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立山

剣岳

大日三山

白山

1993年8月2日〜5日 3泊4日 単独行 雨:曇り:曇り:雨

立山三山
・立山主峰   雄山 おやま (3003m) 一等三角点補点(2992m)
  大汝山 おおなんじやま (3015m) 標高点
  富士ノ折立 ふじのおりたて (2999m)
・浄土山 じょうどさん (2831m) 測定点
・別山 べっさん (2880m) 測定点     立山(富山) 5万 立山 2.5万 立山、剱岳

剣岳 つるぎだけ (2998m) 標高点 剣岳(富山) 5万 立山 2.5万 立山、剱岳

大日三山  奥大日岳 おくだいにちだけ (2611m) 測定点
 中大日岳 なかだいにちだけ (2500m)
 大日岳 だいにちだけ (2501m) 測定点 立山(富山) 5万 立山  2.5万 立山、剱岳

ガイド:アルペンガイド「立山・剣・白馬岳」(山と渓谷社)、立山・剣岳を歩く(山と渓谷社)、日本百名山登山案内(山と渓谷社)、山と高原地図「剣・立山」(昭文社)

白山(御前峰) はくさん(ごぜんがみね) (2702m) 一等三角点本点 白山(石川、岐阜) 5万 白山、越前勝山 2.5万 御母衣、白山、加賀市ノ瀬

ガイド:アルペンガイド「中央アルプス・御岳山・白山」(山と渓谷社)、日本百名山登山案内(山と渓谷社)、山と高原地図「白山」(昭文社)

8月1日(月) 19:40 新潟発=(北陸自動車道経由)=23:15 立山IC=23:45 立山駅 (車中泊)
8月2日(火) 6:00 立山発=(ケーブル)=6:07 美女平=7:00 発=7:45 室堂〜8:07 室堂発―9:30 浄土山〜10:15 発―10:32  一ノ越―11:07 雄山―12:07 発―13:34 別山―13:57 別山乗越―14:45 剣山荘 (剣山荘泊)
8月3日(水) 5:09 剣山荘発―5:28 一服剣―6:10 前剣―6:54 平蔵のコル―7:24 剣岳山頂〜8:06 発―9:51 一服剣〜10:09 発―10:35 剣山荘〜10:55 発―11:25 剣沢―12:05 別山乗越―13:12 雷鳥沢 (ロッジ立山連峰泊)
8月4日(木) 4:00 雷鳥沢発―4:30 新室堂乗越―4:52 室堂乗越―5:10 発―6:30 奥大日岳―8:07 大日岳〜8:25 発―10:20 大日平山荘―11:12 牛首―12:00 称名ノ滝下の車道―12:25 称名ノ滝往復―12:37 称名ノ滝バス停=13:40 称名ノ滝発(バス)=14:00 立山駅=14:40 発=(立山IC、礪波IC、五箇山、白川経由)=18:00 大白川ダム (車中泊)
8月5日(金) 5:40 大白川ダム発―7:04 大倉山―7:55 大ガンクラ雪渓―8:33 室堂―9:05 白山御前峰頂上―(お池めぐり)―10:35 室堂〜11:10 発―12:14 大倉山―13:26 大白川ダム=13:45 大白川ダム発=21:00 新潟着

