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金峰山、瑞墻山

蓼科山

1993年5月8日〜9日 前夜発1泊2日 単独行 晴:曇り

金峰山 きんぷさん(2599m)測定点 三等三角点(2595m) 奥秩父(山梨、長野) 5万 金峰山 2.5万 金峰山、瑞墻山
瑞墻山 みずがきやま(2230m)三等三角点 奥秩父(山梨、長野) 奥秩父(山梨、長野) 5万 金峰山 2.5万 瑞墻山
蓼科山 たてしなやま(2530m)一等三角点本点 八ヶ岳周辺(長野)5万 蓼科山 2.5万 蓼科、蓼科山

ガイド:諸国名山案内 関東(山と渓谷社)、関東百名山(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、アルペンガイド「奥多摩・奥秩父・大菩薩」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「山梨県の山」(山と渓谷社)、日本百名山登山ガイド上(山と渓谷社)、岳人カラーガイド「奥秩父・奥武蔵」(東京新聞出版社)、山と高原地図「奥秩父2」昭文社アルペンガイド「八ケ岳・北八ケ岳」、東京周辺の山(山と渓谷社)、八ケ岳を歩く(山と渓谷社)、百名山登山ガイド下(山と渓谷社)

5月7日(金) 19:15 新潟発=(北陸道、上越IC、長野IC、長野自動車道、中央道、須玉IC経由)
5月8日(土) =2:20 瑞墻山荘  (車中泊)
5:20 発―5:55 富士見平―6:30 大日小屋―7:02 大日岩―8:40 金峰山〜9:20 発―11:10 大日小屋―11:42 富士見平〜11:47 発―12:15 天鳥川源頭―13:06 瑞墻山〜13:30 発―14:20 天鳥川源頭―15:40 瑞墻山荘 (瑞墻山荘泊)
5月9日(日) 6:20 瑞墻山荘=(須玉IC、中央道、諏訪IC、ビーナスライン経由)=8:05 女神茶屋―10:00 蓼科山〜10:20 発―11:50 女神茶屋=(上田、長野、上越IC、北陸道経由)

