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武甲山

1994年3月26日 夜行日帰り 単独行 晴

武甲山 ぶこうさん(1295m) 二等三角点 秩父(埼玉) 5万 秩父 2.5万 正丸峠

ガイド:アルペンガイド「奥多摩・奥秩父・大菩薩」(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、山と高原地図「奥武蔵・秩父」(昭文社)、関東百名山(山と渓谷社)、埼玉県の山(山と渓谷社)

3月25日(金) 23:20 新潟発=(快速ムーンライト)
3月26日(土) =5:03 池袋=5:37 発=(西武池袋線)=6:34 飯能=6:35 発=7:23 横瀬―8:47 二の鳥居(一丁目)―9:13 林道分岐―9:14 山頂まで60分の標識―10:13 十字路―10:20 武甲山山頂(第2見晴台)〜10:45 発―11:48 橋立川出合―12:36 浦山口=13:07 発=(秩父鉄道)=14:28 熊谷=15:14  発=16:55 新潟

武甲山のいわれは、日本武尊が武具甲冑を山頂に納めて武運長久を祈ったためという説と、その山用が甲に似ていることに由来するからという説がある。武甲山は、「信仰の山としても知られる奥武蔵の名山」、「姿形が変っても一度は登りたい奥武蔵の名山」「それでも登ってみたい秩父のシンボル的な山」、このように紹介されている。秩父盆地に独立峰としてそびえ、古くから信仰の山として崇められながら、石灰の採掘のために山の形が変り、標高すら低くなるほど破壊が進んで無残な姿になっている。武甲山は、200名山にも選ばれ、一度は登りたい山となっている。
 この週末は車検のために車が使えないため、再び夜行列車で出かけることにした。送別会で酔って列車に乗り込んだため、東京まで眠り込んでいた。子供の頃、奥武蔵にハイキングに来たことがあったが、当時は正丸峠のトンネルは無く、西武線は秩父まで通じていなかったように思う。横瀬の駅に降り立つと、目の前に武甲山がそびえているが、同時に、山に刻まれた採掘の傷がいやでも目に飛び込んできた。西武線沿線の各駅では、ハイキングコースを示す大きな看板があったが、この駅には武甲山を示す看板はなかった。すでにハイキングの対象から除かれてしまっているというのだろうか。東京から最も近い200名山であったならば、看板やら茶店で大賑わいのはずではなかったのだろうか。他に登山客は誰もいなかった。ダンプカーの通る埃っぽい舗装道路から砂利道、さらに荒れた林道を歩き通してようやく登山道になった時にはほっとした。昔の参道は、杉林の中をジグザグに登っていった。頂上近くになると、登山道に凍結面が現われるようになった。大持山方面の眺めの良い尾根に出ると、急な階段登りで山頂直下の十字路に出た。僅かな登りで御岳神社に出て、頂上とされている展望台はその後であった。秩父の眺めが良いと書かれた第2展望台にでると、下からはうかがい知ることのできなかった砕石現場の規模の大きさに仰天させられた。山頂は垂直に削り落とされ、台地上の砕石場では、ブルドーザーやトラックが騒音をあげていた。両神山や荷鉾山の眺めも良かったが、砕石場の風景が全てをだいなしにしていた。この様子では、「日本200名山武甲山山頂跡」という碑が建てられる日もそう遠くは無いと思った。橋立への下りは、登山道らしい落ち着いた道であったが、途中に設けられた発破よけの避難小屋が不気味であった。橋立川出合まで降りると、後は駅までの車道歩きであった。


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