桝形山、金倉山、鳥谷城跡

桝形山、金倉山
鳥谷城跡


【日時】 2020年7月24日(金)〜25日(土) 1泊2日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 7月24日:雨 7月25日:雨

【山域】 西頚城山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 桝形山・ますがたやま・566.5m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/高田西部/槙
【コース】 東谷内溝尾線の花立峠入口より
【ガイド】 新潟の山歩き50選(新潟日報社)

【山域】 東頚城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 金倉山・かなくらやま・356.3m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡、高田/柏崎、岡野町/塚野山、法坂
【コース】 越後広田より
【ガイド】 なし

【山域】 東頚城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 鳥谷城跡・とやのじょうせき・200m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡、高田/柏崎、岡野町/塚野山、法坂
【コース】 杉の入より
【ガイド】 なし

【時間記録】
7月24日(金) 4:50 新潟=(R.116、R.8、能生、溝尾 経由)=8:13 花立峠入口〜8:20 発―8:22 迂回路入口〜8:40 発―8:54 尾根上分岐―9:36 桝形山―10:13 尾根上分岐―10:29 迂回路入口―10:31 花立峠入口=(R.8、柏崎、R.252、安田、越後広田駅 経由)=14:04 金倉神社入口広場―14:17 金倉山―14:25 八石林道登山口―14:40 金倉神社入口広場  (車中泊)
7月25日(土) 5:20 鳥谷城墓地公園駐車場―5:43 分―5:52 鳥谷城跡―6:04 分岐―6:25 能満寺―6:30 鳥谷城墓地公園駐車場=(五十社、R.8、刈羽、R.116 経由)=8:50 新潟
 桝形山には、上杉謙信の時代、春日城から名立、早川、糸魚川に抜ける文化・商業の道(延喜古道)の要所であった花立峠の監視と烽火台として谷内城が置かれていた。