 金峰・瑞墻と続けて呼ばれるようにこの両山は、隣接しているので続けて登られることが多いようであるが、それぞれ独自の風格を有し、共に百名山に選ばれている。
 金峰山は、蔵王権現をまつる信仰の山として栄えたといわれ、奥秩父の盟主に相応しい品格を持っている。特に頂上部に積み上がった花崗岩の五丈岩はこの山のシンボルでもあり、遠望時にこの山を見分けるためのマークとなっている。頂上付近はアルペン的な岩稜歩きとなるが、樹林帯から稜線に出たところにある千代ノ吹上げと呼ばれる絶壁には伝説が残っている。山麓に住む信心深い大工の夫婦が金峰山登拝を行った時、女人禁制のためか妻の千代は足を滑らせ、谷底へ落ちてしまった。夫は妻の許しを神に乞うべく、山頂で7日間断食をした。そして満願の日、一陣の風とともに妻は無事で再び姿を現したという。それから、この絶壁を「千代ノ吹き上げ」というようになったという。
 また、瑞墻という難しい名前を持った山は、以前は瘤岩と呼ばれていたらしいが、明治38年、山梨県知事となった武田千代三郎がこの漢字をあてたといわれている。金峰山を玉塁(たまがき)とした古図があるらしく、その麓をさして瑞塁(みずがき)としたのであろうと深田百名山に記されている。また、同時に、山稜が三つに分れるところが、三繋ぎと呼ばれ、そのミツナギが聞き誤られて、ミズガキになったものではないかという憶測も書かれている。真相はどうあれ、行くえを遮るように岩塊をめぐらせたその姿からは、瑞塁説が最も相応しいように思う。
 蓼科山は、北八ッと呼ばれる山群の中で北の端にひときわ抜きん出ている山である。完全な円頂を呈することから諏訪富士とも、また女ノ神とも呼ばれている。伊藤左千夫の「信濃には八十の群山ありといえど 女の神山の蓼科われは」の歌は、その良否は判らないが、観光案内などで度々聞かされることになる。ビーナスラインが、この女ノ神のもじりとは、長年にわたって気が付かなかった。山麓は白樺湖を始めとする観光地化が進んでいるが、登山道沿いは自然が保たれている。
 連休も終わったところで、遠くの山に出かけることにした。当初の予定では、通常どおり金峰山と瑞墻山を一日一山づつ登る予定であった。富士見小屋は素泊まりのみのため、食事付きの瑞墻山荘に泊るとすると、富士見平まで2度登ることになるが、結果的にはこの登りが結構あったので、一日で両山登ってしまうことになった。新潟から増富温泉を経由して、瑞墻山荘までの道は遠かった。山荘前の駐車場で車中泊をしたが、朝までグッスリ寝込んでしまい、他の登山客が乗りつけたタクシーの音でようやく目をさます。出発は、予定より遅くなり、夜明けの霧の中を登り始める。起きたての身には、富士見平までの登りは結構汗をかかされた。道はこれぞ奥秩父といった深い樹林帯の登りとなる。大日小屋を越すと急な坂となり、頭上に大日岩が迫る。さらに残雪の残る急坂を登ると稜線に出て視界が開ける。頂上までの稜線が一望のもとに望めるが、まだかなりの距離がある。千代ノ吹上付近の山梨県側の絶壁からは、雲海越しに富士山が見える。残雪の上、やせ尾根をトレースを探しながら、ようやく五丈岩に到着する。大きな岩を飛び越えながら僅かに登ると、頂上であった。今年一番の展望が広がっていた。奥秩父主脈方面は、逆光であったが、小川山から瑞墻山、その向うに八ヶ岳、その左に南アルプス、白峰三山そして富士山と、360度の展望が雲海の上に広がっていた。誰もいない山頂で、展望を十分に楽しむが、時間を計算すると、瑞墻山も登れるため、下山に移る。五丈岩に登りかけてみたが、頂上への手がかりがわからず、あきらめた。天気は変りやすく、八ヶ岳は雲に隠れ始める。少し急いで、往路を富士見平までもどる。
 瑞墻山へは、一旦天鳥川源流まで下る必要がある。この下りからは、木の間隠れに瑞墻山の特異な岩肌が見え始める。瑞墻山は、登り1時間30分のコースタイムにつられて登ったが、岩の間を縫う急な登りに、かなりアゴがあがった。荷物を富士見平あたりに置いて、往復するべきであった。途中軽装の登山客数人に道を譲ることになった。また、山頂付近に氷で覆われた所があり、滑って肱を擦りむく。登山客は、金峰山よりも瑞墻山の方が多く、山頂は賑わっていた。小学生を連れた家族連れも多く、岩の上でお弁当を広げていた。先程までその上にいた金峰山山頂は、はるか彼方であった。岩のはじから見降ろす眺めは、かなりスリルがあった。急な下りをようやく降り切って飲んだ天鳥川源流の水はおいしかった。
 二山を回ってくたびれて、瑞墻山荘に泊ることにする。個室(7800円)に泊ったが、他の客は1人だけであった。風呂に入ってからのビールはこの世の甘露であったが、疲れも出てきた。食事のおかずは多く、普通の民宿並みであった。瑞墻山荘前まで良い舗装道路が通じており、近くの増富温泉の送迎バスが出ているため、泊り客は少なくなっているようであった。
 6時の朝食後直ちに車で出発し、蓼科に向かう。蓼科牧場の先の蓼科山七合目から登ることも考えたが、雪のことを考えて南面の女神茶屋より登ることにした。女神茶屋の先の広い駐車場から笹原の中を歩きだす。樹林帯の急な登りにかかると積雪も多くなり、キックステップとストックを頼っての登りとなる。急斜面に、ドーム状の形がうらめしく思われる。岩に書かれたマークを追いながら、最後の登りを右に巻いていくと、一等三角点のある頂上台地に到着する。岩が敷き詰められた岩原の山頂は、他に類の無いものであった。女神茶屋コースでも最後の登りは残雪で大変であったが、頂上で会った人から聞いた話では、北面は雪がかなり残っており、斜面を登るのが怖いくらいだったということであった。登り始めは、山頂が見える天気であったが、頂上に近づくと同時にガスがでて展望は完全に閉ざされてしまい、早々に下山に移った。

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