9325

八甲田山(大岳)

岩手山

1993年8月21日〜22日 前夜発1泊 単独行 晴:雨

八甲田山(大岳) はっこうださん(おおだけ)(1585m) 一等三角点本点
 八甲田連峰(青森) 5万 八甲田山、青森東部 2.5万 雲谷、酸ヶ湯、八甲田山

岩手山 いわてさん (2041m)一等三角点本点 岩手山(岩手)5万 盛岡、沼宮内、雫石、八幡平 2.5万 大更、姥屋敷、松川温泉、篠崎

ガイド:アルペンガイド「東北の山」、日本百名山登山案内(山と渓谷社)、東北の山(東京新聞出版社)、諸国名山案内 東北(山と渓谷社)

8月20日(金) 19:30 新潟発=(小国、山形、山形自動車道、東北自動車道経由) (車中泊)
8月21日(土) 7:10 酸ヵ湯〜7:15 発―毛無し岱コース経由―8:44 大岳避難小屋―9:05 大岳山頂〜9:25 発―9:50 仙人岱ヒュッテ分岐―10:44 酸ヵ湯=11:30 発=15:30 岩手山馬返し (テント泊)
8月22日(日) 5:30 馬返し発―6:10 二合目―6:25 二合五勺新旧道分岐―新道経由―7:35 七合目―7:43 八合目避難小屋―8:00 九合目不動平 道を迷って時間をロス―8:49 山頂―9:19 八合目避難小屋―10:53 馬返し=11:20 発=19:00 新潟着

 八甲田山という名は、前岳、田茂萢岳、赤倉岳、井戸岳、大岳、小岳、石倉岳、高田大岳の八ツ峰の間に湿地(田)が多いことに由来すると言われている。八甲田山というと、青森歩兵連隊の雪中行軍での遭難が頭に浮ぶが、現在では十和田湖とともに東北の代表的観光地域になっている。
 岩手山は、石川啄木によって「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」と歌われているように、盛岡の心の山である。昔から信仰登山の山となっていた。岩手山は、南部富士という名で知られるように独立峰であるが、南部の片富士とも呼ばれるように、山頂部は爆発によって複雑な地形になっている。
 お盆休みの家族旅行の西吾妻山は、雨で中止としたが、今年は夏空が現れない。この週末も日本を前線が横断しており、全国的に雨となっている。鹿島槍を予定していたが、長野方面は強い雨になっているため、方向を東北地方に代えた。高速の走りの状態で、八甲田山と岩手山のどちらを先にするかを決めるつもりで出かけたが、岩手山の登山口の柳沢ICで小雨であったため、さらに北上して八甲田山に向かった。十和田湖をぬけて、酸ヵ湯に到着すると青空となった。酸ヵ湯の大駐車場に車を駐めて、温泉の裏手の笹の斜面に付けられた道を登る。はじめ、道には小ジャリが敷きつめられ、急斜面は木の階段になり、湿原には木道となって、整備されすぎた道が大岳の避難小屋まで続いていた。途中の湿原からは北八甲田のパノラマが広がっていたが、大岳は、一等三角点だけのことはあって、一頭他を抜きん出ていた。頂上からはの眺めは、ガスのため得られなかった。下りの仙人岱コースは、登りと違って、ガレ場や泥道の交じった普通の登山道であった。下りにかかると、家族連れの目立つ、多くの登山客に会うようになった。なかには、皮靴に背広姿で、ロープウェイ駅の場所を聞くような、迷い込んだ観光客もいた。本州最北の百名山で、雪中行軍の遭難で名高い八甲田山ということででかけたが、案に反してファミリーコースであった。おそらく、毛無し岱コースは、ロープウェイから下ってくるハイカーが多いため、十分過ぎるくらいに整備してあるものと思われる。400円で酸ヵ湯に入浴した。混浴の温泉は昔ながらのもので、秘湯に相応しいものであった。汗をかいていたため、温泉を頭からかぶったが、酸性度が強く目がしみて、水を頭からかぶりなおすことになった。
 高速道を南下して再び柳沢ICに戻る。交差点を逆に曲ってしまったため、道にまよってしまった。人分けの交差点にあったコンビニエンスストアで夕食とビールを買う。馬返しには、広い駐車場があり、良く整備されたキャンプ場が設けられていたが、管理人もキャンプ客も誰もいなかった。車からも近い、屋根のある自炊場の近くにテントを設置した。ビール片手に、夕飯を食べているうちに、3人の家族連れと2人連れの大学生の2組のテントが並んだ。夜遅く到着した1組を含めて、広いキャンプ場に4張りのテントのみであった。初めてのテント泊であったが、良く眠れた。夜半から雨となるが、フライシートを張っていたため雨漏りはまったくなかった。
 4時に起床したがテントの撤収や朝食で、出発は5時半になってしまった。またも、雨の中の登山となった。かなりあるいても合目の標識が現れない。ようやく現れた標識は、合目の数字が消えて読めなかった。逆算すると、これが一合目のようであった。これ以降、二合五勺までは短い間隔で標識が現れるが、その後は七合目まで標識は見当たらなかった。天候が悪いため、林の中の新道を選んだ。急な登りが続き、汗と雨でビショヌレになった。八合目避難小屋は、2階立ての営業小屋なみの大きなものであった。途中、小屋泊りであったと思われる多くの団体とスレ違った。小屋の前に水場が儲けてあったが、冷たい水を飲んだら体が冷えてしまった。不動平はガスで視界が効かず、石造りの休憩小屋の脇を登ったら、鬼ガ城への道で間違っていた。山頂へは、コースを右にUターンする必要があった。晴れていれば迷うはずの無いところではあるが、山の怖いところである。ガレ場を登ると風が強くなり、お鉢を回るコース上では時おり前へ進めなくなる程であった。ガスの中を石仏をたどってようやく山頂にたどり着く。一瞬のすきに、レインハットを風にもっていかれた。下山の道は多くの人が歩いたあとでぬかるみとなっていた。下るにつれて雨と風は弱まってきたが、濡れ切って着替えをすることを考えながら、下山を急いだ。
本州の北端の百名山までの走行距離は、1163kmであった。


山行目次に戻る
ホームページに戻る