雨飾山

雨飾山

1992年10月11日 日帰り 単独行 晴

雨飾山 あまかざりやま(1963m) 二等三角点 妙高周辺(新潟、長野) 5万 小滝 2.5万 越後大野、雨飾山

ガイド:新潟の山旅(新潟日報社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、諸国名山案内 上信越(山と渓谷社)、日本百名山・登山ガイド上巻(山と渓谷社)、日本300名山ガイド西日本編(新ハイキング社)、山と高原地図「妙高・戸隠」(昭文社)

10月11日(日) 3:40 新潟発=7:12 林道分岐―7:24 雨飾山登山口―9:40 雨飾山〜11:10 発―13:10 林道分岐

「左の耳は
 僕の耳
 右は はしけやし
 君の耳」
 
深田久弥は、連れ(この連れは登山仲間ではなかった)と二人で小谷温泉を訪れ、雨飾山に登ろうとして雨のため果たせず、その猫の耳とも呼ばれる双耳峰を見て、この即興詩を作った(わが愛する山々、心残りの山)。日本百名山にこのエピソードは書かれていないが、深田久弥の人生においてこの山は最も重要な山であったのであろう。
 車を利用するため、山口か小谷温泉のどちらか一方を登山口に選ばなければならならず、選択に迷った。雨飾山の写真として雑誌に載ることの多い布団菱の岩壁を眺めるために、小谷温泉からのコースを選んだが、正解だったようだ。小谷温泉から先に進んだ所にある、雨飾山登山口への林道の分岐付近の路上には多くの車が駐車していたため、そこから歩き始めた。林道終点の雨飾山登山口の駐車場は満杯で、山に向かう登山客が列をつくっていた。紅葉に誘われて、日頃登山をしてない人が多いためか、歩くペースが遅く、追い抜くのに苦労した。荒菅沢手前で布団菱の眺めが広がった。定番といえる写真の撮影場所は、限られた1ヵ所で、すこしズレルと木が邪魔をした。荒菅沢は休憩にもってこいの所で、布団菱の岩壁がそびえていた。右手の尾根を急登するとササ原にでるが、大勢の登山客でうまっていた。多くはザックをデポして、山頂を往復していた。山頂への最後の登りは、行き交う人で渋滞の騒ぎであった。山頂からは、白くなった白馬連峰が見えたが、白馬岳の上には雲が居座って動かなかった。狭い山頂は混みあっていたが、一段下がった場所で展望を楽しみながら休憩していると、同じ医局のDr.吉羽夫妻が登ってきたのに出会った。梶山新湯から登ってきたとのことであったが、そちらは道がぬかって悪く、展望もあまり良くなかったとのことであった。下山時も、すごい人出に自分のペースで歩くことはできず、しばしば擦れ違うために立ち止まらなければならなかった。多すぎる人出に呆れ、最後に、「はしけやし君の耳」か、とつぶやいて雨飾山を後にした。
 この日は、新潟付近の山の紅葉見物の盛りとなり、大糸線沿線の道路の流れは比較的スムースであったが、妙高方面の18号線は大渋滞となったらしい。

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