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高妻山、乙妻山

1993年9月19日 前夜発日帰り 単独行 晴

晴高妻山 たかつまやま(2353m) 二等三角点 乙妻山 おとつまやま(2318m)  戸隠(新潟、長野) 5万 戸隠 2.5万 高妻山

ガイド:日本百名山登山案内(山と渓谷社)、諸国名山案内「上信越」(山と渓谷社)、山と高原地図「妙高・戸隠」(昭文社)

9月18日(土) 22:00 新潟発(上越IC、柏原 経由)
9月19日(日) 1:20 戸隠キャンプ場バス停駐車場 (車中伯)
5:12 発―6:28 一杯清水―6:40 一不動―7:23 五地蔵岳―8:00 九勢至―8:45 高妻山〜9:12 発―9:54 乙妻山〜10:35 発―11:40 高妻山〜12:15 発―12:45 九勢至―13:20 五地蔵岳―13:57 一不動―2:08 一杯清水―15:12 バス停駐車場=19:00 新潟着

 高妻山は戸隠連峰の最高峰である。戸隠山が表山、高妻山が裏山と呼ばれている。登山道にそって、五地蔵や九勢至などの宗教的名残りが見られる。また乙妻山は、ピラミダスな高妻山の奥に寄り添ったかのような山であり、深田久百名山では、高妻・乙妻を目指したものの、乙妻山まで足を伸ばす元気がなかったと書かれている。
 土曜日は雨。日曜日は移動生高気圧が日本海を進み晴天が期待できるとのことででかけた。戸隠キャンプ場バス停の駐車場に車をとめた。夜は寒く、毛布2枚で眠ることができた。あたりがしらみかかるころ目をさました。キャンプ場から牧場に続く舗装路を歩くが、自動車は、牧場入り口の見学者用駐車場まで入ることができた。牧場の入場料250円とあるが、窓口は締っており、あたりに人はいないので、柵を乗り越えて進んだ。牧場の中を、登山道 一不動の表示で進むと、牛の放牧場の中に入りこんでしまった。牛止めの柵をこして林の中に入り、緩やかに登っていき、沢を数回わたると沢の中を石伝いに登るようになった。沢の中を歩ける所を探しながら左右に細かくコースを変えながら登り続けた。滑滝の登り、崩壊部の巻き道の登り、帯岩のトラバース、不動滝口の登りに鎖がかけてあったが、難しい鎖場ではなかった。一杯清水で乾きを癒した後、10分程で一不動に到着。かまぼこ屋根の避難小屋(ドアが無いと書いてある紀行文があったが、立派なドアがついていた)には5、6人分の荷物が置いてあったが、人はすでにいなかった。痩せた稜線の登りとなり、左に谷をはさんで高妻山が姿を現わした。高妻山は、槍の穂先に近い鋭い三角錐状にそびえたっていた。山の右に続く稜線が登山道と思われるが、そこにたどり着くまではいくつかのピークがあり、前途の登りの辛さが予想された。高妻山の向こうには北アルプス、右には黒姫山というすばらしい眺めに元気づけられ、登りに精をだした。小さな石づくりの祠の立つ五地蔵の広場は、笹で見通しはきかなかった。登山道はぬかるんでおり、朝露とあいまって、泥まみれになった。ピークを六弥勒、七薬師、八観音、と順に越し、九勢至にたどりつくと目の前に高妻山がそそりたっていた。八丁ダルミへ一旦軽く下って標高差300mの急登にとりかかった。笹を掴んでの登りに息も切れ、足も止りそうになった。下山を始めた2人連れとすれ違った後に、ダケカンバの林の中を登って頂上の一角に到着。北アルプスの展望が出迎えてくれた。大きな岩を乗り越えて山頂まで進んだ。
 山頂には、1人の先客がおり、中盤カメラを三脚に付けてかまえていた。記念写真をとってもらい、話をしている内に五地蔵付近で追い抜いた単独行も到着した。3人で乙妻山まで行くことにした。乙妻山への登山道は急な下りとなった。笹のかり払いはしてあったが、斜面に沿って根が斜に並んでいるため、不注意に足をのせると滑ってころんで落ちそうになった。ひと下りすると道も歩きやすくなり、面白い形によじれたダケカンバの林を眺めながら、最低鞍部の笹原に下って行った。最後にひと登りして乙妻山山頂に到着したが、山頂からは妙高連山が一望できた。3人で記念撮影を撮って、眺めを充分に楽しんだ後に、写真撮影をしながら高妻山へ引き返した。
 高妻山へもどると狭い山頂は10人以上の登山者で混みあっていた。乙妻山へはもう1グループが行ったのみで、多くは高妻山で引き返すようであった。昼になりガスが出始めたので下山にかかった。山頂でゆっくり時間を過ごしたので、先を急ぐことにした。急斜面を八丁ダルミまで慎重に下りた後、五地蔵までは登り下りで、行きと同じくらいの体力が必要となった。体力に余力を残しておかないと、この下山は非常に辛いものになるものと思われた。一杯清水までもどって、水を思い切り飲んだ。沢の中を下り、明るい牧場に飛出して今回の山行は終わった。歩行時間の割にアップダウンの激しい疲れる山であった。

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