 金倉山は、八石山の北側に武石峠を挟んで向かい合うピークで、金倉神社が置かれ、現在では八石山林道が山頂直下を通過し、一帯は公園として整備されている。

 鳥谷城跡は、鎌倉〜南北朝時代ごろに築かれ、以後、戦国大名の長尾氏の家臣らが治めたが、1579年の「御館の乱」後に廃城した。

 連休中なので遠出と思っても、天気予報はぱっとせず、新型コロナの感染拡大で大勢が登る山は避けたい。「新潟の山歩き50選」のガイドで知った桝形山をメインにして、後は幾つかの候補を考えて出かけることにした。
 桝形山の歩行時間はさほどかからないようなので、高速代を節約して下道を走ることにした。四連休に加えてGoToトラベルの補助が開始されているが、連日の雨のため、日本海沿いの道路は空いていた。
 能生到着後、川詰の集落を抜けて舗装された林道を進んでいったが、かなりの奥地にも農作業のための小屋が設けられていた。カーブを交えながら一気に高度を上げていくと、左に林道が分かれるカーブ地点に花立峠と桝形山の標識が置かれており、登山口であることが判った。
 車の走行も可能な砂利道を進んでいくと、すぐ先で上方に向かって林道が分かれ、「桝形山→」、「花立峠↑」という標識が置かれていた。ガイドブックでは花立峠経由で登るように書かれていたので、とにかく花立峠を目指すことにした。その先で農作業小屋が現れると、砂利道はここまでで、草の茂った林道跡の歩きになった。花立峠のある尾根が前方に見えてきたところで、斜面全体に及ぶ大規模な土砂崩れが起きており通行不能になっていた。
 新しい登山コースが設けられた理由が判って、分岐に戻って標識が示す方向に進んだ。急勾配の林道は舗装されて、スリップ防止のための溝が切られていた。左手に広がる谷地の上部を巻くと、舗装道路も終わって土道に変わった。トラバースして尾根に突き当たると、その先は土砂崩れが起きて道は無くなっていた。ここには「迂回ルート桝形山」という標識が置かれて、新しく設けられた登山道に進むことになった。
 杉林を抜けて尾根上へと上がる所は、急で泥斜面が滑りやすく、取り付けられたロープの助けをかりることになった。尾根上に出ると「桝形山→ 花立峠←」と書かれた標識が置かれていた。
 ようやく正規の登山道に乗ることができ、この後は尾根道を辿ることになった。ひと登りすると、木立が無くなって草地が広がり、東方向に南葉山を望むことができた。ここもかなり以前に生じた土砂崩れの跡のような感じであった。西方向には、木立の間から権現山を望むことができた。
 桝形山の山頂が近づくと、傾斜もきつくなり、虎ロープも固定されるようになった。山頂直下では、堀切跡のような崖状の地形も現れた。山頂のいっかくの台地に到着すると、小さな池も現れた。山城の水源として使われたのであろうか。到着した桝形山の山頂はブナの木に囲まれた広場になっており、東の方向の展望が広がっていたが、雲が垂れ込めて山の眺めが隠されていた。
 ガイドブックでは、帰りは近道を使えるように書かれていた。地形図では、山頂から急坂を下って平坦な尾根になったところで、破線が尾根を横切っている。これが近道なのかと思ったのだが、笹原が続いて道は見つからなかった。近道についてガイドブックを良く読むと「花立峠から20分で右からの林道を横切る。」と書かれていた。どうも登ってきた林道が近道であったようで、土砂崩れによって近道の途中から迂回路が新たに設けられたようである。結局、花立峠は訪れないままに下山してしまったが、現在の状態なら迂回路分岐から尾根沿いに往復するしかないようである。
 本来の登山道と近道で生じた土砂崩れはそれぞれ別なものである。この一帯は土砂崩れを起こしやすい地形のようで、桝形山の登山道の状態も今後変わる可能性がある。  翌日は八石山を登ることにして国道8号線を引き返した。柏崎には早い時間に戻ることができたので、八石山の北側に位置する金倉山を訪れることにした。山頂直下に八石山林道が走っており、時間はかからないはずであった。
 八石山林道へは、国道291号線の武石トンネルの柏崎側入口近くから分かれる林道を使えば出られるはずであった。現地に到着してみると、林道は通行止めになっていた。別なルート考えることになったが、道路地図を見ると金倉山の金倉神社へは何本もの林道が延びている。県道72号線を北に向かって走っていくと、金倉山の案内標識が置かれていた。右折して山に向かい、線路をくぐると、「越後柏崎七街道 金倉山 3.8km 北条毛利街道」と書かれた青い案内板が置かれていた。案内板に導かれて進むと、越後広田駅の前に出て、そこから山に向かうことになった。一気に高度を上げていくと林道の幅は狭くなった。普通車ではぎりぎりの急坂を登ると、草が車の横腹をする状態になったが、車の方向転換のスペースは無く、そのまま進むしかなかった。不安もマックスになった所で、草地の広場に到着した。金倉神社の社務所のような小さな建物と、簡易トイレのようなものも置かれていたが、現在は使われていないようであった。
 自分の思惑とは違ってはいたが、とりあえず、金倉神社の入り口には到着できたので、金倉山を登ることにした。
 広場から山道に進むと、真新しい石段が現れ、それを登ると金倉神社のお堂が現れた。脇には金倉山頂展望広場の絵看板が置かれていたが、木立に囲まれて展望は閉ざされていた。お堂の背後に回ると、石の祠が置かれていた。
