平ヶ岳

平ヶ岳

1992年8月8日 前夜発日帰り 単独行 快晴

平ヶ岳 ひらがたけ(2141m) 標高点 尾瀬周辺(群馬、新潟) 5万 檜枝岐、八海山 2.5万 会津駒ヶ岳、平ヶ岳、尾瀬ヶ原

ガイド:アルペンガイド「尾瀬」(山と渓谷社)、諸国名山案内 関東(山と渓谷社)、新潟の山旅(新潟日報事業社)、新潟50山(新潟日報事業社)、日本百名山・登山ガイド上巻(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)

8月7日(金) 20:00 新潟発=(関越道、小出IC、R352、只見シルバーライン、R352、鷹ノ巣 経由)=23:00 平ヶ岳登山口  (車中泊)
8月8日(土) 4:00 発―4:20 林道分岐―5:40 下台倉山―6:25 台倉山―7:10 白沢清水―8:05 池ノ岳―8:40 平ヶ岳―9:30 発―9:45 キャンプ場水場―10:15 玉子石―10:45 池ノ岳―11:20 白沢清水―12:00 台倉山―12:15 発―12:55―下台倉山―14:05 林道分岐―14:20 平ヶ岳登山口

 平ヶ岳は、中華鍋を逆さにしたような丸みを帯びた独特な形をして、名前もその形に由来している。山頂付近には楽園のような高層湿原が広がるが、そこに至る道は長くて辛く、遥かな山として知られている。深田百名山でも、「平ヶ岳は、日本百名山を志した最初から私の念頭にあった。」と紹介されている。かつては道もなく、バスの終点から頂上まで3日もかかったという山も、道路が整備された現在では、体力さえあれば日帰りが可能な山になった。
 再び平ヶ岳へチャレンジすることになった。一日の歩行時間を考え、未明に懐中電燈をたよりに出発した。台倉尾根は、砂岩のような滑りやすい岩場がところどころある急な尾根であった。朝の涼しい中を頑張り、それほど苦労せずに下台倉山に登り着いた。緩い登り下りの続く台倉山への尾根道は、目の前の燧岳の展望が元気付けてくれた。途中の水場の白沢清水は枯れていた。再び急な登りとなり、稜線の高さを見てはため息をつき、気を取り直しては頑張った。姫ノ池でようやく平ヶ岳の全景が現れた。山頂で一夜を過ごしたらしい女性の2人連れに会った。山頂まではひと登りであった。山頂は潅木に覆われて見晴しはなく、その周辺の地塘からの、尾瀬、日光、上州武尊、中ノ岳、荒沢岳方面の山々の眺めが素晴らしかった。山のうねりにとり囲まれた感じがした。台風が九州に近づいており、黒いまでの青空が広がっていた。山頂付近では10グループ程に会った。キャンプ場の脇には沢が流れ、枯れる心配はいらないくらい水量も豊富であった。玉子石は面白い風景であった。しかし、岩の前に環境庁の看板が立てられ、展望をだいなしにしており、怒りを覚えた。平ヶ岳へ登ったものは、この看板除去のための運動を行うべきである。玉子石方面からの軽装のグループに会ったが、現在でも中ノ岐からの裏口ルートが生きているのか不思議に思った。伝之助小屋に泊ると中ノ岐への登山口まで林道をマイクロバスで送ってくれ、3時間で登れるとあるが、皇太子がかつて登って以来、林道は一般車両通行止めとなっており、玉子石付近から先へのびる登山道も環境庁の通行禁止の立て札が立っており、この裏口ルートは問題であると思う。やはり平ヶ岳は、長い登りを耐えてこそ、山の趣が増すように思う。下りの尾根道は、日蔭が無く、日差しが強くて苦しめられた。日影の風通しのよさそう所を見つけて昼食をとった。台倉尾根の途中で、放置犬に出会った。どうやら、飼い主が登山に連れてきたが、途中で犬がバテテしまったため、鎖に繋いでおいていったらしい。気温も上がり、犬は横になり息も荒く、ハエもたかって、死にかかっているようであった。ひどいことをするものである。下りでもかなりの登山者とすれ違うが、山頂まで行く時間があるのか疑問に思う者もいた。山頂で補給した水も使い切り、下りきったところにある沢の水をおもいきり飲んで生き返った。

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