9323

富士山

1993年7月31日 1泊2日 単独行 曇

富士山 ふじさん (3776m) 測定点 二等三角点(3775.6m) 富士山(静岡、山梨)  5万 富士山、山中湖  2.5万 富士山、須走

ガイド:アルペンガイド「富士山周辺、駿遠の山」、日本百名山登山案内(山と渓谷社)、山と高原地図「富士・富士五湖」(昭文社)

7月30日(金) 8:51 新潟発=(上越新幹線)=10:52 東京着=立川、大月(中央線、富士急)経由=14:09 河口湖着=14:40 発(バス)=15:20 五合目着〜16:10 五合目発―16:40 六合目―18:20 八合目白雲荘着 (白雲荘泊)
7月31日(土) 5:08 八合目白雲荘発―5:55 九合目―6:00 発―6:18 久須志神社―7:10 剣ヶ峰―7:50 浅間大社奥宮発―(砂走り経由)―9:00 宝永山―10:20 御殿場口新五合目―11:40 発=(バス)=12:22 御殿場着=河津、東京(御殿場線、東海道線経由)=17:12 新潟着


 この日本一の山について今さら何を言う必要があろう。(日本百名山)
 富士山ほど有名でありながら、登山者の人気の無いのはなぜであろうか。富士山が良く見えることが、他の山では大きなセールスポイントになっていることを考えると皮肉なことである。山の雑誌の登山記事でも、富士山の見える山の特集はあっても、富士山の記事はその何十分の一といった状態にある。高いところに登ることが、登山の一つの目的であるからには、富士山は真っ先に登ってしかるべきであると思う。しかし現実には、夏の登山期間中、山小屋は満員、登山道は渋滞といったありさまになるが、その人出をささえているのは一生に一度は富士山に登ってみようと一念発起した、山の雑誌など読まないような普通の人達である。
 週末は混み過ぎると思って、金曜日に休暇を取って出かけた。週末の天気は、台風が消えかかりながら日本海を通過するというものであったが、また雨かと思いながら出かける。平日の昼間、リュックをしょって東京の国電に乗っているのは、なにか場違いな感じがする。電車を乗り継いで河口湖駅に着いた時には、結構くたびれてしまった。河口湖駅を出るのと同時に雨が降り始めた。バスは臨時便も出て、30分に1本であったが、山に向う登山客はそれ程多くはなかった。駅前の客引きにつかまって、この天気では山小屋が混んで泊れなくなるかもしれないといわれて、駅前広場の前のお土産屋で、山小屋の予約を行った。素泊り5000円で、白雲荘に一応予約をするが、どこの山小屋で泊っても良いというものであった。スバルラインは土砂崩れの復旧工事中であり、一般車は通行止中で、途中乗車客を拾って5合目へ向う。雨は、雲の上に出て止むかとの期待もむなしく、逆に激しくなった。5合目には、レストハウスが立ち並んでいた。まずは、かつ丼で腹ごしらえをし、雨具を着込んで出発の準備をした。雨が激しく、出発の気にならない。旅行業者募集の軽装の団体が出発していくが、ビニールガッパで、リュックをビニール袋で包んで雨対策をしていた。観光客も登っていくのではしかたがないと思い、重い腰を上げた。山小屋の予約をしていなかったら、5合目で泊ることになったと思う。視界の効かない雨の中を歩き始めると、ガスの中から、疲れた足どりの登山客が現れた。外人が目立って多く、中には雨具を持たずにビニール袋をかぶっているものもいた。よく歩けるものだと感心した。六合目の先で中学校の団体を追い抜いた。雨の中、登り続けることができるのか、また学校登山として登る必要があるのか疑問に思った。七合目付近から小屋が連続するようになるが、岩場もまじるようになり、水が滝のように流れ落ちる所も出てきた。八合目で日暮となり、雨も激しく、歩行時間の割に疲労感がたまり、小屋に逃げこみたいと思うようになった。ようやく八合目の白雲荘に着いた時にはすっかり上から下まで濡れてしまっていた。乾燥室で下着からすべて着替えて人心地を取り戻した。登山中に着る衣類をストーブで乾かす間、体がダルくなり、横になりたい気分になった。高山病のなりかけだったのかもしれない。寝床に案内されるが、一枚の蒲団に二人で頭と足が互い違いで寝かされる。雨音を聞きながらうとうとするが、寝つけない。イビキがうるさく、隣の子供の寝そうが悪く足がのっかってくるのを押し返しながら、時間の経つのを待つ。12時頃トイレに外に出ると、雨の中を登ってくる懐中電燈の光が点々と見える。2時頃団体が到着する。風雨の中を夜通し登ってくるなんて気違い沙汰と思う。
 夜明けに雨が上がり、雲海の裂け目から町の灯りが飛行機から見降ろす様に見えた。御来光は、山頂ではなく、小屋の前で眺めることになった。入り口の土間でパンの朝食をとった。他の団体の朝食を見ると、白米と小さなレトルトのすき焼のセットであった。初老のおばさんが足を腫らして一歩も歩けず、トイレにかかえられて行った。その後、どうやって下山させたのであろう。一夜明けて、元気を取り戻し、再び歩きだした。風が強く、雲が上から吹き降ろされてくる。登りがこたえる。500m毎にある標高板を見る度に、残りの高さを計算してしまう。九合目付近からは、道端で休む者が目立ってきた。歩き続けるうちに、特別の趣もないままに山頂の一角にたどり着いてしまう。休憩所には、それほど人はいなかった。途中で登山を断念したか、登るそうそう下山した者が多いようであった。お鉢巡りのため小屋の後に出ると、強風に晒され、足元を確保しながら一歩一歩進むはめになった。大日岳の岩場を風に耐えながらなんとか降りて、伊豆ヶ岳まで進むが、風はさらに強くなり、バランスを失うため足を出すことができなくなった。尻をおろして風の弱まるのを待つと、ガスが上がり、剣ヶ峰が見えはじめる。ブロッケンが火口に現われ、宗教めいた感動を覚えるが、強風のためカメラを取り出せる状態ではなかった。巻き道が下を通っているのにようやく気付き、ガレ場を数メートル這いおりてようやく一息つく。奥社の付近は、風も強くなく、富士宮口からの登山客がかなりいた。最後にザレ場を登って、剣ヶ峰にたどり着く。晴れの山頂で記念写真を取ることができた。山頂郵便局で記念のカードを買った。
 下りは、砂走りに向かうことにした。途中までは、石まじりのつづら折の登山道を下った。七合目から下山道に入ると砂の道となり、走って下ることができるようになった。山頂は雲がかかりはじめるが、登山道は日差しが厳しくなる。途中、宝永山に寄るが、ガスが出てきてしまった。六合目付近からは、荒涼とした風景が広がる。砂走りが面白く、走って下りるが、とばしすぎたため五合五勺からの道は長く感じた。御殿場口は、駐車場は広いが、小さな休憩所があるのみで、河口湖口とは対照的であった。御殿場口は、五合目から五合五勺までの距離がかなりあり、下るのは面白いが、日影も無く登るのは大変なコースである。雨と風に耐えての富士登山であったが、かえって山頂はすいていてよかったのかもしれない。帰宅後、富士登山客2名が、体調不良で死亡したとのニュースを聞く。9時間のバスの疲れが原因の一つと言っていたが、当日の天候は軽装の観光登山には危険なものであったように思う。日本一の高さの山に登るのに、軽装で、日頃の足慣らしも行っていないものが多く、このような人達にとっては、富士山は登ってみると辛いだけで面白くない山であったろうと思う。

山行目次に戻る
ホームページに戻る