 立山は、富士山、白山とならんで三大名山に数えられている。立山縁起によれば、大宝元年(701)越中の国司の子佐伯有頼が、白鷹の導きで山中に阿弥陀三尊を拝し、立山大権現を勧請したことに由来すると言われている。江戸時代には多くの講中が登拝したが、かつては富山平野から延々と登りつめてきた道はアルペンルートに変り、現在では労無くして立山の一角に到着することができるようになっている。剣岳は、前人未踏の岩峰と思われていたが、1909年の陸地測量部の登頂の際、その山頂で槍の穂と錫状が発見され、すでに登った者がいたことが判明した。雪と岩の殿堂として、北アルプスを代表する山の一方の雄となっている。また大日山は、立山の前衛の山で、大日如来を祀った聖地として信仰された歴史を持っている。
 白山は、日本三大名山であり、現在でも信仰の山として賑わっている。高山植物の豊富な山であり、和名にハクサンの名を冠したものが約30種類あるという。
 北陸自動車道を経由して、意外に短時間で立山駅に到着した。駅前に大きな駐車場があるが、かなりうまっている。夜明けより、雨が降りだした。始発のケーブルは、空いている。美女平で、バスを待つ間に、後続のケーブルが登って来て、ようやく人が混みあうようになった。バスの荷物は、10kg以上は300円の有料となるとのことで、リュックを計ってみると11kgあった。水を捨て、カメラを取りだして、重量を減らした。室堂のバスターミナルで雨具を付けて出発した。室堂付近は、遊歩道が広がり、登山道の入口が分りにくかった。浄土山への登りで、子供連れの雷鳥に会った。一汗かいて、浄土山山頂に着くが、ガスでなにも見えない。一ノ越への下り口が判らず、雪渓の下に埋もれているのかと思って探した。追い付いてきた2人連れも判らず、かすかな踏み痕の残るガレ場を下り始めた。下ってみると浮き石が多く、ルートでは無いことが判った。ガスの間から、一ノ越山荘が下に見え、尾根が違っていることが明かとなった。室堂からの道まで登りかえすと、グループが、同様にコースが判らずに探していた。結局、道は室堂からの道を真っ直ぐに進んだ所にあり、はい松の陰になって見えなかっただけでのことであった。一ノ越に下りると、浄土山とは違って、人で混みあっていた。急なガレ場の登りとなるが、落石をおこす者ものもいて危なかった。雄山の山頂は小学校の団体もおり、混みあっていた。登拝料を払って頂上に登るが、お払いは建物の中で受ける事になった。先に進もうとするが、小学校の団体で詰っており、進めない。止っていると寒くなったため、休憩所に戻りカップヌードル400円を食べて休憩した。別山への道はガスで展望がきかず、ただコース標識をたどるのみであった。別山乗越から剣山荘への道は、急斜面の雪渓のトラバースとなったが、足を滑らせればどこまで落ちるのか判らず、緊張して慎重に通過した。天候不順のためか、剣山荘は空いており、2段組の部屋には5人しかいなかった。そのかわり乾燥室は大混雑であった。4時半から1時間の間入浴ができ、冷えた体に風呂が有難かった。登山客の最大の感心は翌日の天気予報であり、7時前にはテレビの前に大勢が集っていた。それが終わってニュースが始ると、政局の大きな動きには無関心で、寝るために皆部屋に戻ってしまった。今日のような雨であったならば、剣に登る自信はなく、天気を祈る気持ちで就寝した。
 翌日は、雨があがっていた。朝食を終え、直ちに出発した。一服剣で、大学生グループに追い付いた。剣の展望はきかないが、空が明るくなり、大日方面が一瞬姿を現した。前剣への登りから、先頭になる。コースを見極めながら、慎重に登る。次第に道も険しくなり、鎖場を慎重に通過する。蟹のタテバイは、ガイドブックにあるように急な壁であり、ボルトが雨で濡れており、途中で手が滑りそうになり、ズボンで手を拭きながらようやく登り切った。蟹のタテバイから先、岩場の登りをもう一頑張りして、ようやく山頂に着いた。緊張感のある登りの末にたどり着いた山頂は、感激もひときわであった。山頂の上空は青空が広がっていたが、下の雲は厚く、浄土山が時折姿をのぞかせるのみであった。記念写真をとり、だれもいない山頂でゆっくりと休憩する。30分もすると他の登山客も到着し始め、山頂は混みあうようになってきた。下山を開始するが、蟹のタテバイからの最後の登りでバテテ休んでいるものが多かった。蟹のヨコバイはそれほどのこともなく通過することができた。ハジゴを通過して降り立ったところは、平蔵のコルのトイレのわきであった。蟹のタテバイを見物にいってみると、いっぺんに3、4人が取り付いており、途中で先に進めず壁にはりついていた。一気に登らないと、途中で力尽きることにならないかと心配になる。登り方向は、高校の団体もいて、鎖場で渋滞が生じていた。登りと下りではコースが別れているところが多いため、下りはスムーズに進むことができた。一服剣に到着して、ようやく緊張から開放され、前剣への登りを振り返って一服した。コバイケイソウのお花畑を剣山荘に下り、山荘前でお弁当を食べる。