御嶽山、大峰山、鍋倉山、黒倉山

御嶽山、大峰山
鍋倉山、黒倉山


【日時】 2020年8月9日(日)〜10日(月) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 9日:曇り 10日:晴

【山域】 魚沼丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 御嶽山・おんたけさん・306.0m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/小千谷/小出
【コース】 栃原峠より
【ガイド】 なし

【山域】 魚沼丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】  
 大峰山・おおみねやま・304m・なし・新潟県
     【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/十日町
【コース】 市営笹山野球場前園地より
【ガイド】 なし

【山域】 関田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 鍋倉山・なべくらやま・1288.6m・二等三角点・新潟県、長野県
 黒倉山・くろくらやま・1242m・なし・新潟県、長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/飯山/野沢温泉
【コース】 巨木の谷コースより関田峠へ
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)

【時間記録】
8月9日(日) 6:30 新潟=(R.49、R.403、三条、見附、R.8、R.17、堀之内 経由)=7:40 栃原峠〜8:07 発―8:40 テレビ塔―9:10 大平―9:20 御嶽山―9:34 大平〜9:40 発―10:18 三国街道入口〜10:37 発―11:09 栃原峠=(R.252、北原 経由)=11:57 市営笹山野球場前園地―12:22 大峰山―12:42 市営笹山野球場前園地=(R.117、上境、温井 経由)=15:00 関田峠  (車中泊)
8月10日(月) 5:15 巨木の谷登山道入口―5:49 巨木の谷―5:55 森姫〜6:00 発―6:13 森太郎―7:05 久々野峠―7:20 鍋倉山―7:32 久々野峠―7:38 黒倉山―8:27 関田峠―9:11 巨木の谷登山道入口=(板倉、柿崎、R.8、柏崎、R.116 経由)=13:00 新潟
 御嶽山は、魚野川左岸の堀之内の背後に広がる魚沼丘陵にある山である。御嶽講の修験者によって開かれた山のようであるが、地元の山の会の手によって、登山道や山小屋が整備されている。栃原峠への縦走路や、堀之内城跡への周回コースなど変化に富んだハイキングを楽しむことができ、地元の愛好家が多く訪れている。

 大峰山は、十日町の東側の丘陵地にあるピークである。麓には、火炎土器が出土した笹山遺跡がある。

 鍋倉山は、千曲川の左岸の新潟・長野県境に沿って広がる関田山塊の最高峰である。県境の関田峠からは容易に登ることができ、関田山塊を代表する山として親しまれてきたが、最近では、森太郎、森姫といったブナの巨木が残されていることから人気が高まっている。

