越後駒ヶ岳

越後駒ヶ岳

1991年10月26日 日帰り 単独行 曇

越後駒ヶ岳 えちごこまがたけ(2003m) 一等三角点補点 越後三山(新潟 5万 須原、八海山 2.5万 八海山、大湯、銀山湖

ガイド:新潟の山旅(新潟日報事業社)、新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟50山(新潟日報事業社)、越後の山旅 下巻(富士波出版社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、アルペンガイド「谷川岳・上越の山」(山と渓谷社)、諸国名山案内「上信越」(山と渓谷社)、日本百名山登山ガイド(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)、一等三角点百名山(山と渓谷社)

10月26日(土) (関越道、小出IC、R352 経由) 枝折峠→道行山→小倉山→駒芒x→天狗平→檜廊下→天狗平→駒芒x→小倉山→道行山→枝折峠

 越後駒ヶ岳は、三山早がけで八海山から中ノ岳を経て到達する信仰の山として登られてきた。夏でも残る雪田やお花畑でも有名である。山頂直下には、双眼鏡で登山者のマナーの監視に余念が無い名物小屋番のいる駒ノ小屋がある。(94年より若い小屋番に交代になった)
 枝折峠までの国道352号線は、最近までは、谷底へ落ちそうになる悪路で有名であったが、現在では工事が進んで安全な舗装道路となった。この国道352号線を進んで福島県に入ると平ヶ岳の登山口、さらに進むと尾瀬の入り口で燧岳登山口の御池に出て、会津駒ヶ岳の登山口の檜枝岐はそのわずか先であり、4つの日本百名山の登山口を結んでいる。枝折峠からは、小さな山をいくつも越して行く道であった。駒ヶ岳山頂まではコースタイムをかなり短縮して登ることができた。山頂で会った静岡からの単独行は、会津駒ヶ岳、平ヶ岳、越後駒ヶ岳と、連日登ってきたとのことであった。今にして思うと、百名山狙いの山旅であったようである。時間も早かったため、このペースで歩けば中ノ岳まで行けると思って先へ進んでしまった。しかし、越後駒ヶ岳から先は、笹がかぶって道が悪くなり、また檜廊下は木の根の上を伝い歩く道で時間がかかり、中ノ岳への最後の登りの手前で時間切れとなり引き返すことになった。かなり疲れて駒ノ小屋まで引き返し、水を補給し食事をとってから下山を始め、その日の最後の下山者となり、日没寸前の4時過ぎに枝折峠に到着した。紅葉は盛りであったが、台風のせいか、葉が落ちてしまったようである。

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