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皇海山

1993年10月16日 日帰り 単独行 曇

皇海山 すかいさん(2144m) 二等三角点 足尾山塊(群馬・栃木) 5万 足尾 2.5万 皇海山

ガイド:群馬の山歩き130選(上毛新聞社)、アルペンガイド 奥日光・足尾・那須(山と渓谷社)、遊歩百山 No.5, No.7(森林書房)

10月16日(土) 3:20 新潟発=(関越道、沼田IC、追貝経由)=6:40 栗原川林道入口(19km)=7:54 皇海橋〜8:00 発―9:18 不動沢のコル〜9:23 発―9:53 皇海山〜10:10 発―10:36 不動沢のコル―11:55 皇海橋=16:40 新潟着

 皇海山という名は、こうがい山を宛字したといわれている。信仰の山として有名な康申山の奥ノ院として江戸時代には登られていたが、その後は途絶え、大正時代に入って再び登られるようになったという。最近の百名山ブームによって、この薮に囲まれた静かな山も、遠くからの登山者で賑わうようになっている。
 皇海山は新潟から比較的近いが、これまで深い薮こぎがあるらしということで、後回しになってきた。最近、日帰り可能な不動沢ルートが登山道として整備されたという紀行文を読み、重い腰を上げることにした。このルートのもう一つの障害は、林道が悪路らしいことであったが、だめならば引き返すつもりで出発した。吹き割りの滝の手前から旧道に入り、群馬の山歩きに出ている道路マップに従い、栗原川林道に進んだ。マップの通りNHK電波中継塔を示す小さな案内板が掛かっており、その下には皇海山という掲示もあって、このルートがすでに正規なルートになっていることを知った。林道のゲートは開いていたが、関係者以外進入禁止と、路肩崩壊により通行止めの掲示があった。林道は、栗原川の深い渓谷の縁を巻きながら走り、路肩も弱そうで、確かに車の擦れ違いは難しそうな道であった。進むに連れて、次第に落石が目立つようになった。渓谷のかなたに皇海山と鋸山が見えるが、車を20kmの速さで進ませるのに懸命で風景を眺める余裕は無かった。1時間強の悪路の運転でようやく皇海橋に到着した。
 長い皇海橋の周囲には広い駐車スペースがあり、立派な登山路の説明図が立っていた。林道の側路を少し登ってえん堤の上に出て、パンキマークと赤テープに導かれて急斜面を下り、沢に降り立った。飛び石伝いに対岸に渡ると笹原に付けられた道の緩やかな登りとなった。赤テープは、仙台の七夕祭よろしく数多くつけられていた。しかし、古い踏み跡もあってコースを一瞬見失う所もあり、慎重に赤テープをたどっていった。ところどころコース標識も立っており、登山道として整備されていることを示していた。二股の手前で薮原から河原におり、ここから河原歩きが始まった。踏み跡が河原の岸に明瞭に付けられ、沢を細かく左右に渡りながら登っていった。しだいに水量も減り、スカイラインもすぐ上に見えるようになってきた。最後に足場の悪い涸れ沢のガレ場を登ると不動沢のコルに到着した。途中からカウベルの音が聞こえていた単独行が休憩しており、話を聞くと、桐生市在住で、皇海山は2度目とのことであった。前回は熊に会ったとのことで、鈴が必要であると聞かされた。シカの鳴き声も時折聞こえ、深い山奥であることを思い知らされた。鋸山の展望を後に、皇海山の登りにかかると、所々倒木の転がる笹原に出て、薮こぎかと緊張するが、刈り払いがしてあって楽に歩けた。樹林帯に入ると木の根の目立つ急な登りとなるが、大きな岩の間を通ると傾斜は緩やかになり、山頂の一角に到着した。康申二柱大神と銘のある銅鉾を通り過ぎてしばらくで、二等三角点のある林に囲まれた皇海山山頂に到着した。ガスのため、ガイドブックにかかれている奥日光の山々は見えなかった。下りは、登り以上に赤テープに気をつけながらコースを辿った。登りでは築かなかったが、所々踏み跡が乱れてコースから外れそうになる所が有った。不動沢のコルまで戻り、鋸山の往復を考えたが、山頂はガスで覆われて展望は期待できそうになかったので、下山を決めた。注意してガレ場を下ると、後は次々に現れる赤テープに従って歩くだけであった。


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