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岩菅山、裏岩菅山、笠ヶ岳

1993年10月9日 日帰り 単独行 快晴

岩菅山 いわすげやま(2295m) 一等三角点補点 志賀高原(長野) 5万 岩菅山 2.5万 岩菅山
裏岩菅山 うらいわすげやま(2341m)測定点
笠ヶ岳 かさがたけ(2076m) 二等三角点 5万 中野 2.5万 中野東部

ガイド:諸国名山案内 上信越(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、群馬の山歩き130選(上毛新聞社)、一等三角点百名山(山と渓谷社)、山と高原地図(昭文社)

10月9日(土) 3:40 新潟発=(関越道 越後川口IC R117 飯山経由) 7:15 高天ヶ原〜7:30  発―7:53 東館山ゴンドラ山頂駅―8:19 寺小屋山―8:26 赤石山分岐―9:31 のっきり―9:51 岩菅山〜10:03 発―10:40 裏岩菅山〜11:00 発―11:36 岩菅山〜11:45 発―11:59 のっきり―12:43 アライタ沢―12:53 高天ヶ原=(平床経由=14:27 車止め―14:44 峠の茶屋―15:03 笠ヶ岳〜15:15 発―15:30 峠の茶屋―15:48 車止め=20:15 新潟

 岩菅山の名は、岩巣護山に由来し、鷹の巣を管理する巣守衆がいて、鷹の子を幕府に献じたと伝えられている。2000m級の山々が連なる志賀高原にあって、岩菅山は、それらの代表に相応しい山であり、一等三角点が置かれていることでも知られている。志賀高原は、登山よりはスキーで有名であるが、その中で開発されずに残された貴重な山であり、冬季オリンピックのスキーの滑降コースの開発が中止となったことは喜ばしいとである。また、ロープウェイを使うと、登りのかなりの部分が省略できることができることから、人気のある登山コースとなっている。しかし、91年6月、69〜41才の15名グループが、立ち入り禁止にもかかわらず、裏岩菅山から秋山郷の切明へ縦走しようとして、ネマガリダケで道に迷い、2晩ババークするという遭難騒ぎを起こしたこともあるように、裏岩菅山から先には、上信国境の薮が広がっている。なお、岩菅山は、深田百名山の後書きでも述べられているように、おしくも落選組の山であり、二百名山及び一等三角点百名山に選ばれている。
 笠ヶ岳は、横手山頂の展望台から志賀高原を眺めると、こんもりとこぶ状に盛り上がった姿にまず目にとまる山である。日本三百名山に選ばれているが、林道が山頂直下まで伸びているため、一般レジャー客も登っている。
 秋の連休であるが、結婚式が入って日帰り登山しか計画できず、紅葉も始まって観光地は混雑が予想される。台風一過の晴天が期待できるとの予報であったが、前夜までは雨であったため、早朝出発の岩菅山とした。スキーで馴染みの高天ヶ原に到着し、人気のない駐車場で出発の準備。夏山リフトは、8:45始発とのことで、歩くことにした。登山道ははっきりしないため、ゲレンデの中のリフト沿いに東館山ゴンドラ山頂駅めざして登った。草は短く刈ってあり歩くのに不自由はしないが、傾斜が急で息が切れ、途中からジグザグに歩いた。東館山には高山植物園が広がっており、道案内に従って、一番奥のスキーゲレンドの寺小屋山へ進んだ。寺小屋スキー場に出ると、岩菅山と裏岩菅山、妙高連山、北アルプスの展望が広がった。リフト終点の右手から登山道に入り、寺小屋山の登りに取り掛かった。赤石山への分岐を越すと、左右の視界が開けた尾根歩きとなって、岩菅山へ続く登山道が一望のもとに眺められた。のっきりから、三角錐状の山頂への急な登りとなった。山頂は奥に細長く広がり、避難小屋と祠があり、一等三角点は奥よりにあった。山頂には休憩によい岩が転がっており、南側は切り落ちて、目の前に名前は判らないが奥行の深い上信国境の山々が広がっていた。北西に広がる北アルプス連峰は、山頂部が白く覆われて、3000m級の山はシーズンが終わったことを知らせていた。目の前の焼額山は、スキーのコースが蟻の巣の様に張り巡らされて痛々しかった。
 記念写真撮影後、裏岩菅山に進んだ。5、6名の登山客がいたが、裏岩菅山を登るかどうか相談する声が聞こえていた。裏岩菅山へのコースに踏み混むと、ササがかぶる急な下りとなったが、その先は明瞭な道が稜線上に裏岩菅山まで続いていた。裏岩菅山からは、鳥甲山が目の前であり、立ち入り禁止の中ノ岳から烏帽子岳に続く縦走路もすぐそこに見えていた。休憩後、岩菅山へ引き返した。道がぬかって泥だらけになった。裏岩菅山まで進んだ者は、他に3名のみであった。下山路は、のっきりから一ノ瀬を目指した。しばらくは、紅葉に染る林の中を比較的緩やかに下った。紅葉は、山腹から下が見頃で、黄色の葉が目立つなかで、ナナカマドの赤い実と葉がアクセントを付けていた。急な木の階段道を降るとアライタ沢に出た。一枚岩を沢が流れ落ち、水もきれいで休憩に良い所であった。道は、山腹を巻きながらほぼ水平に進むようになったが、焼額スキー場方向から聞こえる工事の音が耳障りであった。一ノ瀬スキー場から車道を通って高天ヶ原に戻った。30人ほどの登山客に途中で擦れ違ったが、比較的静かな登山を楽しむことができた。
 快晴の天気に誘われて、もう一山頑張ることにした。車で平床から山田牧場に続くジャリ道の林道に入った。林道入り口に、土砂崩れのために全面通行止めの掲示があるが、行ける所まで入ってみることにした。通行止めのゲートから先をうかがうと、笠ヶ岳の肩の峠まであと少しの登りのようなので、登山の格好で歩きだした。途中の沢で林道は完全に流されており、復旧にはかなりの期間がかかるものと思われた。峠には休止中ではあったが茶屋があり、山田牧場方面は舗装道路で、乗用車による一般の家族連れも登ってきていた。笠ヶ岳へは急な登りで、山頂直下は鎖場となっていた。山頂には大きな岩がのっており、岩管山は少し遠いが、横手山が目の前で、白根山や四阿山の眺めが優れていた。急な道を注意して降り、日が陰って冷え込んできた中を、車に戻った。

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