おかずがつくだにと豆しか入っていなくてがっかりの弁当であった。剣沢へのコースをとることにした。剣沢からは、前剣までは見えるようになるが、山頂の雲はあがってくれない。剣沢には大勢のスキーヤーがいた。別山乗越に再び戻ってくると、昨日とは異なり、休憩する登山客で賑わっていた。雷沢へは大きな石がころがる歩きやすいとはいえない道であり、剣沢をめざす大きな荷物にあえぐ大学生グループがめだった。雷沢の雪渓を下ったところで小雨となり、ロッジ立山連峰にころがりこんだ。ロッジ立山連峰は、スキー客が多いようであり、大きな乾燥室を設けてあった。部屋は個人ベッドとなっており、さっそく温泉に入って温まった。雨が本降りとなり、食堂でビールを飲んで翌日のコースの検討をする。夕刻、雨があがったので、ゲタ履きで、地獄谷からミクリガ池を見物しに行く。ミクリガ池周辺は、観光客で混みあっていた。ガスがあがり、ようやく立山三山が姿を現した。
 朝食は弁当にしてもらい、未明に懐中電燈をたよりに歩きはじめた。新室堂乗越まで上がると、ガスが消えて、室堂から立山三山のパノラマが大きく広がった。室堂乗越では、剣も見え、室堂のパノラマを眺めながら、朝食の弁当を食べた。奥大日岳は、稜線歩きの一ピークという感じで、簡単に到着した。頂上は、縦走路の脇に入った所にあり、200名山は大日岳と勘違いして、寄っただけで写真もとらずに通過してしまった。奥大日からの下りは、足場の悪いガレ場であった。七福園付近で、登山客とスレ違うようになった。大日岳頂上からは、剣の早月尾根の眺めが良いが、山頂は雲で隠されていた。大日からの下りは、転がった石を伝い歩きするものであり、脚力を消耗した。大日平小屋は、早くから彼方に見えるがなかなかたどり着かなかった。大日平は木道が設けてあるが、そのさきは泥の道となって、泥だらけとなった。牛首から称名ノ滝への下りは急で、気温も上がって、疲れも出てきた。逆コースの者もかなりいたが、途中でバテている者が多かった。この逆コースは、登りがきつくて、とりたくはないものである。やっと称名ノ滝の舗装道路に飛び出し、観光客に交じって滝を見物した。昼食を持っていなかったため、称名ノ滝バス停前のレストハウスでカレーを食べ、バスで立山駅に戻った。奥大日だけを目標とするならば、室堂からの往復の方が楽である。大日からの下りは距離もあって大変であった。
 休暇がまだ余っていたため、白山へ足を延ばすことにした。高速を走るうちに激しい雨となった。五箇山付近は、いかにも山奥といった所であった。途中、夕飯として、ます寿司とビール、ブドウ、翌日のパンを買い求めた。奥白川への林道は、狭く、距離があって途中に不安になったが、終点にはダムが広がって公園として良く整備されていた。キャンプ場をのぞいたが、駐車場と離れており、激しい雨が降っていたため、車で野宿することにした。露天風呂もあったが、6時で終了のため入れなかった。激しい雨が続いたが、明け方に雨があがったため、出発することにした。大白川コースは良く整備され、急な所は丸太の階段となっており歩きやすい道であった。標高をどんどん上げるが、いつまでもダムの水面が眼下に見えた。結局、大倉山までダムは見え続けた。大倉山の避難小屋はそう悪くはない造りではあったが、水場が周辺にはなかった。小屋には、子供連れが泊っている声がした。整備された道は室堂まで続き、快調にとばすことができた。途中から、高山植物が咲きみだれ、さすがに白山だと感心した。室堂は、宿泊センターとなっており、小学生や、家族連れの団体で混雑していた。御前峰へは、わずかではあるが、急な登りであった。頂上はガスで遠望はきかなかったが、山頂部に点在する池や剣ヵ峰の眺めが良かった。池には雪渓が割れて落ち込んでいたが、その上では家族連れが遊んであり、あぶないと思った。お池巡りのお花畑では、黒百合が満開であったが、花期とかなりズレているようであった。室堂にもどると雨が降り始めた。ビジターセンターの食堂は、昼は御飯類は無く、ラーメンしかなかった。雨は本降りとなり、ビニールガッパの家族連れが寒そうに到着してきた。下山も早いペースで歩くことが出来たが、人の通過で泥道となっており、ズボンは泥だらけとなった。雨の中を軽装で辛そうに登ってくる登山客が目立った。山岳宗教の山ほど、日頃は登山を行っていない者が、人に誘われてか、ビニールガッパに昔ながらのキャラバンシューズで登ってくる場合が多いようである。激しい雨の中を下山し、さらに荒島岳でもと考えていたのを断念する。白川の公衆温泉に入浴後、新潟に帰宅した。
 最近の山行では、軽登山靴に水が入り易いと思って、防水スプレーを充分にかけてでかけたが、歩いて直に靴の中がズブヌレになってしまった。皮の糸目が剥がれて、中に水が入ってしまうためのようである。白山では、予備に持っていった皮製登山靴を履いたが、やはり重たい。帰宅後、同じスカプラの軽登山靴を買った。靴の消耗代としては、1回の山行に500円かかる計算になる。


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