要害山、鳥屋ノ峰

要害山から鳥屋ノ峰


【日時】 2020年4月12日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 櫛形山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 要害山・ようがいさん・165.6m・三等三角点・新潟県
 鳥屋ノ峰・とやのみね・276.7m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新発田/菅谷
【コース】 藤戸神社から入山、送電線巡視路を使い中森へ下山
【ガイド】 なし

【時間記録】 5:40 新潟発=(R.7、新屋敷、東宮内 経由)=6:30 今泉川の橋〜6:50 発―7:00 藤戸神社入り口―7:27 要害山―8:25 鉄塔No.52―9:20 鳥屋ノ峰〜9:30 発―10:28 鉄塔No.52―10:50 中森送電線巡視路入り口―11:10 今泉川の橋=(往路を戻る)=12:00 新潟
 蒲原平野の境に沿って、加治川と胎内川の間に長さ14km、幅5kmにわたって南北に広がる丘陵地帯を櫛形山脈と呼ぶ。標高500m程の丘陵地帯にしかすぎないが、2.5万分の1地形図に山脈と記載されている唯一の例といわれて、日本一のミニ山脈として地元で売り出している。この櫛形山脈は、白鳥山から箱岩峠までが、縦走路も整備されて、一般的に歩かれている。これに対し、箱岩峠から南には、鳥屋ノ峰と要害山の二つのピークがあり登山道も開かれたいるが歩く者は少ない。また、要害山は佐々木氏の本城であったことから加治城跡とも呼ばれる。

 前日の大峰山で大勢の登山者と出会ってしまったという反省のもと、人には出会わないであろうという山を考え、要害山から鳥屋ノ峰へと歩くことにした。個々のピークには登っているものの、その間が抜けていることから櫛形山脈の縦走は完成していない。
 中妻から田圃の中の農道を進むと、左手に藤戸神社の鳥居が見えてくる。鳥居脇には車が一台停められていて、駐車スペースは田圃脇となり、半日ほど車を置いておくには気がひける状態であった。農道を先に進み、麓集落の手前の今泉川に架かる橋のたもとの空き地に車を停めた。下山の際には、車道歩きでここに戻ってくるので、最後の車道歩きを短くするのに好都合である。この空地は、ゴーグルマップのストリートビューであらかじめ見つけておいたものである。
 まずは、車道歩きで藤戸神社の鳥居へ戻った。鳥居脇には加治城の説明板が置かれているが、この加治城が置かれていたのが要害山である。鎌倉時代初期に越後国蒲原郡加地荘の地頭に任じられた佐々木盛綱が築き、以降盛綱の子孫である加地氏の居城となった。謙信の急死により勃発した御館の乱では、春綱の子加地秀綱は上杉景虎に与し、天正8年(1580年)上杉景勝方の五十公野治長(後の新発田重家)、五十公野信宗に奇襲攻撃され一旦は降伏した。さらに天正9年(1581年)に新発田重家の乱が起こると、秀綱はこれに加担してまたしても景勝に対抗した。景勝は新発田城攻撃に先立ち、天正15年(1587年)9月7日に加地城を攻め落城させた。その後景勝の命によって加治氏は断絶し、加治城も廃城になった。
 鳥居をくぐると、急傾斜の石段が延びている。石段は苔むして手前に傾いていたり崩れて崩壊が進んでいる。登りはともかく、下りにはあまり使いたくないが、幸い、未舗装の車道が上部の境内まで通じており、下る際にはそちらが使える。
 神社のお堂の右手から登山道が始まっている。「学びの山道」という標識も置かれて、道の整備状態は良い。緩やかな道を進んで、要害山から西に延びる尾根に乗ると、急な登りに変わる。堀切、曲輪、土橋跡、虎口などの遺構が次々に現れて、山城としての構造が良く残されている。
 要害山の山頂は広場になっており、一段高くなったところに三角点が置かれていた。二王子岳は逆光で見にくかったが、五頭連峰と新発田周辺の平野部の眺めを楽しむことができた。
 さて、ここからが本番。鳥屋ノ峰に続く北尾根に向かうと、いきなり崖に行き当たり、ロープ頼りに下ることになった。その後も、堀切の崖が何か所も現れた。登山道の道型はしっかりしているものの、倒木や笹藪で歩きづらいところもあった。それよりも、小ピークの乗り越しが連続し、気分的につらい歩きになった。コースも度々方向を変えるため、鳥屋ノ峰はなかなか近づいてこなかった。
 ようやく中間点といえる送電線鉄塔の下に出てひと息ついた。この鉄塔は、「東新潟B線」のNo.52である。ここから中森へ尾根を下る予定であったので、巡視路を確認すると、幅広の道が設けられていた。
 尾根の北西部方向に向かう林道幅の巡視路に進んだ。ここまでの道と比べると高速道路といった気分であった。次の鉄塔下で、送電線巡視路からわかれて山道を東に向かう尾根に進む。ピークから下っていくと、左手の斜面に伐採地が広がるようになり、伐採の作業道に飛び出した。この道は、茗荷谷から上がってきているようである。鳥屋ノ峰山頂から西に延びる尾根を辿って茗荷谷に出たことがあるので、茗荷谷を中心にした鳥屋ノ峰の環状コースが可能なように思われる。
 広場の先から尾根沿いの山道に進むと、ようやく鳥屋ノ峰も視界に入ってきた。傾斜が増すと鳥屋ノ峰への最後の登りになった。鳥屋ノ峰の山頂は、小広場になっており、櫛形山や飯豊方面の眺めが広がっている。300mにも満たないピークであるが、ここまでの縦走路はなかなか歩きでがあった。ただ、鳥屋ノ峰のピークハントだけなら箱岩峠からの方が楽である。
 来た道を戻り、No.52の鉄塔から中森へ尾根に進んだ。良く整備された道で、快調に下ることができた。登山道脇には、ミツバツツジやタムシバの花が見られ、季節の進みが感じられた。標高131m点を過ぎて下っていくと、送電線鉄塔No.53が現れた。もうひと頑張りで車道に下り立ち、後は車道歩きで車に戻った。


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