 梅雨明けが遅れており、新型コロナの影響もあって遠出の気が失せている。しばらく歩いていないコースを考えて地図を見ていると、堀之内の御嶽山に目がとまった。栃原峠からは2010年9月以来歩いていない。二日目は関田山塊の鍋倉山を登ることにして出かけた。
 堀之内の月岡公園入口を見送って県道を進んでいき、右に大きく方向を変えるところに旧三国街道入口がある。以前は旧三国街道入口の案内板があったが、現在では栃原峠の標柱が立っているだけになっている。この旧三国街道を歩けたのは2010年9月が最後で、2018年5月に訪れた際は藪に帰って通れなくなっていた。後で旧三国街道の状態を確認することにして、まずは栃原峠へ進んだ。
 峠までは車の走行に問題のない舗装道路が続いており、月岡御岳遊歩道入り口には、車二台ほどの駐車スペースも設けられていた。遊歩道入り口には、「歴史の道百選 三国街道栃原峠」と書かれた真新しい旗が置かれていた。車道と平行して延びている旧三国街道は、入口付近に関しては草は刈り払われており、旧三国街道の整備が行われた可能性もありそうに思えた。
 旧三国街道の確認は後回しにして、御嶽山を目指して歩き出した。ひと登りすると狛犬代わりのキツネの石像が置かれている赤坂稲荷の社が現れる。丸太の階段で整備された坂をひと頑張りすると稜線上に出て、この後は小さなアップダウンが続く稜線沿いの道になる。豪雪地帯のため、登山道周囲は灌木帯が広がり、標高の割に高山の趣がある。登山道は良く整備されているが、登山道脇の土砂崩れの跡が目立っていた。
 最初の目的地のアンテナ塔に到着してひと息ついた。アンテナ塔は二本あり、手前の塔の脇には三角点が置かれている。アンテナ塔までは林道が上がってきているが、二本の塔の中間部で土砂崩れが起きて林道が寸断されていた。林道を下り始めた所で、左に分かれる登山道に進むことになる。下り坂の途中からは、御嶽山に至る稜線を一望することができた。
 途中から林道跡を歩くようになると、東屋の置かれた大平に到着する。ここからは小出周辺の展望が広がっているのだが、靄がかかって遠望は閉ざされていた。大平からは馬の背と呼ばれる崩壊地跡を通り過ぎて、下ってから登り返すと御嶽山に到着する。常連客のいる山であるが、誰もいない静かな山頂であった。
 当初の考えでは、栃原峠へ来た道を引き返すつもりであったが、大平から林道を使って旧三国街道入り口へと下ることにした。この林道は、2018年5月に歩いた時は土砂崩れによって二か所で道が消えてしまっていることを確認していた。林道に進むと、夏草が延びてはいるものの歩ける状態であった。台地を過ぎて細尾根に入ると、林道はヘアピンカーブを描くが、この部分で土砂崩れによって道が失われている。土砂崩れの斜面を斜めに下っていくと、林道跡に復帰することができた。この先は、短い区間であるが夏草が身の丈を越す所も出てきた。最後のヘアピンカーブ部分でも土砂崩れが生じており、この先は猛烈な藪になっており、足を一歩出すのにも時間が掛かる状態になった。前方の杉林目指して足を出し続けることになった。大汗をかいて旧三国街道入口に下り立つことができた。この林道跡の現状は、夏草の茂る前の春先しか歩けない。
 旧三国街道の確認を行うことにして谷間の農道を進んだ。砂防ダムの堰堤が設けられているが、以前の道は右手の堰堤脇を乗り越すように続いていた。堰堤に近づいていくと、草藪が広がって道は見当たらなかった。ここから栃原峠へ進むことはできないと判断して引き返した。旧三国街道の代わりに車道歩きで栃原峠に戻ることになった。大平からの林道と旧三国街道の両者が歩けないとなると、栃原峠から歩き出した場合は、御嶽山を往復するしかないことが確認できた。
 思わぬ藪漕ぎですっかり体力を消耗してしまったが、十日町に出て大峰山を登ることにした。この山に登山道があるということは知らずに、残雪期に登ろうと思って先延ばしになっていた。
 市営笹山野球場に到着すると、野球場と向かい合う山裾に園地が設けられていた。園地の上には、「笹山スキー場ゆかりの地」と書かれたレンガ造りの碑が置かれていた。この碑の向かって右手をのぞくと、山道が杉林の中に続いていた。藪漕ぎのような所はないものの、落ち葉に覆われており、外さないように注意が必要な踏み跡であった。尾根沿いに登っていくと台地に出て、その中の少し小高いところが大峰山の山頂であった。踏み跡はさらに先に続いていたが、大峰山から引き返すことにした。
 昼になって気温も上がってきたので、この日の山歩きは終わりにして関田峠に向かうことにした。
