線を左右に巻くように付けられており、雪も30センチ程になって、コースを探るのに気を抜くことができなかった。トビラが取れてしまっている避難小屋から、上ヤツウチグラへの登りは急になり、岩場も現われ緊張した。アルミのハシゴを二つ登ってようやく上ヤツウチグラに到着したが、目の前に下ヤツウチグラが聳えていた。気を奮い立たせて再び登りに取り掛かり、岩壁の下を右手に回り込んでハシゴを一つ登って、木製の祠の立つ三笠山山頂に到着した。頂上からは素晴らしい展望が広がっていたが、諏訪山への登りで頭がいっぱいで、風景を楽しむ余裕は無かった。諏訪山への指導標が無いため、諏訪山への降り口を探す必要があった。登ってきた道に対し右90度の方向の尾根に、かすかな踏み跡を見つけて急坂を下っていくと、岩場に固定ロープがあり道が間違っていないことを知った。最後の登り返しは、新雪が溜まって足下を固めながらの登りになり、時間がかかって体力を消耗した。ようやく到着した諏訪山山頂は、木に囲まれて展望はまったくきかず、立派な山頂標識が立てられているだけの空き地であった。山頂に到着できたことに満足して引き返した。下りは、軽い新雪のために足下が登り以上に定まらず、なんども尻もちをついてズリ落ちることになった。下ヤツウチグラに戻り、今度は風景を楽しんだ。御荷鉾山、赤久縄山、妙義山、浅間隠山から鼻曲山、東南部の沢の向うには、西上州の秘峰のひとつである天丸山から帳付山が目の前に並んでいた。雪まみれになりながら下って行くと、避難小屋手前で、男性2人と女性1人の初老のグループに出合った。山頂まで1時間程かと尋ねてきたが、雪道の下りに苦労し、木の枝を杖代りにしており、どこか不安の残るグループであった。その先で立川から来たという初老の単独行と出合ったが、話しているうちに、この山に登るのは300名山の為かと尋ねられ、この人は100名山を終了して300名山に挑戦中とのことが判った。雑誌の宣伝ではないが、今や300名山の時代が来ているのかもしれない。雪道のトレースにお礼を言われて気を良くし、迷う心配の無くなった下りを続けた。沢沿いまで下ると春の雪は消えて、落葉の道が現われていた。予期せぬ雪に苦労した今回の登山であったが、ルートファインディングの良い練習になった。


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