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八ヶ岳(硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳)

霧ケ峰・車山

1993年10月2日〜3日 前夜発1泊 単独行 快晴:晴

八ヶ岳
 硫黄岳 (2760m) 測定点
 横岳 (2829m) 測定点
 赤岳 (2899m) 一等三角点補点
 阿弥陀岳 (2805m) 測定点
八ケ岳(長野、山梨) 5万 八ケ岳 2.5万 八ケ岳西部、八ケ岳東部

ガイド:アルペンガイド「八ケ岳・北八ケ岳」(山と渓谷社)、日本百名山登山案内(山と渓谷社)、山と高原地図「八ケ岳・蓼科」(昭文社)

霧ケ峰・車山 きりがみね・くるまやま (1925m)  二等三角点 霧ケ峰(長野) 5万 諏訪 2.5万 霧ケ峰

ガイド:アルペンガイド「美しヶ原・霧ヶ峰」(山と渓谷社)、日本百名山登山案内(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)

10月1日(金) 19:40 新潟発=(上越、松本、諏訪経由)
10月2日(土) 2:30 美濃戸口 (車中泊)
5:30 美濃戸口発―6:20 美濃戸山荘―6:53 車道終点―7:43 赤岳鉱泉―8:42 赤岩ノ頭〜9:00 発―9:18 硫黄岳―9:48 大ダルミ―10:19 横岳奥ノ院〜10:25 発―11:21 赤岳展望荘―11:45 赤岳山頂 (赤岳山頂小屋泊)
10月3日(日) 6:38 赤岳発―7:14 行者小屋分岐―7:31 阿弥陀岳〜7:46 発―8:06 行者小屋分岐―8:39 行者小屋―9:49 美濃戸山荘―10:23 美濃戸口=11:40 車山肩―12:04 車山〜12:15 発―(夫婦岩、車山巻道経由)―12:41 車山肩=19:00 新潟着