 今回は、巨木の谷登山道入口から歩き出して鍋倉山へ登り、黒倉山経由で関田峠へ出て、後は車道歩きで戻ることにした。車のナビで車道のカーブ形状から登山口を推測して車を走らせたが、入り口は見つからないまま通り過ぎてしまい、その先の駐車スペースに到着してしまった。この駐車スペースは道の両脇に設けられており、温井から関田峠へ上がっていく途中で一番大規模なもので、ここに関しては判りやすい。
 登山口の確認のために、道路脇の灌木帯の藪を覗き込みながら歩いて車道を戻った。120mほど戻った所の藪に踏み跡があり、ここが登山口になる。ここから登ったのは2004年10月以来ということになるが、この秘密の道といった状態は変わっていなかった。車をさらに走らせて、関田峠から駐車場までの下りの距離が3kmほどであることを確認し、空きスペースを見つけて夜を過ごした。
 月曜日はいよいよ梅雨明けの晴天が巡ってきるようであった。気温の上昇も予想されるため、早立ちとした。最後に関田峠からの車道歩きがあるため、猛暑になる前に山歩きを終える必要がある。
 前日に確認しておいた踏み跡に進むと、少し歩いた先で、「巨木の谷に向かわれる皆様へ」という案内板が置かれている。「鍋倉山麓の登山道は、できるだけ自然の状態に負荷を与えたくないという配慮から、最低限の整備にとどめています。」、「この入山口に看板等を設けていないのも、登山道の状況と自然保護の観点から不特定多数の入山者、装備の不十分な入山を避けるための配慮からです。」といった内容のことが書かれている。
 頭上に木立が被さる道を進んでいくと、沢音が聞こえて沢沿いに登っていることが判った。標高1020m地点で登山道は鋭角的に曲がって、この後しばらくはトラバース道が続くようになる。この屈曲地点には標識も置かれていた。以前は、雪によって生じた根曲がりの木の幹をまたぎ越すのが大変であったが、現在はそれなりに整備の手も加えられて歩きやすくなっていた。
 尾根に出ると、その南の谷間が「巨木の谷」である。尾根通しに登っていけば森太郎経由の周回路の上部分岐となり、その先は久々野峠に通じている。森太郎への周回道に進むと、すぐに森姫への道が分かれる。坂を下っていくと沢に行き当たって道は行き止まりになる。周辺にはブナの大木が並んでいるが、森姫は左後ろを振り返ったところにある。森姫は、推定樹齢300年以上と言われるが、枝も折れて倒れる寸前になっており、少し離れたところから見守るようになっている。
 坂を登り返して森太郎へ進んだ。トラバース気味に進んでいくと、山道の下に森太郎が現れた。森太郎は樹齢400年以上と言われる幹回り5.35mの巨木である。少し離れたところからの観察なので、大きさが判り難いのは残念であるが仕方のないことである。その先で折り返してトラバース道を進んでいくと、「巨木の谷」の入り口から上がってきた尾根沿いの道に合流した。
 県道に戻るのなら尾根沿いに下るのだが、久々野峠への登りを開始した。道は尾根の一段下をトラバース気味に続いていた。昔からの山道を登山道として使っている感じであった。谷の源頭部が近づくと、登山道上の夏草がうるさいところが出てきた。久々野峠から巨木の谷へと下ろうとすると、その先の登山道の状態に不安を覚えるようになってしまうかもしれない。
 久々野峠に出て、鍋倉山へは左折することになる。緩やかに登っていくと、ほどなく鍋倉山の山頂に到着した。山頂は木立に囲まれて展望は閉ざされていた。久々野峠に戻って関田峠方面に進むと、すぐ先で塚山への道が左に分かれ、ひと登りすると黒倉山の山頂に到着することができた。この山頂も展望が閉ざされているのは残念である。
 関田峠へは、緩やかな下りが続いて、いささか長く感じた。尾根が広がると水溜まりが現れ、そのせいか藪蚊が多くなり、携帯用虫除けを取り出すことになった。下りの途中で数組の登山者とすれ違ったが、関田峠に到着すると5台の車で駐車スペースは満杯になっていた。
 関田峠からは車道歩きを頑張ることになった。先回は、二台の車でのグループ山行であったのでこの車道歩きを免れることができたが、今回は頑張るしかない。途中の大神楽展望台からは、停めた自分の車が見えていたが、遥か下であった。下り一方の道であることも幸いして、45分の車道歩きで戻ることができた。ガイドブックでは、登山道の歩行時間は書かれていても、登山口間の車道歩きの時間については触れられていないことは残念なことである。
 鍋倉山は、関田峠からの往復で登られることが多いが、巨木の谷と合わせることでより充実した山歩きを行うことができる。

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