八海山

八海山

1991年9月1日(日) 日帰り 単独行 曇

八海山 はっかいさん(入道岳 にゅうどうだけ 1778m) 標高点 越後三山(新潟) 5万 八海山、十日町 2.5万 八海山、五日町

ガイド:新潟の山旅(新潟日報事業社)、新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟50山(新潟日報事業社)、越後の山旅 下巻(富士波出版社)、東京周辺の山(山と渓谷社)、アルペンガイド「谷川岳・上越の山」(山と渓谷社)、諸国名山案内「上信越」(山と渓谷社)、日本300名山ガイド東日本編(新ハイキング社)

9月1日(日) (関越道、六日町IC、山口経由) 林道終点二合目→屏風道→千本檜小屋→大日岳→入道岳→新開道→林道終点二合目

 八海山は、山頂部に険しい鋸歯状の岩峰を連ね、古くからの信仰の山として知られている。幾つかの登山道が開かれ、麓には里宮が設けられ、火渡りの行を行う八海山の火祭りは有名である。山頂部の岩場は、八ッ峰とも呼ばれ、鎖場が連続する。山名は、山頂部に八ッの湖があるからという説と、階段のように八ッの峰が重なっているので八階山と呼ぶようになったという説がある。八ッ峰を鎖にしがみついて恐れを覚えながら登り降りした経験からすると、八戒山が語源のように思うが、この説はどの本にも記載されてない。最高峰の入道岳は、八ッ峰を越した先にあり、穏やかな山頂部となっている。
 山口の先のホテルとの分岐点からは、草が覆い被さる心細い道となったが、じきに二合目の鳥居前の駐車場に着いた。鳥居をくぐって、沢を渡り、4合目の不動小屋までは、緩い登りの登山道となった。ここより先、尾根に出ると鎖場が現れ、登るにつれ鎖が幾つあったのか判らなくなった。最後の足場の悪い長い鎖場を越すと、笹の尾根に出て、ようやく千本檜小屋に着いた。小屋でジュースを飲みながら、小屋番と話をすると、晴れた日には、新潟市まで見えるとのことであった。ここまでの大変な鎖場を考えると、この先はそれほどひどいことは無いだろうと期待して先に進んだが、八海山の鎖場の核心はこれから大日岳までの八ツ峰にあった。八ツ峰の通過は、岩を一つずつ乗り越えて行くものであり、体力と腕力を非常に消耗するものであった。足下はかなり切り落ちているようであったが、幸か不幸か、ガスのため下は見えず、あまり恐怖感はわいてこなかった。翌週、この八ツ峰で、中年夫婦の女性の方が転落死する事故が起きた。最後の大日岳への登りは、2本の鎖をたよりに腕力で攀じ登るというもので、やっとのことで這い上がった。重い荷物をしょっていたら登れないだろうと思った。大日岳を過ぎると熊笹の茂る道となって、入道岳に到着した。3人のオバサングループがいっぱいのお弁当を広げて休んでいた。それほど疲れていいようであったのは、登りにロープウェイを使い、八ツ峰は迂回路でパスしたためのようであった。帰路は、大日岳の下まで戻って、呆れるほど長いハイゴを下って、新開道に向かった。新開道も始めは鎖場が続いて、うんざりさせられた。八海山の稜線上には水場が無く、鎖場で体力を消耗して水の消費も多く、水が空になりかかった。四合目の稲荷清水にたどりつき、水の補給をして元気を取り戻した。三合目付近は林の中に植林の道が交じって、登山道が良く判らなくなる所もあったが、下っていくと林道に飛び出し、これをたどって出発地の二合目の駐車場へ戻ることができた。通常の登山というには、鎖場だらけで、全山がフィールドアスレチックのようなものであった。翌日は足の代りに、腕が痛くなった。かなりの登山客がいたが、ほとんどが、八海山ゴンドラを利用していた。

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