 ピークからの下りは、新しい丸太階段で整備され、鞍部には東屋が建てられていた。これは「みはらし山荘」と呼ばれるようで、一帯は公園状に整備されていた。さらに驚いたことは、すぐ下に幅広の舗装道路が見えていたことであった。この八石林道を使えば、金倉神社までの悪路は避けることができた。
 雨も降ってきたので、先を急ぐことにした。鞍部から南にピークを登っていくと、三角点の置かれた金倉山の山頂に到着できた。さらに南に進んでいくと、次のピークで道は左右に分かれた。帰りが短くなるように左の道に進むと、林道に下り立つことができた。今回歩いた他にも、各ピークから林道へ下りる登山道が整備されていた。
 林道を歩いて鞍部直下に戻り、東屋へと登り返した。東屋からは展望が開けていたが、雨雲のために見晴らしはきかなかった。金倉神社のあるピークを再度越して車に戻った。
 広場から八石林道方面には林道が延びてはいたものの草が茂っており、歩くにも藪漕ぎが必要な状態であった。
 車の走行の問題は全くない八石山林道が整備されていては、わざわざ越後広田駅方面からの悪路を登ってくる車はいないはずで、対向車の心配は無くなった。ただ途中の急坂では、舗装面に積もった木の葉が雨に濡れて滑りやすくなっており、ブレーキを掛けると、アンチロックブレーキシステムが作動してギコギコと音をたて、冷や汗ものの下りになった。
 山を下った後、八石山林道の起点を確かめることにした。事前にネットで調べておくべきではあったが。まずは広田鉱泉からの林道を探ったが、舗装されてはいるものの細い道で落ち葉が積もって利用する車はほとんどいないようであった。次いで、塚山峠に向かった。塚山峠を越して長岡市側に入ると、八石山林道終点の標柱が置かれていた。また、「越後カタクリの森 4.9km」の案内板も置かれていた。
 八石山林道は、緩やかに起伏する峰越林道で、距離は長いものの金倉山へ快調なドライブで到着できた。金倉山登山の際には、越後広田駅方面からのルートは絶対に使わないことを勧める。金倉山の下を通過したところで越後カタクリの森への管理道が分かれたので進んでみた。一気に斜面を下ると、山小屋や遊歩道が整備されていたが、あまり利用価値はなさそうであった。八石山林道に戻って先に進むと武石峠に出たが、武石トンネルからの林道はやはり通行止めになっていた。さらに進むと、2009年5月に八石山へと赤尾コースから登った際に出た林道終点に到着した。八石山林道は、現在ではさらに延びて山を下っていった。林道の西側斜面の谷からブル道が上がってきており、伐採作業が行われているようであった。赤尾コースと鹿島コースを歩くには、最新情報を得る必要がありそうであった。
 八石山林道沿いの偵察を行っているうちに本降りの雨となった。家に戻ろうかとも思ったが、翌朝も雨なら山に出かける気は無くなるはずであった。ここで夜を過ごして、翌朝に簡単な山を登ることにした。
 翌朝も本降りの雨。本来は八石山を予定していたのだが、長島駅の北側の丘陵地にある鳥谷城跡を登ることにした。2018年4月23日の新潟日報で、観光スポットとして誘客を図るため、住民有志が山城を巡る遊歩道を整備したという記事が載った。興味を持ったが、この記事からは山と登山口の位置が全く判らなかった。この新聞では、登山コースの新設といった記事が載ることがあるが、新聞記者がアホなのか、登山の知識が無いのか、必要な情報が書かれていないことの方が多い。その後情報を集めていくと、杉ノ入の鳥谷城墓地公園と能満寺から登山道が延びていることが判った。
 県道72号線を北上し、杉の入で山際の道路に進むと鳥谷城墓地公園があり、その入り口の前に広い駐車場が設けられていた。お地蔵様が置かれた墓地内に進むと、鳥谷城墓地公園と書かれた記念碑が置かれていた。登山道の案内板は無かったが、広場の奥に山に上がっていく道があったので、これに進んだ。ひと登りすると道の上を草が覆うようになり、台地に出ると夏草を掻き分けながらの歩きになった。原を抜けて林の中に入ると、ようやく歩きやすい道が続くようになった。
 尾根沿いに登っていくと、三叉路に出ることができた。案内板には、来た道は墓地公園、右に進めば鳥谷城跡、左に進めば馬の足洗池と書かれていた。緩やかに登っていくと、連続した堀切の跡が現れ、これを越すと鳥谷城跡に到着した。山頂は草地の広場になっており、中央にテレビのアンテナが立てられていた。山城の説明板のようなものは残念ながら置かれていなかった。
 来た道を戻り、三叉路から馬の足洗池への道に進んだ。少し下った窪地に水溜りが広がっており、これが馬の足洗池であった。池の畔から「沢づたいに旧道村まで15分」と書かれた案内板が置かれていたが、沢沿いの道は夏草が茂っている可能性があるため、「テレビ塔」への道に進んだ。
 大木の目立つ台地を進んでいくと、テレビアンテナの立てられた広場に出た。この先は、ロープも固定された急坂の下りになった。一気に高度を落とすと能満寺の境内に出ることができた。能満寺から墓地公園の駐車場は僅かな歩きで戻ることができた。
 山中ではコースの案内板が取り付けられていたが、今回利用した両登山口に案内板が無いのは片手落ちな気がした。墓地公園コースは、途中で夏草がうるさい所もあるが、歩きやすい道であった。一方、能満寺コースは急坂があった。墓地公園コースから能満寺コースへ周遊するのがお勧めである。
 雨の中でなんとか登山を成立させたので、家に戻ることにした。車を走らせていると、雨は上がってしまったので、少し早まったかなと後悔の念もわいてきた。

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