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大滝根山、矢大臣山

1993年12月25日 日帰り 単独行 晴

大滝根山 おおたきねやま(1192m) 一等三角点本点 阿武隈山地(福島) 5万 常葉、2.5万 上大越
矢大臣山 やだいじんやま(965m) 二等三角点 阿武隈山地(福島) 5万 小野新町、2.5万 小野新町

ガイド:
大滝根山;ふくしまの山 50(歴史春秋出版)、福島県の山(山と渓谷社)、奥日光・足尾・那須(山と渓谷社)
矢大臣山;奥日光・足尾・那須(山と渓谷社)

12月25日(土) 3:55 新潟発=(R.49、会津坂下IC、磐越道、東北道、郡山IC、R.49、滝根町、あぶくま洞経由)=8:54 大滝根山登山口〜9:05 発―9:38 ぶな平―10:16 大滝根山山頂〜10:29 発―11:01 ぶな平―11:23 大滝根山登山口=(小野町、川羽根内経由)=12:32 車道終点―13:13 長持石―13:36 矢大臣山山頂〜13:55 発―14:04 長持石―14:40 車道終点

 大滝根山は、標高1000mほどの山ではあるが、阿武隈山地の最高峰であり、三百名山に選ばれている。山頂には、一等三角点がおかれているが、自衛隊のレーダー基地のフェンスで囲まれ、その三角点を踏むことはできない。山は石灰岩からなり、ふもとには、あぶくま洞や入水の鍾乳洞があって、観光客を集めている。
 矢大臣山は大滝根山の隣の山であり、昔小野篁がこのあたりに来て殖産を教えたことから篁(たかむら)山と呼ばれていたのが、後に矢大臣山と改められたとガイドブックにはある。小野篁は百人一首の作者のひとりであるが、矢大臣とどう結び付くかが判らない。
 23日の天皇誕生日は大荒れとなり、東北地方は激しい吹雪となった。ようやく天候も治ったので、再び阿武隈へ出かける。明け方の気温はかなり高かったが、道路上には雪が所々残っていた。観光で何度か訪れたことのあるあぶくま洞を通り過ぎ、仙台平の手前から林道に入った。圧雪状態の林道を進み、大滝根山登山口の標識を見付けて、路肩に駐車した。登山道には雪が10センチ程積もっていたが、青空で暖かかった。杉林の植林地の中は、作業道が枝分れしてコースが判りにくかったが、動物の足跡のある方がなぜか登山道であった。尾根に出ると間違えようの無い一本道となった。木の間からアンテナの立ち並んだ大滝根山が見えたが、かなり先のように見えた。夏山と雪で覆われた山とでは遠近感に差が出るようであった。ぶな平から急な登りになったが、途中2ヶ所の鎖場は雪で足場が隠され通過にてこずった。山頂手前の雑木林は霧氷で覆われ、朝日に輝いていた。所々、雪の吹きだまりが30センチ程の所もあったが、雪の感触を楽しみながら登っていくと、金網が現われ、判っていることながらがっかりした。フェンスを左に回りこんで峰霊神社へ進む。神社の前の木に霧氷が付き、桜が満開のように見えた。柵の中には建物が立ち並び、工事の音が騒がしかった。頂上まで道路が通じており、普通乗用車が登ってきていた。休憩には相応しくない山頂であり、早々に下山した。見晴らしは鎖場付近が良かった。阿武隈山地の山波が広がり、特に目の前に矢大臣山が大きかった。次はこの山と決め、先を急ぐことにした。
 そのままの服装で、靴だけを履き代えて車を走らせた。あるはずの矢大臣山登山口の標識が見つからない。道を行ったり来たりしたすえ、川羽根内の十字路にある観光案内板の図を見て、細い車道に乗り入れた。確信が持てないまま、荒れた林道を歩きだした。指導標はまったくないが、廃屋や萱原など、ガイドブックの記事と一致しており、間違えて無いはずと思いながら歩き続けた。半分以上も進んだ所でようやく古びた山頂まで何メートルといった標識が現われた。南に面した登山道にはほとんど雪は無かった。山頂付近は木が刈り払われて芝生となり、テレビアンテナが立ち並んでいた。山頂の三角点と矢大臣山神社の祠はその間にひっそりとあった。山頂広場の一角には、白木作りの新しい展望台が設けられ、その上からは大滝根山が良く眺められたが、石灰の露天堀に山が削り採られている様子に心を痛めた。この山も、山頂まで車道が続いてきており、展望台もドライブ族様のものであったのかもしれない。2山とも誰にも会わず、青空のもとのスノーハイクを楽しむことができた。

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