9405

御岳山、大岳山

1994年2月6日 前夜発日帰り 単独行 晴

御岳山 みたけさん( 929m)
大岳山 おおだけさん(1266m) 二等三角点  奥多摩(東京) 5万 五日市 2.5万 武蔵御岳、奥多摩湖

ガイド:アルペンガイド「奥多摩・奥秩父・大菩薩」(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、関東百名山(山と渓谷社)、山と高原地図 奥多摩(昭文社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)

2月5日(土) 23:20 新潟発=(上越線 快速ムーンライト)
2月6日(日) =5:10 新宿着=5:25 発=(中央線)=6:03 立川着=6:05 発=(青梅線)=7:00 御嶽駅=7:35 発=(西東京バス)=7:42 滝本着=7:47 滝本駅=7:53 発=(御岳山ケーブル)=8:00 御岳山駅―8:26 御岳山山頂〜8:34 発―8:45 長尾平―9:53 大岳山荘―10:08 大岳山頂〜10:25 発―11:31 鋸岳―12:32 長畑―13:28 奥多摩駅=13:42 発=14:54 立川=15:01 発=15:44 東京=16:08 発=(上越新幹線)=18:10 新潟着


 御岳山は、農耕の神として講中登山の対象とされてきた。山頂付近には、御師の家や、旅館、土産物屋が立ち並んだ集落がつくられ、ケーブルカーによって容易に山頂に立てるため、奥多摩のハイキングの入門コースとなっている。また、その隣の大岳山は、三頭山、御前山とならんで、奥多摩三山の一つに数えられ、日本200名山にも選ばれて人気の山となっている。ゆるいドームの上に尖んがった山頂を載せた特徴のある山容は、昔、東京湾を航行する船の目標にされてきたといわれている。その山名は、山頂近くにある大嶽神社に由来している。
 ここ数年なかった厳しい寒さが襲い、新潟では路面の凍結による交通渋滞が続いた。自動車による遠出は諦め、鉄道による山行を計画した。片道に夜行列車を利用すると、東京近辺へは往復1万5000円程度になる。真冬に登山を続けるためにはやむを得ないが、東京から日帰りのコースに、新潟から夜行日帰りで出かけるのは釈然としないものがある。土曜の夜のパーティーで酒に酔っ払った後、夜行列車に乗りこんだ。新宿駅は、早朝にもかかわらず朝帰りの酔客で混雑していた。青梅線に乗り換え、しだいに車内が空いてくると、ハイキング客が目立つようになってきた。御嶽駅で下車後、朝食に買ってきた弁当を食べて、バスの始発を待った。さらにケーブルに乗り換え、ほとんど歩かないで御岳山の山頂の一画に到着した。ケーブル駅前には、休憩の茶屋が並び、観光地のシーズンオフに特有な侘しい気配が立ち込めていた。山頂の神社への道は、コンクリート舗装が施され、旅館や土産物屋の軒先をぬって付けられていた。御岳山山頂は、御岳神社が占領しており、ここまでの道には登山の趣は全くなかった。長尾平を過ぎると、残雪を踏みしめる登山に相応しい道になったが、日蔭では凍結しており、みごとに滑って転んでしまった。「転ばぬ先のストック」という諺を考えだし、ストックを取り出して歩きはじめた。登るにつれ雪の量もしだいに多くなり、御岳沢源流を越して急な坂に変るころには一面の雪原になったが、雪は踏み固められ、歩きやすい道であった。大岳山荘手前の岩混じりの尾根では凍結して滑り易い所も出てきたが、アイゼンを付ける程ではなかった。大岳山への最後の急斜面を登ると、大きな富士山が目に飛び込んできた。山頂には、3名の先客がいた。南には、丹沢そして富士山、北には奥多摩の素晴らしい眺めが広がっていた。青空が広がり、風も無く穏やかな日だまりの山頂であった。もしも富士山が無かったならば、東京周辺の山はずいぶんつまらなくなるだろうと思った。富士山を十分に眺めて、山頂を後にした。急な坂で始まったが、凍結しているため慎重に手足を使って下った。アイゼンを付けるほどではないと思って頑張っていたら、軽アイゼンを付けた初老のハイカーに追い抜かれてしまった。しばらく下ったところで、御前山の展望が優れている所があった。雪は所々日当たりの良い所では消えるものの、最後まで残っており、凍結している所も多く、最後まで気が抜けなかった。鋸尾根コースはかなり歩きでがあり、登ってくる登山グループにも数組出会ったが、大変そうであった。最後の愛宕神社の急な階段が凍結しており、今回の最大の難所は、手すりにしがみついてようやく下ることができた。帰りの電車でも多くのハイカーに出会い、春が近い感じがした。


山行目次に戻る
ホームページに戻る