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光明山

1993年11月21日 日帰り 単独行 曇のち雨

光明山 こうみょうさん(879m) 標石のない標高点 川内山地(新潟)  5万 加茂、守門岳 2.5万  粟ヶ岳、光明山

ガイド:新潟ファミリー登山(新潟日報)、新潟の山旅(新潟日報)、新潟50山(新潟日報)、越後の山旅上巻(富士波出版)、ビスラーリ93年秋号

11月21日(日) 5:30 新潟発=(北陸道、三条燕IC、R289、下田村、笠堀ダム)=6:45 笠堀ダム駐車場〜6:55 発―8:02 浄土穴―8:22 山ノ神―9:02 中光明―9:31 奥光明〜9:45 発―10:14 中光明―11:08 山ノ神―11:22 浄土穴―12:25 駐車場=14:30 新潟着

 登山道が開かれている山の少ない川内山地において、光明山は日帰り登山の山として親しまれている。光明山は、越佐を廻国して木彫の微小仏を残した木喰上人の修業の山と伝えられており、山中には宗教的遺物が残されている。また、山中で良好な砥石が採れ、その搬出路が現在の登山道となっている。
 夕刻には寒冷前線が通過して天気がくずれるという予報の中、晩秋をおしんで山に出かけた。笠堀ダムまでは、以前にも観光で訪れたことのある道であった。登山、釣り客はダムの下の駐車場に車をとめるようにとの看板があり、晩秋の雨模様の日で、ダムサイトの駐車場が満配になるとは思えなかったが、この指示に従った。ダムへの車道を登っていくと、右手に広い登山道が分れていた。昔の生活道であるためか、登山道は、急な登りとはならず、緩やかに山腹を巻きながら続いていた。始めは、林の中の粘土質の道であったが、落葉が敷き詰められて、そのクッションが足に心地よかった。七曲り峠まで登ると、大日影沢を左に見降ろしながらの水平道となった。粟ヶ岳が谷の向うに大きいが、岩壁につけられた道なので、景色だけに注意を払ってばかりはいられない。木喰上人が修業したといわれる浄土穴やガバ井戸を過ぎて、山ノ神からひと登りでようやく稜線上に出た。今まで見えなかった守門岳から光明山方面の展望が開けた。振り返ると蒲原平野の上に弥彦、角田のピーク、さらにその向うには海を前景に佐渡が浮んでいるのが見えた。尾根上の道は、所々岩場となって、幾つかのピークを越していった。左右に落込む谷と、その向うに聳える山々を眺めながらの歩きは、北アルプスの縦走路を行くような気分を味わせてくれ、この山が1000mにも届かない低山であることを忘れてしまった。前光明山は、それと知らずに通り過ぎてしまい、フイゴの縦負の岩場でようやく自分の位置を確認した。中光明山から奥光明山へは、それほど遠くはなかったが、三角形をした山頂への最後の登りでとうとう雨になり、山頂に到着するや、まず始めに傘を取り出すはめになった。守門岳は雨にけむっていたが、矢筈岳をはじめとする登山道の無い川内の山々がパノラマ状に取り巻いていた。雨も本降りになりそうなので、早々に下山に移った。風景は、登りの時とはまた違って見えた。中光明山まで戻ると、雨が止んで虹がかかったが、濡れた道を急ぐうちに再び雨となってしまった。天候の崩れる前の僅かな時間にかけた登山は、予想以上の展望の山旅となった。

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