城が沢山から小貫木山、石峠

城が沢山から小貫木山、石峠


【日時】 2020年3月21日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 権現堂山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 城が沢山・じょうがさわやま・330.2m・三等三角点・新潟県
 小貫木山・こつなぎやま・510.0m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/須原
【コース】 林道権現堂北線より
【ガイド】 なし

【山域】 守門山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 石峠・いしとうげ・530m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/守門岳/穴沢
【コース】 栗山沢登山口より
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:20 新潟=(R.49、R.403、加茂、R.290、森町、R.290、栃尾、R.290、R.252 経由 経由)=8:05 林道権現堂線入口〜8:23 発―8:55 城ヶ沢山―9:23 林道合流点―9:57 小貫木山取り付き―10:10 小貫木山―10:22 小貫木山取り付き―11:05 林道合流点―11:39 林道権現堂線入口=(R.252、R.290 経由)=12:24 栗山沢登山口―12:48 松尾分岐―13:10 石峠―13:46 栗山沢登山口=(R.290、栃尾、R.290、森町、R.290、加茂、R.403、R.49 経由)=15:30 新潟
 城が沢山と小貫木山は、下権現堂山から北に延びる尾根の末端部にあるピークである。現在では、小貫木山の山頂直下を林道権現堂北線が通過しており、城が沢山からはこの林道への山道も通じている。

 石峠は、軍事・生活のために使われた栃尾から魚沼の高倉地区に抜ける旧道にある峠である。石峠の名前は、峠近くに大岩があることに由来するようである。峠部には石峠城、石峠街道の南には松尾城という二つの山城跡が残されている。

 三連休は、中日の日曜だけが晴になる天気予報が出た。はたして、土曜日は雨で山はお休み。日曜日も期待薄のようなので、土曜日は少し遠出することにして須原の小貫木山に出かけることにした。栃尾を過ぎて国道290号線を走っていると、路肩に石峠の案内板が置かれているのが目に入った。石峠も課題の山になっていたので、帰りに寄ることにした。
 今年の異常な雪融けの早さにもかかわらず、県道小出線は須川トンネルを挟む区間で冬期閉鎖になっており、入り口の林道権現堂線起点へは一旦小出方面から回り込む必要があった。林道入り口に到着して朝のコーヒーを飲んでいると軽トラックが林道へ進んでいった。周辺に雪は見当たらず、林道の奥へかなり進めるようであったが、いつものように林道入り口から歩き出すことにした。装備を考える必要があったが、ワカンは持たず、長靴で歩くことにした。
 まったく雪は見当たらず、フキノトウが延びていた。溜池の手前から城ヶ沢山への山道に進むことになる。杉林の中の九十九折の道を辿っていくと尾根上に出て、すぐ先で送電線鉄塔の下に出る。この先、尾根沿いの歩きを続けていくと、城が沢山に到着する。明確なピークではなく、藪が広がって見晴らしもない山頂である。三角点は、Yの字に分かれた山道に挟まれた藪の中に見つけることができた。
 城が沢山からは、上の沢源頭部尾根を辿って林道へ下る道に進んだが、向松川への道に比べると藪が広がっていた。向松川への道は送電線の管理道として整備されているのに対し、林道への道は登山道として一旦整備されたものの、放置されてしまっている。尾根通しの道なので迷う心配はないものの、所々で倒れこんでいる灌木の枝を払う必要があった。ただ、ブナ林が広がるような所では、幅広の道が残っていて気持ちよく歩くことができた。標高380mの小ピークを越すと、林道への下りになる。以前整備されていた丸太の階段も、崩れたり土に埋もれていたりしているので、泥斜面を滑らないように下る必要があった。
 地形図には、この分岐からすぐ先までしか林道が記載されていないが、延びて小貫木山の東側を通過している。Google Mapによれば、東側の四九の沢沿いの林道へと続いていることが確認できる。Google Mapは、林道の確認や登山口のアプローチ、標識の確認に役立っている。
 林道に雪は無く、前方に見える小貫木山も黒々としていた。この先しばらくは、林道歩きを頑張ることになったが、守門山塊の眺めが素晴らしく、写真撮影のためにしばしば足を止めることになった。小貫木山が近づくと、断続的に残雪が現れてきた。軽トラックも停められて、山仕事が行われていた。
 小貫木山の北東部に回り込んだところで林道から分かれて杉林に足を踏み入れた。ひと登りすると尾根上に出て、西に向かって尾根沿いの歩きを続けることになる。道は無いが、藪は薄く、杉林の境界は歩きやすくなっていた。藪歩きをひと頑張りすると、小貫木山の山頂に到着し、三角点にもお目にかかることができた。小貫木山の山頂は木立に囲まれて展望は閉ざされているが、林道歩きの途中で展望を楽しむことができるので、諦めもつく。
 小貫木山からの下山の途中、林道脇の残雪から顔を出したフキノトウを見つけて、家への土産にすることができた。
 時間もまだ早かったので、家に戻る途中に石峠への登山道を確認することにした。昨年の新聞で松尾から石峠への登山道が整備され、さらに栗山沢側への登山道も整備する予定であることが紹介されており、是非歩こうと思っていた。車に積んでいたパソコンを立ち上げ、地形図を開いて登山口からのコースを確認した。農道が複雑に延びていてコースを予想することは難しかったが、松尾から石峠へ延びる実線に合流するルートを想定してGPSに転送して歩き出した。
 簡易舗装された農道の歩きが続いた。段々畑の中をカーブを交えながら登っていくと、水平道になった所に石峠の標識があり、右折して高みに向かうことになった。耕作放棄地を抜けると、山道に変わった。窪地の中に続くことから古くから踏まれてきた道であることが推測された。ただ、伐採された木の枝が路肩に積まれていることから、かなりの藪に覆われていた旧道を整備し直したことがうかがわれた。
 左手から藪に覆われた道が合流し、尾根の一段下を回り込むと、松尾から延びてきたと思われる林道幅の道に出ることができた。この分岐には石峠の標識が置かれていた。松尾方面の道は残雪に覆われて踏み跡は見られなかった。栗山沢登山口から石峠まででは残雪は全くなかったので、この残雪は日陰の関係で融け残っていたようである。
 途中で溝が掘られた所があったものの、四駆なら走れそうな道が続いていた。坂をひと登りすると、石峠の名前の由来らしい大岩が現れた。周囲は刈払われて、守門山塊や鋸山方面といった周囲の展望が広がっていた。ハイキングコースとしては、休むのにふさわしい広場であった。
 この先は、少し細くなったもののしっかりした道が続いた。石峠が近づいた所で、尾根の左手から右手に乗り換えることになった。歩いてきた道は新道で、この先は崩壊してしまったようである。乗り換えた旧道を進んでいくと、切り通しに出て、その先は小広場になっていた。先に進むと崩壊地になっており、崖を越した先の尾根には道らしきものが見えていた。広場に戻って、脇の崖をひと登りすると、小広場になっており、ここが石峠城跡のようであった。尾根の先に進めないかと見てみると、堀切跡のような深い溝になっており、その先に道は見当たらなかったので進むのは諦めた。旧道は、すぐ先から尾根沿いに下って旧国道に出ていたようだが、整備の手が入ることを期待したい。
 松尾集落からと旧国道からの道もいずれ確認したいと思っている。


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