尾瀬ヶ原

尾瀬ヶ原

1991年6月6日〜7日 前夜発1泊2日 3名グループ 晴(午後雷雨)

尾瀬ヶ原 おぜがはら (1400m) 尾瀬(群馬、福島、新潟) 5万 燧ヶ岳、藤原 2.5万 燧ヶ岳、尾瀬ヶ原、三平峠、至仏山

ガイド:アルペンガイド「尾瀬」(山と渓谷社)、東京周辺の山(山と渓谷社)

6月5日(木) 新潟発 (関越道、小出IC、R.252、六十里越、只見、R.289、南郷、R.401、R.352、 桧枝岐 経由)
6月6日(金) 沼山峠→尾瀬沼東岸→三平下→沼尻→下田代十字路→竜宮小屋 (竜宮小屋泊)
6月6日(土) 竜宮小屋→下田代十字路→沼尻→尾瀬沼東岸→沼山峠

 尾瀬ヶ原とミズバショウ。山や高山植物に興味を持つものは、誰もが夢見るあこがれの場所である。子供のころから、季節やコースを変えて何度も行ったことのある、登山の元体験の場所である。
 尾瀬の写真撮影が目的で、金曜日に休暇をとり久しぶりに尾瀬へ出かけた。この直前に高血圧により、薬の服用を開始した。医局の同僚、関矢、庭野の三人で出発した。沼山峠で2時間程仮眠するが、明け方はかなり冷え込んだ。峠の林間では、凍った残雪が残っていた。朝はやくはガスがかかり、大江湿原では幻想的風景が広がった。尾瀬沼付近でガスがあがり、青空を背景に燧ヶ岳が姿を現す。沼尻から下田代十字路への道は通い慣れたものであったはずだが、尾瀬ヶ原までで草臥れ、三条ノ滝には同行せず小屋で昼寝となった。体力の衰えと減量の必要性を痛感する。午後には雷雨となった。滝見物の2人はすっかり濡れて戻った。ハイキング客多数が雨宿りとなった。すっかり濡れて、着替えを借りて、小屋に泊るしかなくなった若い女性もいた。昼過ぎの竜宮小屋の女性便所は長蛇の列で、30分待ちの状態であった。集合時間に戻れないといって焦る騒ぎであった。以前よりもひどい混雑のようである。特に団体がそれに輪をかけていた。帰りの木道は、団体を追い越すのに苦労した。
 この尾瀬行きにおけるバテが、その後の山行きの切っ掛けとなった。

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