風倉山

風倉山


【日時】 2020年5月23日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 風倉山・かぜくらやま・931.4m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上、新潟/中条、新発田、飯豊山/中条、菅谷、えぶり差岳
【コース】 一本松コース
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、新潟100名山(新潟日報事業社)

【時間記録】 5:00 新潟=(R.7、新発田、R.290、熊出 経由)=5:52 鹿ノ俣川橋〜6:10 発―6:56 山の神―7:10 尾根取り付き―8:02 3合目―9:45 9合目―9:53 風倉山〜10:16 発―10:22 9合目―11:50 3合目―12:41 尾根取り付き―12:56 山の神―13:50 鹿ノ俣川橋=(往路を戻る)=15:15 新潟
  風倉山は、飯豊から流れ出る胎内川の左岸にあり、二王子岳から北に延びる尾根上のピークである。山頂には風倉神宮の祠が置かれ、古くからの信仰の山とされてきた。登山道は、以前は距離の短い胎内治水ダムからのコースが主に使われてきたが、この登山道が廃道になってしまったことから、現在ではより距離の長い鹿ノ俣川沿いの林道奥からの一本松コースが使われている。

 鹿ノ俣川橋手前の胎内スキー場の風倉駐車場から歩き出すことになる。一本松登山口への林道は入り口にゲートがあり、車は乗りいれることができないので、まずは4.3kmの林道歩きを頑張る必要がある。林道は舗装されており、鹿ノ俣川沿いのほぼ平坦な道が続く。季節も移って初夏の気候になり、緑も濃く、タニウツギが花盛りになっていた。幸い朝も早いためか、ひんやりとした空気に包まれて、汗も流さずに歩くことができた。
 目標の少ない林道歩きであるが、途中の発電所の建物、巨大な堰堤によって現在地を確認できる。林道脇に杉木立が現れると、赤い鳥居があり、その奥に山の神の石碑が置かれている。以前は、木製の金精様が奉納されていたのだが、見当たらなかった。民間信仰も次第に薄れていってしまっているのは残念である。
 山の神のすぐ先で右岸に移ると、鹿ノ俣砂防ダムの堰堤脇に出る。ダムの湖面の奥に一本松尾根の末端部が切り落ちて鋭鋒のように見え、高みに風倉山が聳えるのが見える。登山口まではあと僅かなので、この後の急登に備えてひと息いれた。
 堰堤から先は土道となり、増谷沢をコンクリート製の橋で渡ると、尾根末端の登山口に到着する。地形図に書かれている登山口の位置とは違っていて先回は迷ったが、現在は「風倉山登山口」の標柱が置かれていた。標柱の脇には「新潟百名山」とも書かれていた。また、「合目標識を約15分間隔で設置してあります。ペース配分の参考にしてください」と書かれた案内板も置かれていた。このペースで登ることができれば、山頂までは150分で到着予定ということになる。歩いた結果としては、このコースタイムはほぼあっていた。以前はこのような合目標識も無かったので、「新潟百名山」に選ばれて有名山に仲間入りした効果といえる。
 一本松尾根は急登が続くが、途中で現れる平坦部で体力を回復する必要がある。尾根の末端部を東から巻くと尾根上に出て、傾斜も緩んでひと息付く。再び傾斜が増すと1合目の標識が現れた。傾斜がさらに増した所では、右に迂回するように登山道が設けられているが、泥斜面のトラバースは足元に要注意で、木の枝を掴みながら通過する必要があった。
 急登をひと汗かくと2合目で、この後3合目まで、しばらくはキタゴヨウの生えるほぼ平坦な尾根が続く。一本松尾根では楽な区間であるが、息を整えるため、ゆっくりペースで歩いた。3合目で谷奥の眺めが開けたが、山頂部はまだまだ高いところにあった。
 3合目を過ぎると再び急坂となり、二か所で岩場が現れた。右手に巻くが、ロープも張られているものの足元に要注意であった。急登を続けていくと、周囲にはブナ林も広がるようになった。落ち葉の積もった登山道は、雨水の通り道になっているようで、足場が乏しく滑るようになった。長いロープが張られており、登りの助けになった。
 7合目でようやく頭をもたげた西峰が視界に入ってきた。8合目で西に落ち込む尾根上に出ると、西峰も迫ってきた。もうひと登りで9合目の西峰に到着した。西峰には皇山住(すめらやまずみ)神社の石碑と石の祠が置かれている。現在でも信仰の対象になっているようで、紙の御幣も置かれていた。麓から見えていたのは、この西峰のようである。
 風倉山の山頂も目の前に迫っているが、この後は痩せ尾根を辿ることになる。岩場もあり、まだ油断はならない。最後にひと登りすると小広場になった風倉山の山頂に到着した。山頂には三角点と風倉主神社の祠が置かれている。小グループが登ってきて昼食をとれば、新型コロナ対応の三密は破られそうな小広場であるが、幸い誰もいない山頂であった。山頂からは、遮るもののない展望が広がっていた。えぶり岳から北股岳、大日岳と続く飯豊連峰の広がりが一番の眺めであるが、えぶり差岳の山頂が雲に隠されていたのは残念であった。二王子岳は目の前に大きく、朝日連峰も遠くに見えていた。振り返れば日本海に浮かぶ粟島も見えていた。山の名前を挙げていけばきりのない展望であった。眼下には、ハート型をした胎内川ダムを見下ろすことができた。この胎内川ダムからのコースは廃道になっているが、急登の連続であった記憶がある。
 下りは、足にも疲労が出てきて、登り以上に難所の通過には足元に注意する必要が出てきた。風倉山は、重力まかせに足を運んで下っていけば良いという山とは違っている。
 下りの途中、3組7人の登山者とすれ違い、昔と違って人気の山に変わったと実感した。

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