 八ヶ岳は、かつては宗教登山が行われていたというが、現在では東京に近くてアプローチが短く、週末に登山を楽しむことのできる山として賑わっている。八ヶ岳という名は、西岳、編笠山、権現岳、赤岳、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳、峰ノ松目あたりの8峰をさすという説もあるが、特定の峰を指すのではなく、多くの峰の連なりに由来するといわれている。
 八ヶ岳は、かつて高校の時、ワンゲル部の友に誘われ、持ち上がらないキスリングを用意したが、台風で中止になった思い出がある。いまでは、そのコースは忘れてしまったが、その時出かけることができたならば、その後の山の経験は全く違ったものになったと思う。
 夜半に美濃戸口に到着し、車中で仮眠。明け方駐車場を出発しようとするが、有料駐車場で、その料金の払い方が判らなかった。他の登山客は、そのまま出発していくので、下山時で良いのであろうと解釈して出発した。結局、下山すると車に駐車券が挟んであり、2日分1000円を払うことになった。美濃戸への林道は、一般車進入禁止の看板が立っていたが、道は良く、美濃戸の山小屋の有料駐車場まで普通の車が入っていた。ただ、美濃戸では駐車手続きは駐車前に必要なようなので、美濃戸の通過時間を考えて駐車場所を決めるのが良いと思う。美濃戸までは、車道であることが残念な、美しい白樺の林の中の歩きであった。美濃戸を過ぎても、荒れた林道歩きが続いた。ようやく登山道に入り、沢を丸木橋で渡りながら登っていった。気温は低く、薄氷が張り、日陰の草には霜が降りていた。日が昇るにつれて、快晴の真っ青な空が広がり、山腹の紅葉が目に飛び込む。赤岳鉱泉を過ぎてようやく急な登りとなった。樹林の中の見晴らしの効かないジグザグの登りを、耐えながら登り続けた。赤岩ノ頭で一気に展望が開けた。天狗岳、その後に蓼科山、彼方に北アルプスと中央アルプス、そして縦走路の彼方には赤岳と阿弥陀岳が高さを競うように聳え立っていた。写真を撮ってから、ひと登りでたどり着いた硫黄岳からは、これらの山は微妙に形を変えてきた。緩やかに大ダルミに下った後は、再び横岳への登りとなったが、天気のよさに紛れて、あまり気にならなかった。大同心の岩峰を過ぎて岩場の登りになって鎖場となった。足下は切り落ちており、落ちればどこまでも、であるが、慎重に通過し、それ程のこともなく奥ノ院に到着した。山頂は行く人、来る人で、かなり混雑していた。鎖場の通過は、それからがむしろ本格的になった。しかし、天気も良く、時間に余裕があるため、ところどころ行き止まりのピークもある岩場の迷路は、結構面白かった。進むに連れて、赤岳が目の前に聳えるようになり、その傾斜の急なことに目をみはった。止りそうになる足をなんとか前に出し続けて、ようやく大望の赤岳山頂小屋の前に到着した。
 まずは、山頂の一等三角点まで進んだ。すばらしい展望が広がっていた。浅間、四阿山、妙高連山、北アルプス連峰(白馬、唐松、鹿島槍、立山、槍ヶ岳、北穂高、奥穂高、前穂高)、乗鞍、木曽ノ御岳山、中央アルプス、南アルプス(甲斐駒、仙丈、北岳、鳳凰三山)、富士山、奥秩父(金峰、瑞墻、甲武信)等の甲信越の目ぼしい山は、赤岳を除いて全て見えた。時間が早いが、この眺めを楽しむために、山小屋にチェックインした。3人目の到着であったが、団体が3組入って、今夜は満員になるとのことであった。結局、200名定員に200人入ったとのことであった。山頂で、ビール(500円)を片手に、日没まで展望と山の話を楽しんだ。夕食は、カンズメ風のすきやき肉といったもので、それほど豪華ではなかったが、山頂で1泊7000円(2食付き)は、リーズナブルであると思った。寝床には、毛布の他に、シェラフがひとりづつおいてあったため、夜は冷えこむかと思ったが、2つ蒲団に3名の定員一杯であったため、逆に暑かった。
 翌朝、山頂で、5時から御来光を待った。雲海に浮ぶ富士山が、一瞬、赤く染った。朝食後、山頂にて、最後の写真撮影ののち、下山にかかった。山渓主催のアルパインツアーの30名の団体も下山を開始したところであったが、岩場の下りを先に通らせてもらった。寄合い団体ではあるが、リーダーは、他の登山客まで気を配っており、しっかりしていると思った。かなりの高度感のある岩場を鎖にたよりながら下ると、赤岳頂上からは下に見えていた阿弥陀岳が、頭上遥かに聳えるようになった。阿弥陀岳の登りは、三点支持の必要な岩場も交じっており、浮き石も多く、気が抜けず、息も切れるものであった。山頂からは、前日の縦走路が一望できたが、残念ながら、朝の逆行で写真にはならなかった。阿弥陀岳からは、一般的なコースで下山することにして、行者小屋分岐にもどることにした。登り以上に慎重にゆっくりと下るが、途中で岩場の足場を見失って、岩にしがみついてフリーズしている女の子もいた。行者小屋までの下りは、紅葉が美しかった。行者小屋 から美濃戸山荘までの南沢沿いの道は、急ではないが、山を下りた気になってしまったため、長く感じた。
 新潟への帰路、通り道であることから、霧ヶ峰によって行くことにした。車山は、昔学校の遠足で行ったように思うが、記憶も定かではないため、登り直した。ビーナスラインに入って、車山肩の駐車場より歩きだした。山頂へ続く草原の中の道は侵入禁止になっており、車道を歩かされた。天気も悪くなってきて、下ってきた八ヶ岳連峰も雲が覆い始めていた。山頂は、展望台と売店を備えたコンクリートの建物が雰囲気を損ねていた。夫婦岩経由に下山を始めると、山頂直下まで、フード付きリフトがのびてきており、観光客が登ってきていた。リフトを脇目にしながら、遊歩道を下った。車山の巻き道に入ると、人口物はようやく消えて、草原が緩やかに起伏する、なかなか良い眺となった。
 霧ヶ峰は初心者や家族向けにもってこいのハイキングコースであると思う。惜しむのは、車山の展望台とリフトである。リフトで登れる山は、もはや百名山ではないと思ってしまう。百名山の選定基準の、品格、歴史、個性、高さと並んで自然の保存状態を加えるべきであると考える。百名山の後記のなかでも、「近年の異常な観光業の発達は、古い謂われのある名門の山を通俗化して、もはや山霊も住み所がなくなっている。そういう山を選ぶわけにはいかない。」と書いてあるように。しかし、一方では、現代の百名山は、誰でも登れる山から岩場の通過や体力などの点で熟練者向きの山まで、多様な山を含んでいるからこそ、登り続けることによって成長していくことができると考えるべきなのかも知れない。いずれにせよ、深田久弥は、道無き山々を登ってこれらの山を選び、現在の山の状況は予想もしていなかったであろうから。

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