高立山

高立山


【日時】 2020年4月19日(日)
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り一時小雨

【山域】 新津丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 高立山・たかだてやま・276m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/矢代田、村松
【コース】 橋田より殿様街道、滝ノ入林道へ下山
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:10 新潟発=(R.49、茅野山、R.403、矢代田、丸田 経由)=6:50 橋田〜7:18 発―8:00 榎峠―8:10 高立山入口―8:27 高立山〜8:32 発―8:45 高立山入口―9:03 林道終点―9:25 車道―9:30 橋田=(往路を戻る)=10:10 新潟
 新潟平野の内陸部の縁に沿った、新津、加茂、五泉の中間に広がる丘陵地を、新津丘陵と呼ぶ。新津丘陵では、一等三角点も置かれている護摩堂山が良く知られているが、最近では、菩提寺山や高立山もハイキングコースが整備されて、訪れるハイカーが多くなっている。

 新型コロナウィルスへの感染対策のための緊急事態宣言が全国に拡大されて、外出も自粛する必要がでてきた。一応屋外での運動は認められているので、遠出は避けて人に出会わない山を考えることになった。
 新潟丘陵一帯には菩提寺山、高立山、護摩堂山のピークがあり、最近は人気の山歩きのエリアになっていて、私も度々出かけている。それでも、五泉側の橋田を中心とするコースはまだ歩いていないので出かけることにした。
 丘陵の東側に回り込み、橋田から菅沢への県道55号線に入ると、道路脇に「護摩堂山・高立山→」と書かれた看板が置かれ、林道入り口に駐車スペースが設けられている。ここからは、田ノ入線と榎峠線といった二つの林道が始まっている。林道榎峠線の入り口には、「殿様街道」の案内板が置かれている。この橋田から菅沢を結ぶ道は、古くから使われてきた山道が林道として整備された際に、護摩堂城跡に関係する遺構が残されているために名前が付けられたようである。「殿様街道」というと参勤交代に使われた旧街道をさすが、この道は違っているようである。
 「殿様街道」こと榎峠線は、しばらくは舗装された道が続いた。傾斜が緩むと、馬頭観音地蔵菩薩のお堂が現れた。建立は弘安五年(1282年)の歴史の歴史あるもののようであるが、お堂はそう古いものではないようであった。
 その先で因幡城址に出た。護摩堂城の東の備えに設けられた山城のようで、標高91m点を中心に曲輪群が広がっていた。城跡内は、杉の木が並んで下生えは少なかった。整備すれば、立派な山城の遺構が姿を現すように思えた。
 緩やかな登りを続けていくと、駕籠据場という標識が現れた。この先は傾斜が増したので、駕籠はここまでという意味で名前が付けられてのであろうか。尾根通しの登りを続けていくと、三叉路になった榎峠に到着した。ここから護摩堂山登山口を経て菅沢への区間は歩いているので、とりあえず高立山に向かった。
 高立・十ヶ沢線を進んでいくと、田ノ入線が上ってきたと思われる山道を確認することができた。この道も歩いて確かめる必要があるが、先へ進んだ。高立山の登り口には、大きな看板が置かれ、臨時トイレも置かれている。いつもは高立山への登山道に目がいってしまい気が付かなかったが、杉林を下っていく道を確認することができた。
 まずは九十九折の道を登って高立山の山頂に進んだ。ベンチも並べられた山頂広場には、時間も早いためか、誰もいなかった。雲が流れて山の眺めは閉ざされていた。高立山から引き返す途中、雨が降ってきて、雨具の上着を着込むことになった。
 高立山登山口に戻り、杉林の中の山道に進んだ。ひと下りで沢岸に出て、沢沿いの歩きになった。沢に架かる丸木橋が現れたが、苔むして下り傾斜になっていた。溝状の沢は2m程の深さがあり、足を滑らせば一大事になりそうであった。下流方向に藪を進んでから沢をまたぎ越し、崖を登り返して道に戻った。ここが一番の難所になった。
 砂防ダムの堰堤が現れ、それを越すと滝ノ入林道に下り立った。ここには登山口を示す標識は無かった。しばらくは荒れて車の走行はできない状態であったが、そのうち路面の状態は良くなった。林道滝ノ入支線との分岐に出ると、二つの林道に挟まれた尾根に山道が続いていた。これが高立山の菩提寺山側の登山口に出る道のようであった。これも宿題になった。
 民家の脇から県道に出ると、後は僅かな歩きで車に戻ることができた。
 確かめる必要のある道が二本残ったので、橋立から高立山への歩きを近いうちに行うことにしよう。


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