要害山

要害山


【日時】 2020年7月5日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雨

【山域】 朴坂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名 
 のろし山・のろしやま・200m・なし・新潟県
 物見山・ものみやま・240m・なし・新潟県
 要害山・ようがいさん・281m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/中条/坂町
【コース】 平林城跡より
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:55 新潟=(R.7 経由)=7:55 平林城跡登山口〜8:25 発―8:53 不動滝分岐上―8:59 首切り清水―9:11 のろし山―9:30 物見山―9:43 要害山本丸〜9:53 発―10:02 新道分岐―10:24 セト坂の清水―10:40 不動滝―10:54 不動滝分岐下―11:28 不動滝分岐上―11:49 平林城跡入口=(往路を戻る)=13:00 新潟
 飯豊連峰と朝日連峰を分かつ荒川の河口部に位置する神林村に、色部氏の居城であった平林城跡がある。平林城は、慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封に伴って色部氏が会津金山城に移って廃城になったが、現在も土塁、堀などの跡が良く残され、国の史跡に指定されている。背後の丘陵地帯には、山城が築かれ、要害山(加護山古城跡)には、楼台(近世の天守閣)が置かれていたという。

 雨でも歩ける山として要害山に出かけた。何度も訪れている山であるが、これまで歩いていない首切り清水の手前から不動滝へと下る道を確かめるのが、今回の目的となる。
 家を出る時は止んでいた雨も、平林城跡の駐車場に入る時には本降りに変わっていた。しばらく様子見をした後、歩き出した。
 平林城跡は、木立が切り開かれて見晴らしがきくようになり、土塁や堀切が巡らされている様子が判るようになってきた。複雑な構造なようなので、入り口の虎口あたりから順路を設定して、要所に番号と説明版を置いてもらうと良いと思うのだが。登山道入口手前付近は、発掘調査のために幾つもの穴が掘られて、青いビニールシートが被さられていた。
 登山道は緩やかな登りが続き、城戸門跡を経て登っていくと長辺田(ちょうべた)の馬洗場に到着する。水はほとんど無くすり鉢状の窪地になっていた。登山道の整備が最近行われたようで、夏草も刈られてすっきりした眺めになっていた。その先は傾斜が少し増し、階段状に整備された坂が続くようになる。
 傾斜が緩んで烏帽子山の西側に到着すると、不動滝への道が分かれる。要害山の山頂を越して新道に進んでから、この道を使って戻ってくることにした。
 首洗い清水からは、いつものようにのろし山へ進んだ。のろし山の山頂部も夏草が刈られていた。雑木林に囲まれた尾根を辿っていくと物見山に到着する。荒川の河口部の眺めが広がっており、ひと休みするのには良い休憩地になっている。雨具を着込んでの歩きは蒸し暑く、汗が止まらなくなっていた。
 物見山からはもうひと登りで要害山の本丸跡に到着する。雨雲が垂れ込めているものの、高坪山や鳥坂山の眺めが広がっていた。雨も小降りになってきたので、予定通りに先に進むことにした。
 僅かに下ってから登り返した287点には館岩と呼ばれる大岩が並んでいる。その先で不動滝への新道が分かれる。ロープも張られた急斜面の下りで、トラバース部も度々現れて、濡れた泥斜面に足を滑らせないように注意が必要であった。
 傾斜が緩むと幅広の道に変わり、分岐が現れた。左に分かれる以前からあった道は通行止めになっており、右手の道に進むように変わっていた。沢沿いに出るとT字路になっており、右手奥に「セト坂の水」があった。新しい道に付け変わったことにより、「セト坂の水」には来やすくなった。右手に進んで丸木橋を渡ると、「セト坂の水」がある。水は勢いよく流れ出ていたが、雨が続いている状態なので、普段の水量は判らなかった。
 沢沿いに下っていくと不動滝に到着する。一帯はお堂やベンチなどで公園状に整備されていた。沢沿いにひと登りすると不動滝が現れる。落差4mほどで、水が勢いよく流れ落ちていた。滝の背後の窪地には石仏が置かれ、流れ落ちる水流を裏側から眺めることができた。
 不動滝から沢沿いに下っていくと、首洗い清水への道が分かれる。雨粒で倒れこんでいる草もあったが、通常の登山道レベルの道が続いていた。尾根沿いに登っていき、166m標高点の南で尾根を越すと、トラバース道に変わり、最後は 平林城跡からの道に出ることができた。この道は、問題なく歩くことのできる状態ではあったが、使い道はあまりない。今回この道を歩いたことによって、不動滝の下流にある波滝を見逃してしまっている。
  平林城跡の駐車場に戻ると、雨が上がってきたことによるためか、5台の車が停められていた。

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